大入杵命墓 ~ 崇神天皇廻り合わせの旅 ~ | It is there. ~ スピチュアル大好き ~

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北陸のパワースポットや古代文明、怪奇現象、スピチュアルなど興味がある事を綴っているブログです。

 今回ご紹介するのは、以前にご紹介したブログ記事


古事記に記録された歴史あるパワースポット三輪山登山


に出て来る崇神天皇のご子息に関するお話です。




リンクしたブログで紹介した通り、崇神天皇は三輪山の大物主大神を祀ったサイキッカー(←最近霊能者的な人は総てこういう認識です(笑))なのですが、中能登にご神事に出掛けた時のお話です。




奈良に行った時は、見事なコーディネートされて崇神天皇関連の史跡を巡る事になったわけですが、まだ途切れてませんでした。




お伺いしたのは、2015年11月13日、中能登不動滝へ行った帰りのことでした。




道路を走っていると、はるか向こうでアピールの気配のある土地が。




なんだろう?と気になり立ち寄ってみると・・・










崇神天皇皇子 大入杵命墓 の表記が。



なるほど・・・崇神天皇絡みで立ち寄ることになったんだなと納得し、お詣りをしました。







正面から見た様子です。




堀が廻らされていて、中には鯉が泳いでいました^^




見ていただくと解るかもしれませんが、こちらのお墓もお父さんの崇神天皇と同じく古墳でありお墓です。




後ろの自然全てがご神体なわけです。








おそらく落葉する前はもっと綺麗だったんでしょうね。










大入杵命のお墓の横にある大欅(おおけやき)


とても温かい波動のある木で、とてもパワーを感じる木でした。


ずっと皇子のお墓を見守ってきたご神木とも言えるかもしれません。










大入杵命のお墓の道路を挟んで、向かい側に


大入杵命墓 飛地い号 宮内庁 と書いてある古墳があります。




こちらのお墓は、大入杵命に関連した方が祀られているとも言われているらしく、もしかしたら侍従(お付きの人)などが埋葬されているのかもしれません。




恒性皇子の記事でも書きましたが、やはり恒性皇子の付き人の方にも古墳ではありませんが石碑があります。


そういった流れは、とても温かく大切な考え方かなと思います。




そうして、御参りをさせていただき、崇神天皇つながりで見つかった大入杵命のお墓を発見することができました。




近畿地方と違い、田舎にはご陵墓自体が少ないので、こういうお墓に呼ばれるのは稀なんですよね。




こういった天皇家に関わるお墓に関われるのも、恒性皇子のご陵墓に携わってからのような気がするので、ある意味広告塔としての役割や、皆さんに知ってほしいという故人の方々に認めて貰えてるのかな?と勝手に思ったりしています。




仕事もWEBデザイナーであり、DMはがきや宣伝物を作る仕事してますしね。




生まれついての宣伝マンになっているのかもしれません(笑)




さて、そんな簡易広告塔な私が大入杵命について調べてみました。






大入杵命は、崇神天皇の側室 尾張大海媛(おわりのおおあまひめ)との間に生まれた皇子だそうです。




崇神天皇の皇后(正室)である御間城姫(みまきひめ)の父親は、大彦命(おおひこのみこと)とされており、大彦命は北陸を制定するために派遣されたと言われています。




崇神天皇は第10代天皇なのですが、実は実存した可能性のある最も古い天皇と言われており、この頃やそれ以前の北陸はまだ天皇の威光も北陸には届いておらず平定の必要があったものと思われます。




こうやって言葉で書いても文章を書いてる自分でさえ、ややこしくなってくるので簡易家系図を作ってみました(笑)


Wikipediaなどを辿ったものもあるので、正確ではないかもしれませんが、相関図的なものとして捉えてみてください。


見てるときっと楽しめます^^










この相関図を見て解ったのは、北陸制定を命じられた大彦命、その意思を継いだ(考古学的には、大彦命と崇神天皇は同世代かもしれないと言われているそうですが・・・)崇神天皇が治めた能登地方の土地を、大入杵命が開発したり、教えを広めたりして現在の能登を発展させたと言わるまでになったようです。




土地の人からも能登国造能登臣の祖と言われているほど、能登地区に対して貢献された皇子だったようです。




蛇足になるかもしれませんが、この時代のこうやって辿った相関図に面白い関係性が見られます。




・大国主(出雲大社に祀られている祭神)の国造りを助けたと言われる、天乃羅摩船(アメノカガミノフネ)に乗って現れたという少彦命(すくなひこのみこと)が大彦命と兄弟だったり




・三輪山のご祭神 大物主大神(おおものぬしたいしん)が夜毎に会いに行ったという、倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと:箸墓古墳に祀られていると言われている姫)が、大彦命・少彦命と兄妹であったり




と、古事記の文章などだけでは、なかなか捉えられない視点で、色々な繋がりが見えて楽しめます。




実際その時代に生きたわけでもないので、正しいかどうかは解りませんが、やはり古事記・神話・歴史にまつわるお話は行ったり、感じたり、調べたりするのがとても楽しいです (^_^)



是非、能登にお越しの際には、この大入杵命の御陵墓も寄ってみてください。




最後になりますが、大入杵命の御陵墓の地図を掲載しておきます。




崇神天皇皇子 大入杵命墓
https://goo.gl/maps/doNQxXDo2xK2