僕は、子供の頃からSFに取り憑かれたオタクである。
きっかけは、多分、スターウォーズではない。
SFに分類されることが多いけれど、あれはファンタジー。
はるか昔の魔法(フォースwwww)物語。
僕がSFに傾倒したのは、たぶん「2001年宇宙の旅」がきっかけだと思う。
大人になるころには、こんな世の中になっているのかな?と思いながら育った。
現実は、醜い実験棟が宇宙に浮かんでいるだけ。
トーラス型のスペースステーションも、宇宙のハイアットホテルもなし。
滑らかな楔形の旅客スペースシャトルなんてどこにもない。
寂しいものだ。
でも、そんな寂しさは些細なこと。
心が痛むのは、世の中の大勢の人が人類の未来を何も憂いていないこと。
例えば、温暖化によって江戸川区や葛飾区、足立区は、再び海になる。
でも、そこに住む人たちですら、まったく心配していない。
なぜなら、自分が生きている間に起きることではないから。
SFオタクの俺には、どうしてそういう思考になるのか理解できない。
SFオタクは、人類の未来が果てなく続く物語を貪り食って心を形成している。
だから、人類が地球にとどまって亡び去る未来なんて我慢できない。
地球の外には化石燃料なんてないのだから、核の力や真空の力を駆使するのは当たり前。
原発反対を唱える近視眼的で自己中な人間になんてなれっこない。
なぜ人には知性があるのか?
SFオタクにとって答えは明白、「生き残るため」に得たチャンスなんだよ。
9億年後、地球から植物が消え、酸素がなくなり、微生物しかいない世界になる。
人が宇宙に進出しなければ、このチャンスを棒に振るだけ。
たぶん9億年も待つ必要がなくて、温暖化や氷河期の再来、小惑星の衝突で消え去るだろう。
これをいくら大声で叫ぼうと、大半の人の心には届かない。
なぜなら彼ら彼女らの人生には関係ない話だから。
心が狭過ぎて、人類の未来を憂う余裕がない。
宇宙開発より年金や医療の方が大事だと本気で思っている。
滅び去る道を進むなら、どうでもいいことじゃないか。
SFオタクには、宇宙飛行士やNASA、JAXAの人たちと同様に、人類の種としての未来を憂う気持ちが心のど真ん中にある。
もし、月や火星、金星あたりに自立可能なコロニーが建設されたら、安心して三途の川を渡ることができる。
SFオタクは、自分のちっぽけな財布だけが心配なウマシカにはなれないのだよ。