10月11日(月) 今日のすること ・ 保育園での仕事 💮・ paypayにコンビニで入金。使ってみる
10月12日(火) 今日のすること ・ 仕事の見通しを立てる
10月13日(水) 今日のすること ・ 一人用の土鍋とお鍋のもとを買う
10月14日(木) 今日のすること ・ 日記の振り返り
10月15日(金) 今日のすること ・ 友人とランチとお茶をする
10月16日(土) 今日のすること 💮・ 朝、カフェで日記の振り返りと月1の報告 ・ 職場の子への誕生日プレゼントを買いにshiroに行く
・ 午後、知人とお茶をする
10月17日(日) 今日のすること ・ 大学の仕事 ・ 翌日幼稚園での仕事の予習
昨日は最近知り合った人とお茶をしたり、当日お誘いが来て急遽友人の実家に夜ご飯を食べに行ったりと、ほぼ1日人と過ごしていた。
人と話すことは楽しくて、良い刺激になることがたくさんあるけれど、人と過ごす時間が多くなると、だんだんと消耗していく。
たとえ良い刺激であっても、続くと疲れてしまう。
そうすると、1人の時間が欲しくなる。
家で自分のペースでのんびり過ごしていると、だんだんと消耗された部分が回復してきて、エネルギーが貯まっていく。
“今日のすること”以外は“何もやらなくていい”って決めてただひたすらのんびり。
自分のためだけに、1人でのんびりと過ごすことができる時間はわたしにとってはかけがいのないもの。
エネルギーが貯まってくると、また人に会いたいなという気持ちになっていく。
この繰り返し
今日は1日家でのんびり。
雨降りでひんやりとした空気の中、部屋で珈琲を飲んでぼんやりしたり、窓の外から聞こえてくる鳥の鳴き声なんかを聞いていると、
じんわりと穏やかな気持ちになっていく。
そんなのんびりおうち時間に読んだ絵本。
シルヴァスタイン作の「ぼくを探しに」
大好きな絵本。
だめな人と だめでない人のために
最初のページの一文。
“どんな人でもいいんだよ”と受け入れてもらえるような温かさ。
何かが足りない
それでぼくは楽しくない
足りないかけらを探しに行く
自分に欠けているものを探しにぼくは旅に出る。
不完全なぼくは、決して速くは進めない。
ゆっくり転がりながらぼくは進む。
暑い日も、雨の日も、雪の日も。
ぽかぽか陽気の日だってある。
速くは転がれないから、ぼくはみみずとお話ししたり、いい香りのお花を見つけたり、かぶとむしと追いかけっこをしたり。
足りないぼくのかけらを探しながら、色んな出会いを経験する。
ある日、やっとかけらに出会う。
でも、かけらはぼくに向かって言う。
ぼくはきみのかけらじゃないからね。
誰かのかけらでもないからね。
ぼくはがっかりした。
「じゃましてごめん」そう言ってまたかけらを探して進みだす。
次に見つかったかけらは小さすぎ。今度は大きすぎ。
尖りすぎたり、角ばりすぎ。
ようやくぴったりしたかけらを見つけたのもつかのま、落としてしまった。
今度はきつく咥えすぎてこわしてしまった。
そんな出会いと経験を繰り返して、やっとぼくは、ぼくのかけらを見つけた。
ぼくにぴったりのかけら。
ぼくとかけらはぴったりとはまって、まんまるに。
まんまるになったぼくは前よりずっと速く転がれる。
あまりに速く転がれるから、花の香りもかぐことも、虫とお話しすることもなくなった。
歌さえもうまく歌えなくなってしまった。
なるほど
つまりそういうことだったのか
ぼくはかけらをそっとおろす。
かけらをおろしたぼくは、1人ゆっくりころがっていく。
「ぼくはかけらを探している。
足りないかけらを探している。」
ころがりながらぼくはまた歌う。
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足りないかけらは何だろう
自分にとって苦手なこと、自信のないこと
もしくは恋人だったりパートナーだったり、家族だったり
あの人にはあるのに自分にはないものだったり・・・
たくさんのないものねだりや問題探しをしてしまいがち・・・
かけらさえ見つかれば、もっと生きやすくなるはずなのに・・・
もっとしあわせになれるはずなのに・・・
でもそれって本当だろうか・・?
シンプルな絵と文章だけど、とても深く、見る時期や年齢、人によっても色んな解釈や感想になる絵本。








