知れば知るほど嫌いになる | エキスパートアイズのブログ

知れば知るほど嫌いになる

またまた久しぶりです。
1ヶ月は書いていないと思っていたけど、前回から意外とまだ日にちは経っていなかった。
その間、とても忙しかったです。
ブログなんかにかまけている暇がないほど。

中国に行ってました。
正確には「チベット」なんですけど。
でも、中国人に言わせると、「中国に行ったのですね」。
そりゃ、昔は独立国家のチベットも、今じゃ中国に吸収合併されてしまってますので、中国の一部であることには間違いないが・・・。
それでも日本人は、特に旅行が好きな日本人は、中国とチベットを別のものと考えている人が多いのではないでしょうかね。

少し話をずらしたところからアプローチしてみます。

人間関係が難しいことは、もうイヤというほど経験していますが、初めて会った人に対する感情を、時間の経過とともに観察すると、最初に少し興味があると、その人のことを知りたくなって、ある段階までは好意的に接するようになります。ところが、ある段階を過ぎると、徐々にその熱が醒めてしまうこと、よくありませんか?
相手のことをまだよく知らないうちは、「知りたい」欲求から相手をひいき目に見ていることが多い。多少考えがかみ合わなくても、それを見なかったことにしている。男女関係でもそうですけど、好奇心や興味が「好き」の感情に変わっていきますよね。
ところが、相手をかなり知ってしまい、ピークに達すると、それ以上相手の良い点が見えなくなり、今度はイヤなところばかりが目だってくるようになる。以前は「かわいい」と思っていたわがままが、鼻について我慢できなくなったり、相手の食事マナーや躾の悪さに嫌気が差したり。そして、あんなに興味があったのに、急に嫌いになってしまう。
だから、恋愛は相手にあまり自分を見せてはいけない、見せすぎると興味を失って他へ行ってしまう、というのですけどね。

私はもう恋愛はどうでもいいので、普通の人間関係の話をしますが、つまりは、知れば知るほど嫌いになってしまう人、というのがあるのです。
もちろん、お互いにあまり知らないうちは、各々が自分をすべてさらけ出すことはせずに、多少猫をかぶって「いい人」を装っていることが往々にしてあるので、それですっかり騙されて、「いい人」だと思い込んでしまう。ところがお互いが知り合ううちに、だんだん本性を表すようになり、「こんな人だと思わなかった」という残念な結果となるのですけれど。

私の場合は、「中国」または「中国人」に対する感情が、まさにこれでした。

もちろん、日本人でも、最初は気になって興味を抱いていたが、その人をよく知ると、素行の悪さや頭の悪さ、性格の悪さ、とにかく悪いところばかり目に付いて、最後は同じ空気を吸うのさえイヤになる人は、山のようにいますけどね。

中国に話を戻すと、はじめ、中国のことはそれほど嫌いではありませんでした。
どちらかと言えば、普通よりやや好きなほうだったかも。
(トイレが汚いことだけは、どうしても許せないですけどね)
特に、個人的に付き合いのある中国人は、わりと親切なほうだったので、日本人より頼りになると思うこともしばしばありました。
それで、もっと知りたいと思い、中国語を本格的に学習し、少しは話せるようになりました。
言語ができるとできないとは、相手(または相手国)の理解度がぜんぜん違いますからね。
中国語ができれば、もっと中国人の考えを理解できるようになるだろう、と。

たしかにそれは間違っていなかった。
ただ、理解した結果が、当初の思惑と正反対になってしまった、ということです。


私が理解した中国および中国人の特徴。
・わがまま、がんこ、見栄っ張り
・相手にあわせようとする気がない
・お金を払えば何でもやってもらえると思っている
・自分が得た知識が絶対間違っていないと確信している
→だから、世の中にはいろんな意見があるのに、自分と対立した意見を言われると逆上する
・自分の国のルールは全世界で適用していいと思っている
→だから、どこでも大声で話すし、列に平気で割り込むし、ゴミをそこらじゅうにポイ捨てするし・・・。挙げだしたらキリがない。
・プライドが高い
→自分の国にあるものが世界一だと思っている。特に観光資源。だから「中国に行けばもっとスケールの大きな立派なものがいくらでもある」と言って、日本の観光資源を見下す。
・相手の文化や習慣を尊重する気がさらさらない。
→チベットで、これでもかというほど見てきました。

