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パインのブログ

パインが心に思いついたことを思いつくままに書いているブログ

終電の一本手前。


「今日は飲もう」とだけ送って

智矢をスナック「ヒロミ」へ連れていく。


用件だけの誘いは便利だ。

 

深刻すぎず、軽すぎない。

 

仲良しこよしの確認もいらない。

 

店のドアが“本文”で、LINEは件名みたいなものだ。

 

「いらっしゃい」


カウンターの向こうで、ヒロミさんがグラスをひと拭い。

 

照明を一段落として、店の呼吸が深くなる。
 

この“ひと拭い”が好きだ。

 

曇りは、とりあえず拭く。

 

考え方として健全。

 

三口めが終わったタイミングで、智矢が視線を落とす。
 

ここで来るやつだ、と心の中で身構える。

人はだいたい三口で本題に着地する。

 

一口目は世間

二口目は現場

三口目は自分。

 

「先輩、俺……人の輪に入るの、ほんと苦手で」
 

はい、来た。
 

「小さい頃、思ったことをそのまま口に出す癖があって。

で、嫌われて、グループから外されたことがあって。

そこからです。

輪の外が“正解”になっちゃって。

今も、端っこに立ってるのが落ち着く。

お客さんとも社内とも、表面は普通に話せてるんですけど

……裏側ではずっと“俺はうまくやれない人”って思ってる。

そんな感じなんです」

 

氷が小さく鳴る。
 

ヒロミさんは口を挟まない。

最後の語尾まで聞いてから水を置く。

 

まず水。

だいたい正しい。

 

「サーカスの象の話、知ってる?」と僕。
 

「象ですか」
 

「小さい頃、細い杭に縛られて、何度引っぱっても抜けない。

抜けない、という学習をする。

そのまま大人になって、体も力も増えて

本当は抜けるのに、頭の中では“抜けないもの”になってる。

そんな話」
 

「俺の杭、人間関係っすね」
 

「そう。

で、昔の杭は現実だった。

でも、今は違う。

だってさ、この前のC案レビュー。

耳(現場の声)を拾って

足(安全)も自分で詰めて

胴(法規)を条文番号で押さえて

牙(コスト・効果)を一行で出した。

鼻だけつやつやじゃなくて、ちゃんと象になってた」

 

「でも、たまたま運がよかっただけで」
 

「運だけで均斉0.46→0.52は上がらないよ。

1°振ったのは君」

 

ヒロミさんがコースターに小さく絵を描く。

 

杭と紐。
 

紐にはサインペンで

〈俺は人付き合いが苦手〉。
 

「杭は外じゃなく、中に刺さってることがあるの。

杭の正体はだいたい昔の言葉。

これをいまの事実で少しずつ置換していくのよ。

否定じゃなくて置換ね。

巧のお父さんの話“甕の水”と同じ。

清い水を入れ続ける。

途中でやめると濁る」

 

横に箇条書きが増える。
 

〈今日〉来客レビューOK/Aさん「楽でした」
〈昨日〉清掃さんの“水はね”拾えた
〈先週〉初対面の設計士に「説明がクリア」
 

こういうログは強い。

“昔の声”に、いまの証拠をぶつける。

だいたい効く。

すぐじゃなくても、じわじわ効く。

 

「智矢、Yes, ifでやってみない?」

と僕。
 

「もし可能にするなら、条件は?」

と自分で自分に尋ねるやつだ。


「……時間3分。

人数3人まで。

話題は具体オンリー。

これなら」


「いい。

3分実験でいこう。

輪の端に立ってていい。

合図が来たら一文だけ。

“同点なら歩幅”で。

『ここ、歩幅が楽になる案

一個だけあります』

——それだけ」
 

「たしかに、それなら言えるかも」

 

ヒロミさん、さらに補足。
 

「ハンドルの“遊び”ね。

少し余白があるから事故らない。

沈黙が怖くなったら深呼吸1回分の余白を自分に許す。

一期一笑でいいの。

二回笑おうとして空回りしないこと」
 

「二回笑って空回り、やりがちです」
 

「知ってる」
 

このやりとりで、店の空気がちょっと軽くなる。

 

笑いは潤滑油。

 

入れすぎはベタベタするが、一滴はだいたい正解。

 

ここで、サーカスの象・対処編をメモ化。

 

バラ撒き型の処方箋は、だいたい効能書きが短いと効く。

 

