「親子で行くアメリカ多国籍冒険ツアー」 | 「地球探検隊」中村隊長の公式ブログ【ビタミンT】

「親子で行くアメリカ多国籍冒険ツアー」

   誰よりも
   幸せになりたければ
   誰よりも
   他人を幸せにすればよい
     
福島正伸 

最近、 「親子で行ける旅はありますか?」という問い合わせが増えてきている・・・オレは家族4人で海外へ行く日も近いと思っている・・・。

昨日発行したメルマガ150号 にも掲載したが、隊員さとっちが、親子でアメリカを旅したレポートを送ってくれた。このブログでは帰国後のアンケートではなく、転載許可をもらったmixiの日記より抜粋して紹介したい。

なぜ、「さとっち」こと白川さんは父と参加しようと思ったのか・・・・・・。

●白川さん(茨城県・男性)

今回はアメリカ多国籍の旅を父と参加しようと思った理由を紹介したいと思う。まず父への還暦祝いをしたかった。

今まで父は60回も誕生日を迎えているが、俺はプレゼントを渡したことや「おめでとう!」と言ったことは殆ど無い。こんな状態だったので、還暦という大きなイベントがなければ、プレゼントやお礼の言葉が言い辛くなっていたので、還暦というイベントの力を借りた部分も大きい。

だけど、これ以外にも「寿命」という言葉も頭に思い浮かんだ。父は60歳ということで、平均寿命から考えると、人生の約3/4は生きていることになる。平均寿命から考えると、あと20年ぐらいは生きる計算になるが、あくまでも「平均」の寿命である。平均であるため、長く生きる人もいれば、そうでない人もいる。これは例外なく父にも該当するわけであり、平均寿命まで生きられる保証なんて何処にもないし、誰にも分からない。

しかしながら、人間、親はいつまでも生きているもんだと思う人が多いだろう。俺もかつては、そう思っていた。しかし、あれは9年前の9月の暑い時だった。俺がまだ学生であり、親のすねをかじっていたころ、母は51歳という若さでガンで亡くなった。末期癌であり手の施しようが無く、学生時代に得た乏しい知識でも、厳しい状況であることは十分分かっていた。

「な、なぜ俺の母が…」
何十回、いや、何百回、そう思ったが、学生であった自分には母に対して何も親孝行が出来なかった。唯一したことと言えば、亡くなった母の側で泣きまくったことぐらい。

「あの時にこうしておけば良かった」
という思いは数限りなくあった。

でも、そんなことを今更何千回、何万回言っても、母を連れて行くことは出来ない。だから、今生きている父だけにも一度ぐらいは親孝行したかったのである。親孝行として、温泉や美味しい物を一緒に食べるのも良いだろうと思ったし、父も最初は「黒川温泉とか日本で良い」と言っていた。陸の孤島へ異動する前は、九州に住んでいたこともあり、黒川温泉には何度も行き、その良さは知っていた。

だけど、俺としては、一度、海外を父と旅したいと言う思いがあった。自分が衝撃を受け、色々なことを感じたアメリカ、こんな場所を一度も海外へ行ったことがない父に見て欲しかったし、そこで何かを感じて欲しかった。


もう、母の時のような後悔はしたくない…
そんな思いもあった。

ただし、父にとっては初めての海外の旅であり、海外のことは何も知らない。父は俺以上に英語が出来ない。おまけに揚げ物や肉が大嫌いであり、アメリカのオイリーで肉だらけの食事に耐えられるかどうか不安であった。

一方、俺は食事は耐えられるものの、父をフォローできる英語力は全くなく、自分だけでもアップアップの状態になるだろう。

しかしながら幸いにも、俺の周りには「今と言う瞬間を大事にし、何でもトライしてみよう!」と言う素晴らしい考えを持った地球探検隊の仲間が居たのである。

こんな仲間が自信のない俺の背中を押してくれたと思っている。

そんな大切な仲間への感謝、不安と期待を胸に抱きながら、俺と父は多国籍の旅へ参加するため、アメリカへ渡った。


どんな旅だったか・・・
探検隊広報tancoのブログへ
>> http://ameblo.jp/tanco/entry-10076098727.html


        【夢七訓】

       夢無き者は 理想なし

     理想無き者は 信念なし

     信念無き者は 計画なし

     計画無き者は 実行なし

     実行無き者は 成果なし

     成果無き者は 幸福なし

 ゆえに幸福を求むる者は、夢なかるべからず

           渋沢栄一