こんなところかな。
他にも、接触するたびに鼻につくところは増加してくるのですけどね。

特に深刻なのは、最後の「相手の文化や習慣を尊重しない」というところだと思います。
後から侵略して手に入れた国や地域であっても、旅行で訪問した国や地域であっても、相手の国のルールに従おう、相手の国の文化や習慣を尊重しよう、「郷に入れば郷に従う」という気持ちがまるでないのですよね。

これは日本も他人事ではありません。

以前は、「静かで清潔でマナーの良い国」というのが日本の売りだったはずです。
ところが、最近、少しずつ日本が乱れてきていると思いませんか?
以前はゴミひとつ落ちていなかったのに、最近は道を歩いているとあちこちにゴミがポイ捨てされていたり、痰が吐かれていたり。電車では少なくとも首都圏では「足を組んで座るのはマナー違反」だったはずなのに、最近はあの天下の東横線ですらみんな足を組んで座っている。電車やバス内で携帯で話すこともマナー違反なのに、最近は平気で話す人が増えて、注意すると逆切れする。人気で大行列のレストランや食堂では、以前は、並んで待っている人のことを気にして食べ終わったらさっさと退席するほどの気遣いがあったのに、最近は、どれだけ大行列があろうと、一度席に着いたらそれこそ「自分の権利」とばかりに、食事が終わってもずっと喋り続けて待っている人に譲ろうとしない。
さすがに、日本人で列に割り込んでくる人は、関西のオバチャン以外にあまり見たことはありませんが、それ以外の上に列挙したようなことは、最近は日本人でも目に付くようになってきた。
マナーを知らない中国人や東南アジア人やイスラム人だけの話じゃないんです。日本人でもこの悪い素行を真似するようになってきた、そのことが深刻な問題だと思うのです。

以前少し触れたと思いますが、「悪貨は良貨を駆逐する」、まさにそのものだと思います。

何事も、良い行いをするより、悪い行いをするほうがラクです。
良い行いをするということは、自分を常に律していなければいけないからです。
自分に厳しくするより、自分を甘やかして怠惰にしているほうが、何倍もラクなのです。
だから、人間は簡単に悪いほうへ流されてしまう。
せっかく良い習慣が身についたとしても、悪い習慣の甘い誘惑に周囲を包囲されてしまえば、人間は簡単に陥落するのです。

だから、最近の日本人のマナーが悪化してきている原因は、最近の外国人の大量来日に関係していると思っています。
洗練された西ヨーロッパのハイソな人が大量に来てくれるならいいのですが、どう見ても日本より文化レベルが劣っている国々から「お金の力」だけで大量に人がやってくる。成田空港や関空で「日本に来たら守ってもらうべきこと10か条」(もっとあるだろうけど)なんかを配って、周知徹底してくれればいいのですが、なにしろ日本の総理大臣は「経済さえ上向けばそれでよい」と思っているノータリンなので、日本の文化や習慣が乱れようが、そんなことどうでもいいのです。
「外国人が日本でモノを大量に購入して、大金を落として行ってくれれば、それでいい」
残念ながら、今の日本のトップは、それしか考えていないのです。

「中国の侵略の脅威に備えて」と安保法案を無理やり通したり、日本の軍事力を増強しようとしたりしていますが、さすがの中国でも、そんなあからさまな侵略は、日本に対しては行わないでしょう。何しろ世界が注目しているわけですからね。
ところが、穏やかにしかし確実に人が移入してくること、を見落としていませんか?
現在日本は人口が確実に減少しているはずなのに、東京を中心に首都圏のあちこちで新築や中古マンションの需要は衰えるどころか増加しています。
いったい誰が買っているのか?
間違いなく、中国人です。
どうやって入ってきたのか、どうやって(何の資格=ビザで)住みついているのか、入国管理局はいったい何をしているのか、私には理解できませんが、それでも、日本に住み着く中国人の数は確実に増加しています。しかも、ここ最近、急激に。
観光客みたいに、来て、モノを買って、すぐに出て行く、のなら多少の素行の悪さも目を瞑りますが、住み着かれたらたまったものではない。
もちろん、中国人だけでなく、東南アジアやインド、イスラム人も同様ですが、やはり人数的に中国人がダントツです。
そして、話が帰結するのですが、日本に移住してくる外国人が、日本の文化や習慣を尊重して、日本のルールに従って生活してくれるのなら、それほど問題視しないのですが、そうしないから困るのです。そうしないから嫌いになるのです。そうしないから出て行ってほしくなるのです。

