ひすいこたろうさん×SHOGENさんの

『今日、誰のために生きる?』を読んで

 

 

言葉で表せなかった長年の夫との関係性を

ようやくスッキリと言葉で表せるようになった。

 

 

これは、私にとって

すごい、革命✨

 

 

気付きは、一瞬で世界を変える。

気付きは、一瞬で違う世界線に移してくれる。

 

 

私は、心で会話がしたかったのだ。

そういうことだったんだ…。

 

 

夫は悪い人では決してない。

それどころか、会社の人も友人も知人もお隣さんでさえ、夫のことを深く信頼し、本当に彼はいい人だとみんな言う。

 

 

私もそう思う。夫はしっかりした誠実な人だ。

人に対しても、物や動植物に対しても、私の両親や自分の親に対しても、深い愛があるし優しい。

 

 

だけど、私は夫に対してずっと言い表しようのない不満を持っていた。

それを言葉で表せなかった。

 

 

本に出てくるタンザニアの少女ザイちゃんが、それを言い表してくれた。

 

 

ザイちゃんはショーゲンさんに

抱き締めるようにして話すんだよ。

ショーゲンの会話は、作業の会話でつまらない。

心の会話がない。だからショーゲンとはもう話したくない」ということを言った。

 

 

作業の会話とは、

「今日何食べたの?明日は何をするの?どこへ行くの?」

そういった行動を聞く話し方。

 

 

心の会話とは、

「それを食べてどうだった?どう感じた?明日は何をしたい?あなたはそれについてどう思ったの?何を感じた?」

そういった感情や想いを聴く話し方。

 

 

そう、これで私はわかった。

夫への不満はこれだったんだ。

 

 

夫も当時のショーゲンさんと一緒だ。

私や子供たちに対して

作業(行動)が一番大切で

そこに至った気持ちとか想いとか

そういったことを聞かない。

 

 

夫は、

早くご飯食べて。早く靴履いて。歩いて。急いで。それはダメ。こうして。あれをして。お風呂入って。静かにして。早く寝て。

 

 

私は、

今朝は何が食べたい?どの靴を履きたい?あの空いいね!それをしたら人に怪我をさせてしまうからやめてくれる?なぜそれを使いたいの?こうしたらどうかな?どう思う?あっちにしてみようか!今日はお風呂の気分?眠たくなったら寝ようよ。やりたいことがあるならそれをしてていいよ。

 

 

こんな感じ。

夫は、KUMIはマイペースだ、子供なんだから親が主導しないと、子供の意見を聞いてたら進まない、ダラダラだらしない子供になる、KUMIがいないときは子供たちは俺の言うことをよく聞くよという。

 

 

そういう感じで、子供たちがぐずぐずしだすと私のやり方が原因だと…。

 

 

確かに、うちの子供たちはものすごく元気。マイペース。素直で、いつもケタケタ笑って、ふざけて、姉弟喧嘩も多くて、仲も良くて、心優しい子供たち。

 

 

でも、あまり元気良すぎて外でも騒がしかったり、ママにものすごく甘ちゃんで、抱っこやハグして~と歩きたがらなかったり、ベタベタしてきたり、、

 

 

そんな時は、夫の言うように私の育て方に問題があったのかな…と不安になることもあった。

 

 

俺といるときは言うことを聞くし、ちゃんと歩くし、子供たちはいい子だと言われると、ますます私のやり方に自信を無くすこともあった。

 

 

子育て何が正解かもわからないし、夫は夫の正解と考えをもとにやっていること、私は私の正解と考えをもとにやっていることだから

 

 

それぞれ価値観が違うだけで、お互い親としての責任も愛情もあるわけで。

やり方や価値観の違いを責め合う口論はもうこれ以上やめよう、という感じでなるべく口論は終わらせていた。

 

 

子供たちは「ママが大好き!最高のママ!ママの子供ですごく嬉しい🥰」とぎゅっとハグしながらニコニコそう伝えてくれる。

 

 