【杭ゆるめ手順】
1)ラベリング置換:

「苦手」→「3分なら可」
2)最小単位:

会話は一文、主語は“誰の歩幅”
3)出口先取り:

終わりの言葉「以上です、引き続きC案で」を先に準備
4)体感ログ:

心拍/手汗/声量を1~3で自己申告。

※嘘は不要。
5)杭確認:

出てくる昔の言葉をその場で1行メモ。

夜に置換。
6)打つ手∞:

外れたら別の一文。

※打つ手は無限、打たない手はゼロ。

 

説明している自分に、少しウケる。

 

説明は、だいたい自分に向けた手紙だ。

 

大人は回りくどい自分語りを“助言”と呼ぶ。

 

僕もたぶんその一人。

 

「……でも、あのときの既読スルーが、まだ怖いんですよ」

と智矢。
 

出た。

“昔の国民的名場面”。

たいていの人に一本はある。
 

「輪に入ると、また外される気がする。

杭、抜けるんですかね、俺」
 

ここで安請け合いはしない。

抜けるよ!と即答するのは、だいたい無責任の親戚だ。

 

「いまで決めないでいい」

と僕。
 

「明日の3分で決めよう」
 

意思決定のサイズを、心拍数に合わせる。

 

これはわりと万能。

 

ヒロミさんがグラスをもう一度ひと拭い。

透明が増える。
 

「怖いは悪者じゃないの。

合図。

怖いときは三つ揃える。

時間を短く

条件を小さく

出口を近く。

これで杭は少しだけ揺れる。

少しだけでいいのよ」

 

店を出ると、雨上がり。

 

路面が薄い鏡になって、逆さの街が足元にいる。
 

横断歩道の端で、智矢が言う。
 

「先輩。

明日、3分やってみます。

輪の端から一文だけ。

“歩幅が楽”のやつ」
 

「うん。

外れたらログな。

Yes, ifで条件を変えれば、打つ手は無限」
 

青になったので、渡る。

 

僕の胸の中ではカチッと音がした。

 

智矢の胸の中は、まだ静かだが、遠くで小さな揺れが始まっている。

 

音がしない揺れ。

 

だいたいこういう揺れが本物だ。

 

 

翌朝。
 

 

ノート。

三行で止める。

止めるのが継続の技術。

 

〈初めて〉3分の輪(智矢)
〈歩幅〉合図が出たら一文だけ
〈仮説〉昔の杭は“いまの事実”で揺れる

 

追記で“象テンプレ”も貼る。

六つ触って像にする、の簡易版。
 

鼻=動線(迷い秒数)

/耳=声(一言)

/足=物理(チェック1項目)

/胴=規準(条文番号だけ)

/しっぽ=運用(手が届くか)

/牙=効果(一行)
 

※全部をやると倒れる。

今日は二つだけでもいい。

 

木を見てから森に行く。

 

鼻を触ってから象にする。

 

ここでナレーション的に、サーカスの象・補足。
 

大人の象は、杭を抜ける筋力がある。

でも、抜けないという文章が、頭の中に常時表示されている。
ならば、やることはひとつ。

文章の上書き。
 

〈抜けない〉

→〈3分なら抜ける〉

→〈この条件なら抜ける〉

→〈抜けた〉
 

地味だが、表記は強い。

 

案内板に「出口→」と書いてあれば、人はそっちへ歩く。

 

頭の中の案内板も同じ。

 

 

夜。
 

 

三行の下に小さな報告欄を作るスペースを、朝の自分が残していた。

 

朝の自分は、夜の自分の編集者だ。
 

空欄に何が入るかは、まだわからない。

 

わからないままスペースを取っておく。

 

余白は、だいたい味方。

 

最後に、あえて断言しないで終わる。
 

「そうなのかな……」

と、智矢は半分うなずいて、半分首を傾げた。
 

半分の信じるで一歩。

 

一歩の手触りで次の半分。
 

その連鎖の先に、たぶん杭が抜ける日がある。

 

抜けなかったら?

 

その日は引っこ抜かない日だったというだけ。

 

杭は逃げない。

 

こっちも逃げない。

 

塞翁が馬、だからこれで良し。
 

明日は3分。

 

輪の端から一文。

 

歩幅が楽になるやつ。
 

——それでダメなら、別の一文。

 

打つ手は無限。
 

知らんけど。