哲学と美学 | エキスパートアイズのブログ

哲学と美学

最近のニュースときたら、セコい都知事の話題ばかり。
よほど日本は平和なのでしょう。

あの人、本当にセコい。
都知事を辞めるまで、マスコミも叩き続けるでしょうけど、なんで辞めないのかしら?あそこまでいろいろ暴露されたら、普通の神経じゃ、恥ずかしくて一刻も早く人前から姿をくらましたいと思うだろうに、やっぱり政治家はあそこまで厚かましくないとやってられないのかな?

違法性があってもなくても、あの人のやったことは、自分の利益を得るため。だから大衆から嫌われるのよね。

仮に違法なことだとしても、個人の利益のためではなく、大衆に利することであったなら、頭でっかちの司法の人間は罰を与えても、大衆はその人を讃えるでしょう。

例えば、ブラック企業の強欲社長が、社員の努力で得た利益を社員に分配せず、自分一人で搾取していたならば、それを見かねた優秀な社員が、会計操作で会社の利益をピンハネし、そのお金を社員全員に分配したり、もっと大きな話なら、そのお金で別会社を作って広く公共に役立つ活動を展開させる、とかだったら、いったいどちらが悪者なのでしょう?
会社のお金をピンハネした社員は、法律上では確かに違法かも知れないが、それじゃあ、利益を搾取して正当に分配しないブラック企業の社長は、法律に触れてないから問題ないのか?
違うよね。
法律上ではピンハネした社員は悪だが、大衆心理では、ブラック企業の社長が悪で、ピンハネしたお金を公共に役立てた社員の方に軍配を上げたくなるでしょう。
ピンハネ社員だって好きでピンハネしたわけじゃない。ただそうでもしないと、法に触れるか触れないかスレスレのやり方でも取らない限り、強欲な守銭奴から自分達の本来受け取るべき領分を奪い返す方法はないからね。しかも、強欲守銭奴は私腹を肥やすためだけにお金を搾取しまくるが、他方ピンハネ社員はもともと利益は公共に還元するものだという高い理想を掲げていたとすれば、使命感からピンハネしたとしてもおかしくない。
法律さえなければ、本当はどちらが悪いか、火を見るよりも明らかです。

そう考えれば、法律なんてほとんど意味をなさなくなる。
法律に触れてないなら、違法性がないなら、何をやっても許されるなら、もはや人間を信じることなんてできなくなります。

例えばもっと下世話なことだと、女性は交際していたつもりだったのに男性はただの遊びで、うまいこと女性を利用したあげく、面倒くさくなって酷く侮辱して女性を捨てた。よくある話ですがね。その女性が復讐して自分をないがしろにした男性を殺したとしたら?法律上では殺人罪で懲役刑でしょうが、大衆心理では、男の方が悪かったんだから殺されても仕方ない、と思いますよね。
そういうことだ。
所詮法律なんてその程度の意味しかない。
言うなれば、日本の刑法はそうなった背景を無視した欠陥品でしかないのです。
だから、法律が本当の悪人を処罰しないなら、大衆の力で悪人を懲らしめるしかない。

今回は、マスコミ頑張れ、と思いますね。
そして都議会も都民も徹底的に追及して白黒はっきりさせることを期待します。

お金に関わる問題は、政治の場でも民間でも頻繁に発生しますが、善か悪かの判断は、公共のために使ったのか、それとも私腹を肥やすためだったのか、そこを見極めれば良いのでは?
仮に違法性があっても、公共のために行い、実際に公共の役に立っていたなら、その行為は許すぐらいの寛大さがほしいもの。
逆に、法律に触れてなくても、私腹を肥やすための行為は、徹底的に処罰すべき。

とにかく、政治であれ民間であれ、上に立つ人間は、常に大衆のために行動すべきであり、大衆のために力を注ぐことを「哲学」としなければいけないでしょう。

あの都知事には、この哲学も美学もない。
美学があれば、ここまで恥を晒されたら潔く退任するはず。
でもそれをしない。
だから、みんなから嫌われて「辞めろ、辞めろ」と言われるのでしょうね。