私も自分の母親が大好きだった。

いつも話をよく聴いてくれて、心に寄り添ってくれた。今でもそう。今でも大好き。

 

 

だけど幼少期にはこんなにまっすぐ素直に母親に好きだと言えてなかった。

どこか遠慮して、大好きなのに大好きだと気持ちを伝えられなかった。文化の違いもあるかもしれない。けれど、毎日のようにこう言ってくれる子供たちはすごいなと思う。

 

 

好きな気持ちが溢れたら、相手に、好きーっっ!って伝えたくなるよね。それをそのまま、だぁ~いだぁ~いだぁ~いすき!!と伝えてくれる子供たちは、素直でいいな♡かわいいな♡と思う。

 

 

子供たちとは目を見て話すけど、

夫とはなかなか目が合わなかったり、

伝えたいことがなぜか全然伝わらなかったり

それもこれも私の中の小さな小さな

だけどとても大きな悲しみのひとつだった。

 

 

私が繊細すぎるのか?そう思って悩んだ時期もあった。

HSPというのを知って、そっか、やっぱり私が繊細すぎたのかと妙に納得したり、ものすごい安心したりもした。

 

 

ずっとずっと、言葉にならない悲しさがあったのが、

今回の本で、言葉で理解できた。

 

 

私は、心の会話ができない夫へ不満があったのだ。

作業の会話の夫に対して、悲しみやつまらなさを感じていたのか。

 

 

そうわかった昨日。

朝食を食べながら夫に話してみた。

心の会話と作業の会話の違い。

 

 

それが響いたのかどうかはわからない。

だけどランチを食べに行って、そこで会計を済ませた私に急に態度が変わった。

 

 

喧嘩中ということもあり、食べ終わったらスタスタと歩いていってしまう夫が、私や子供たちを待っている?!

 

 

おや?とその変化に驚いたけど、そのあともゆっくり歩く私たちのテンポに合わせてくれる。急にどうしたことだろう?だいたいは早足の夫を私たちが後ろから付いて歩くのに。

 

 

一緒に並んで話しながら歩く夫婦が羨ましく、昔はよくそれで喧嘩をした。もう少しゆっくり歩いてくれる?私たちのペースに少し合わせてくれる?何度もそんな話をした。今はもう諦めていた。

 

 

のろのろ歩いてるから自分が先を行って先導してるんだよと言われる度、のろのろ歩くのは悪いことなのか?なんでそんなに早く歩かなきゃいけないの?時間がないの?話しても平行線のままだった。

 

 

だいたい私は周りを見たり、空気を感じたり、空を見ながらのんびり歩く。わぁ~、澄んだ空だなぁ~なんて綺麗なんだ…✨とみとれたり、子供が道端の石ころに目が止まって立ち止まると、一緒に立ち止まって待っている。そして先を行く夫を見失う。

 

 

私たち家族はそんな歩き方が多いのに、今日の夫は子供たちが立ち止まって鳥をずーっと眺めていても、一緒に立ち止まっている!どういう変化だ?!

 

 

私は気付いた。

のんびり歩くことは悪いことじゃなかったと。

私はつい責められると自分が悪いのだと思ってしまうところがあった。

自分に問題があるのだと。

 

 

でも、本を読んでいて気付いた。

私は、過程を楽しんでいたんだ。

目的じゃなく、その過程を愛でて味わって生きていたんだ。

 

 

対して夫は目的が大切だったんだ。

だから、レストランに行くのであればそこへ行くことが大切で、食べるのであれば食べることが大切。

 

 

子供たちがご飯を残すことも許さない。お腹がいっぱいだと泣いても、食べないなら今日1日お菓子何もないからな!と言う。そんなの意地悪だ!と私は反論する。

 

 

過程や気持ちを重要視する私と、目的やルールを重要視する夫。

それでいつもズレが生じていたんだ。そう気付いた。

 

 

私はただ、過程を楽しんでいたのか…。

そしてそれが私の人生を豊かにしてくれるものだった。

だから、行動や目的ではなく、想いの方をいつも大切にしていたんだ。

 