チベットで見た現状。
チベット第一の町ラサでは、すでに中国人(チベット人は「漢民族」と呼んでいた)が半数以上になってしまい、土着民のチベット人が「少数派」になってしまっている。
地方に行けばまだ漢民族の割合は少ないのですが、それでも、ある村では「チベット人が8人に1人しかいない」と揶揄されている「八一」という町名の村もあります。
チベット人は敬虔な仏教徒。学校で仏教教育を行わずとも、生まれたときから家庭内でしっかり躾けられてきているので、その習慣を誰も疑わずに現在でもしっかり尊重している。
一方で、同じ町で生活しながら、まったく宗教心のない漢民族は、商売のことしか考えていない。
そして、その二つの民族間に、特にチベット人が漢民族に抱く「嫌い」の感情は大きく、(中国政府が監視しているから)あからさまに表現できなくとも、この先どこまで行ってもお互いが友好的になることはできないのだろうな、と外部の私でさえ感じてしまいました。

それを見て、私は思った。
日本も、いずれそうなってしまうのでは?
このまま、外国人の移住を簡単に許し続けていけば、いずれ日本もチベットのように、本来の土着民であったはずの日本人が「少数派」になり、移民であるはずの中国人が日本を支配する日がやってくるのでは?

あー、やだやだ。
私は静かで清潔な環境で暮らしたいのです。
一日じゅう、たとえ一人であっても(携帯で)話し続けているような中国人との共存は絶対ムリ。
「中国の脅威に備えて日米の軍事協力」なんてバカみたいな絵空事に躍起になっていないで、もっと現実的に、「穏やかな侵略」のほうにフォーカスして対策を練ってもらわないと困りますね。

今住んでいる人を強制退去させるのは難しいとしても、もうこれ以上移住させないようにだったら何とかできるでしょ。
中国人に限らず、他の民族も、例えばインド人とかイスラム人であっても、ある特定の民族ばかりが人口の大きな割合を占めてしまうのは非常に危険。
日本は、あくまでも日本人の割合が50%を切るようなことはあってはならず、その他の民族の割合がほどほどに割り振られているのが良い。たとえば日本人割合が60%、中国人+韓国人10%、東南アジア10%、インド人5%、イスラム人5%、アフリカ・南米系5%、欧米人5%とか。そして、それ以上になれば、移住は締め切りにするのが良い。

そんなことを言う私は、国粋主義者ですか?
でも、チベットの現状や、カナダやオーストラリアなど中国人が大量に移入して困ってしまっている国の状況や、シリア難民を受け入れすぎて住民と対立してしまっているドイツの状況など、他の国々の失策を見てみれば、日本は手遅れにならないうちに対策を採ることが大切なのでは?
そして、実はそうすることが、何でも寛大に受け入れすぎて後で紛争の火種になることを避け、結果的には民族間が敵対せず友好的に共存する近道になるのでは、と考えます。

軍事力増強なんて、非現実的すぎるし今の日本には不必要。
経済復興なんて、どうせ一部の利権者が肥えるための手段でしかありえない。
そんなことより、日本の文化と習慣を守り抜くことを、もっと真剣に考えてほしいものです。

日本で中国人が「多数派」になった時は、私は日本を捨ててどこか他のマシな国へ亡命するでしょう。

あ、大事なことを言い忘れていました。
私は、中国を嫌いな前に、アメリカが大嫌いです。
アメリカも中国同様に、実に無礼極まりなく、傍若無人な国です。
それなのに、表面的に友達ヅラしているところが下心ありありで、まったく信用できない。
「アメリカが嫌いだ」ということは大前提にあります。
そのことは、お忘れなく。