今日はちょこっと真面目な内容を…
JINは福〇業界で勤めております。
同じ業界の人はよく耳にするでしょうし、業界の人でなくともよくつかうであろう言葉のハナシなのですが。
「『普通』の生活を」
『普通』
この言葉って、どうなんでしょうね?
JINはこの言葉に違和感を覚えてしょうがないんです。
よく
「普通は〇〇だよね」
とか
「普通に考えて」
とか使いますよね?
いや、別に使ったらアカンとかそういうことが言いたいのではなくて、そこで使っている「普通」ってのは、何を基準に「普通」と言っているのか…と。
例えば、算数の方程式のように答えが明確に出るものならば「普通」でしょう。
でも、自分が棲んでいる福〇業界の現状はこうです
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他人さんの生活を支援するとき
他人さんに代わって何かをするとき
「普通は〇〇やろ」
みたいに考えがちなんです。
その「普通」の判断は、何を根拠に「普通」と判断したのか?
私達の生活っていうのは、過去の経験の積み重ねのうえに成り立っていると思います。
色んな物事を判断し決定する過程において、人は皆、自分の過去の経験を基に思考するのだと思うのです。
例えば
今、アナタは自宅の台所に居ます。
無性にお腹が空いていてたまりません。
「何でもいいから口に入れたい。空腹を何とかしたい」と考えています。
そんなあなたの目の前に、真っ赤なリンゴがあります。
そのリンゴはものすごく良い匂いがしていて、その傍らには、ナイフとお皿、フォークが置かれています。
そして、もうひとつメモが置かれていて、そこには「どうぞ 母より」と一言だけ書かれています。
さて、そんな時にアナタはどう行動すると思いますか?
「そんなん、ナイフで皮をむいて切って食べるやん」と思うのが大半でしょうね。
でも、ここで考えてみたいのが「ナゼ?」という視点なんです。
・ リンゴが食べられるものであるという事を、ナゼ知っているのか?
・ リンゴの皮を剥くという行為を、ナゼおこなったのか?
・ ナイフを使うことを、ナゼ知っているのか?
・ ナイフを使うと切れることを、ナゼ知っているのか?
これって、過去の経験に基づく行動だとJINは思っています。
ということは、同じ体験や考え方をしていないと、他人さんの「普通」は出てこないのではないでしょうか?
と短絡的に考えたわけなんです。
なので、「普通さぁ、〇〇するやろ…」等のように、他人さんを支援するときに、自分の「普通」に置き換えて考えてしまうと、大失敗を犯してしまうことがあるんじゃないか…と思うわけです。
もっと言うと、もしかしたら、他人さんに自分の価値観を押し付けているかもしれないですよね。
という事は、「普通」の根拠は支援者にあるのではなく、目の前の他人さんにあるということが良いたいのですよ。
あぁ~何だかよくわからんようになってきた…
コレくらいにしておこうかねぇ…