自分を認める。評価する。肯定する。
最近の自分は自分を認めるようになった。
仕事のスキル向上・体調管理などの好転により、自分が自分を評価できるようになった。
今の自分は自分が好きだ。趣味を肯定する。自分らしさを肯定する。
辛いことがあれば自分が壊れないよう自分を守ろうとする。
以前であれば自分を傷つけていたかもしれない。このクズ・ろくでなしって。
自分は自分を認めるようになった。
だけど
自分が認められない自分もいる。
自分は自分を認めている。これでいいのだと。これが自分らしい生き方なんだと。
でも 同時に
今のお前を他者が認めることはない
と。
過去の諸々、自分の趣味・性格・容姿・・・ それらを考えると 自分を認めるような他者は数少ない。
幼馴染は20年来の付き合い、自分をよく知っている。良い面も悪い面も知っている。
でも最近知り合った人たち(直近10年)からは 認めてもらえることはないって。
少なくとも、現状は。 実際それ以降、お互いに気楽に出かけられるような仲の友達は一人たりとできていない。
他者からの評価に対しては未だ強烈な「認められない自分」がいる。
自分が自分をいくら認めているといっても、こと他者のことになれば
今のお前が他者から認められるなんてことはないから。だってお前を好くやつがいると思う?過去のこと、今の自分、コミュ力。性格も面倒だし。仮に優しく真面目という点がよく言われる長所だとしても、それはしばらく一緒にいない限り伝わらない魅力だよ。きっかけ作りが下手くそすぎ。その優しさとやらも、周りのコミュニティに対して我慢・妥協や諦念・嫉妬・鬱になっちゃうんだったらマイナスにしかならない。自分が一番わかってるでしょ。その個性溢れる趣味もそれ単一では個性的で輝くものであるかもしれない。でもそれを「誰かと時を共にする」としたら?もし自分と一緒に過ごすとしたら。しかもその容姿・度胸・心の強さじゃね。
この言葉も素直な自分の言葉。
自分は自分を認めてる。
でも 他者からは認められないし 正直事実、プライベートは実際未だ自信も持てていない。
自分自身が他者だとして 自分と一緒にいたいかと言われたら 素直にうんとは言えない。 変な人なのは自覚してる。それを自分以外の人が本質的に認める・理解してくれるっていうのは今は無理だってことも。
そこの評価は、10年前となにも変わってない。
自信がないから、戸惑う、わからない、仲が良さそうな人に会話を譲る(我慢・妥協)、会話や接触を避ける(責任・諦念)、自分が悪いんだ(自己批判)と自分を追い詰める。
仕事や自分自身に関しても初めはそうだったのかもしれない。
なにもできない自分を責めていた。それが少しずつ変化していって、今は「自分は自分らしくていいんだ」まで変化した。
でもプライベートは価値観も変わらない。いくら一人旅が楽しくても、いくら趣味が充実しているとしても。
未だにひとりぼっちという感覚は根強く、休日は孤独の恐怖や不安に蝕まれる。
ピンチをチャンスと捉えるなら ここから変えていくとも言いたいけどそんな簡単じゃないと思う。
自分は自分をちゃんと認めている。その趣味も素晴らしいし、しっかり自立に向け動けてる。
でもそれは自分だから理解し認めてあげられるのであって
他者(一般)からは認められない。未だに僕が認められるということがイメージできない。
それが、2019年1月。今の、本音。