 

それは悪いことではなく、現代社会では生きにくいけれど、本に書いてあったようにとても愛に満ちた縄文的な生き方だったんだ。今ここを丁寧に生きる生き方。のんびりな自分を責めることではなかったんだ…。

 

 

レストランからホテルに戻る間の、私たちに合わせて歩いてくれる夫に、深い感謝と愛情が湧いた。色々な話をしながら一緒に歩くだけで、充実した気持ちでいっぱいになった。

 

 

本を読んで私は気付いてしまった。

なぜ夫とうまくいかなかったのか。

私が一番欲しかったもの。

私にとって一番重要なもの。

それが満たされると、オセロが全てひっくり返るように、幸せに満たされてしまうことを。

 

 

心で会話する。

作業の会話ではなく、心の会話をすること。

 

 

目的を優先する夫と、気持ちを優先する私が相容れないのは、どちらがいい悪いではないけれど、

 

 

私にとっては、その相容れなさがずっと心の負担になっていたのだ。長年、深く核になる部分で解決できずにいたことだった…。

 

 

ようやく。

言語化できた。

 

 

 

うん。

 

 

と、ここまで言語化できたので、さらに続けて書くと・・・

 

 

 

私は夫と一緒になって変わったことも学んだこともたくさんある。

そして夫も私と一緒になって変わったことがある。

 

 

私は繊細すぎることがなくなった。

昔は周りの反応もいちいち細かく気になっていた。でも今はHSP診断でさえHSPじゃないと出るほど。

 

 

つい時間よりもその場の雰囲気で時間が守れずルーズになったり、スケジュールがわかっていても直前まで取り組まなかったりしていたことが、時間を守ろうとしたりちゃんと調整するようになった。

 

 

なんとかなる精神で確認もせず見切り出発したり、飽き性で気持ちが大事で嫌なことはすぐに諦めたりやめたりしてたことも、忍耐強く取り組むことを覚えた。

 

 

人付き合いは相手をまず第一に考えて先回りして気を利かせることを覚えた。無駄口を叩かないことや言わなくてもいいことは言わないことも覚えた。

 

 

それは忍耐強く、誠意があって、一度決めたら最後までやり抜き、人には親切に秩序やルールを守り、前もってちゃんと準備をして用意する夫から学んだ。

 

 

夫も変わったことがいくつかある。

ドライブ中夫は会話ができるようになった。以前は、運転中は話しかけないで!と言われドライブも楽しく会話ができなかったけれど、今はできるし、話を聞いてくれるようになった。

 

 

食事中にスマホを観なくなった。乱暴な言葉が減った。口論になっても怒りで怒鳴らなくなった。私や子供の話しに耳を傾けるようになった。

 

 

今まで考えていることも思っていることも私にも誰にも言わなかったけれど、自分の気持ちも嫌だったことも私に吐き出せるようになった。

 

 

機嫌がいいときは子供たちのペースに合わせて、子供たちがきゃっきゃっと喜ぶ遊びをするようになった。節約や管理も少し緩くなった。

 

 

私は夫から、夫は私から、お互いたくさん学んだ。

子育ても、飴と鞭のように、厳しさと優しさでバランスよく出来ていたところもたくさんある。

 

 

お互い偏り過ぎている部分はお互いを見て学んでバランスよく中庸になっていくのだと、そのために今世はこの人と一緒になったんだろうと、そんな魂の意図を感じている。

 

 

夫と学び合いつつ二人三脚でやっていくのだろうけれど、私はもう自分を責めない。何がモヤモヤの原因だったのか言語化できたことに晴れ晴れしてる。

 

 

原因がわかったから、対処が出来る。

原因がわかったから、何を望めばいいのかももうちゃんとわかる。

 

 

今回5泊6日で訪れたパースの旅。

深い深い、気付きの旅になった。

 

 

 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

メルボルン数秘アドバイザーKUMI