同じ女性として主人公テスの立場にたって彼女の思いをたどったとき、本当に愛する人にこんな辛い事実を打ち明けなければならない彼女の苦しみ、心の葛藤を痛いくらいに感じます。テスはクレアを決して騙そうとはしなかった、何度も何度も打ち明けようとし手紙も書いた。でも彼の愛を失うのが怖くて打ち明けることが出来なかったテス。唯一彼女に責めがあるとすればそれは花嫁になったその日にクレアに事実を打ち明けたことだと思う。美しい宝石を身につけ、淡々と過去を告白した、その姿は決してクレアにとっては受け入れることが出来なかったと思います。そこには彼の過ちを許したのだから自分も許してもらえるだろうという期待、花嫁になったのだから決して彼が自分が捨てることはないという期待。こんな言い方は好きではないけれど、彼女の心の中の何処かにクレアが決して自分を捨てることはないという期待があったと思わざるを得ない点もあります。
それでも私は敢えてテスの立場に立ってこの映画は見たいと思う。(原作者も当時の厳しい社会風習のなか、テスを養護する立場でこのストーリーを書いたとありました) 愛のない関係に苦しみ、その人の子供まで産み、産み落とした子が幼くして死んでしまった。こんな気持は女性でなければ決して分からない苦しみだと思います。身体も心も傷つくのは女性の側であって男性は決してこういう思いを体験することはない。過去に愛した女性がいたとしてもクレアのように男性は「一つの事実性」として打ち明けられるけれど、女にとっての過去は「事実」ではなく「真実」なのだと思う。クレアが傷ついたのは彼女がクレアと同様に過去の出来事を「一つの事実」として打ち明けてしまったからでは?と思います。「事実」はあからさまに現実性をもち、動かし得ない絶対性を帯びてしまう。対して「真実」は心の中に存在し、徹底してテスの立場から過去の辛い体験として存在する。事実がどうであれ真実は彼女だけが知っているのだから。クレアが外国に行ったのは辛い真実を見つめるための距離と時間が必要だったのかも知れない。。他にも沢山この映画を見て感じることはありますが、恋は最も美しい幻想であるけれど、愛は最も深い真実であると、心から思いました。
それでも私は敢えてテスの立場に立ってこの映画は見たいと思う。(原作者も当時の厳しい社会風習のなか、テスを養護する立場でこのストーリーを書いたとありました) 愛のない関係に苦しみ、その人の子供まで産み、産み落とした子が幼くして死んでしまった。こんな気持は女性でなければ決して分からない苦しみだと思います。身体も心も傷つくのは女性の側であって男性は決してこういう思いを体験することはない。過去に愛した女性がいたとしてもクレアのように男性は「一つの事実性」として打ち明けられるけれど、女にとっての過去は「事実」ではなく「真実」なのだと思う。クレアが傷ついたのは彼女がクレアと同様に過去の出来事を「一つの事実」として打ち明けてしまったからでは?と思います。「事実」はあからさまに現実性をもち、動かし得ない絶対性を帯びてしまう。対して「真実」は心の中に存在し、徹底してテスの立場から過去の辛い体験として存在する。事実がどうであれ真実は彼女だけが知っているのだから。クレアが外国に行ったのは辛い真実を見つめるための距離と時間が必要だったのかも知れない。。他にも沢山この映画を見て感じることはありますが、恋は最も美しい幻想であるけれど、愛は最も深い真実であると、心から思いました。