no_NAMEのレコーディングやワンマンライブなどで、一旦レストランのアルバイトをやめていた俺は、当然、収入が安定しないので、日雇いバイトをしながら、生計を立てていた。

そんな、日雇いの、とあるステージ設営の会社でアルバイトをしていたときに、アメリカ出身のバンドマン「Kenny」と出会った。
Kennyは兄Owenとバンドをやっていて、ドラムをやっていたが、ギターと歌が上手なナイスガイだった。
そんな彼のバンドが渋谷でイベントをやるということで、さっそくメンバーで見に行ったのだ。


 


そこは、渋谷の道玄坂を少しあがり、あやしいラブホテル街の一角にひっそりとたたずむ、小さな小さなミュージックBARだった。

そのBARこそ、渋谷「RUBY ROOM」だ。


外国人が経営しているその「RUBY ROOM」には、海外特有の「OPEN MIC」というシステムが存在した。
彼に紹介され、初めて渋谷RUBY ROOMの毎週火曜日に行われている、その「OPEN MIC」に参加した。

当時の「RUBY ROOM」はお客さんも、アーティストも、数人しかいなくて、閑散としていた。

システムはこうだ。

開店18:00前にお店に並んで、開店と同時にサインアップを行う。
つまり、演奏したい時間帯にサインするのだ。

そして、その時間になったらお店に入って、2ドリンク分のチャージ1000円を支払い、3曲15分という制限の中で演奏することができる。
海外では主流のシステムだ。

日本のライブハウスだと、30分のステージに、チケット1500円を25枚ノルマとかそういうシステムで、出演料をバンドマンから徴収し、ライブハウスが経営されている。
このシステムが当たり前だと思っていた俺たちにとっては、この「OPEN MIC」というシステムには、本当に驚かされた。
だって、無料でライブができるのだから。


当時のバーテンをやっていた「MASA」くんが、初めてのRUBY ROOMでの演奏直後に、俺たちに酒をおごってくれて、

「絶対また来週もきてください!!めちゃめちゃかっこよかったっす!!」と

絶賛してくれたのだ。

YOU平脱退後に、3ピースバンドになり、バンド名も「バンキンガール」に改名し、ゼロからのスタートをやりたいと思っていた俺たちにとって、

ここ渋谷「RUBY ROOM」はまさにうってつけの場所だった。


外国人が経営するこの小さなBARには、さまざまなミュージシャンが演奏する場所を求めてやってくる。
アメリカ、ドイツ、フランス、イギリス、ニュージーランド、オーストラリア、アイルランド、スウェーデン、、、、、、。
本当に世界各国から日本にやってきた人たちが、口コミで「RUBY ROOM」に集まってくるのだ。
お客さんも、演者もほぼ8割が外国人で、ここは本当に日本なのか??と思ってしまうほどだった。
好き嫌いがはっきりしている外国人のリアクションは、俺たちにとって新鮮で、やりがいがあった。



 

言葉の壁。

日本語の歌では伝わらないのではないか。
最初は、やはりそれが心配だったが、
毎週出演していくうちに、徐々にお客さんの心をつかんでいく自分たちがいた。
 

ステージなのだ。ライブなのだ。
その激しい動きや、顔の表情、そしてメロディーで、確実にお客さんにつたわるのだ。

俺たちは毎週必ず出演した。

雨の日も雪の日も台風の日も、必ず毎週火曜日夜10時に出演というスタイルをやり続けた。
そして、会う人会う人に、9曲入りのフリーCDを配りまくった。


3曲15分のステージ。

半年もたたないうちに、火曜日のRUBY ROOMの夜10時はお客さんで一杯になっていた。

「ワンモア!ワンモア!」
とアンコールまでもらえるようになり、必ず演奏し続けた「本当の気持ち」を、外国人のお客さんたちが覚えてくれて、一緒に歌ってくれるまでになったのだ。




俺たちはこの現象に酔いしれていた。


この小さな小さな「RUBY ROOM」の中では、まさに王様気分になっていったのだ。


決まってこの火曜日は、夜10時のライブを終えると、夜更けまでRUBY ROOMに入り浸っていろんな人とフリージャムセッションをやったり、音楽の話で盛り上がったりしたものだった。

俺たちの演奏時間くらいに来店し、23時~から必ずサインアップして演奏するバンドがいた。

そのバンドは、曲を一切決めず、ステージ上ですべてを作り出す、スーパーセッションバンドだった。

俺たちは、彼らの演奏に毎週釘付けになったものだった。

毎週毎週繰り出される多種多様なサウンドとリフ。3ピースバンドのそぎ落とされたシャープなグルーブ。
かと思えば、本当に3ピースバンドなのかと思わせるほどの広がりと壮大な世界観を音で表現することも出来る彼らの演奏は、毎週楽しみの一つだった。

そのバンドこそ、
バンキンガール後期にギターを担当することになる「Kくん」が率いる「SHAMANS(シャーマンズ)」だった。
Kくんとジャーナリストの「U氏」、オーストラリア人の「ジェシー」からなるこの3ピースバンドとの出会いは本当に大きかった。

そして、すべてのアーティストの演奏終了後に始まる、お決まりのフリージャムセッションでの出来事だった。
俺たち「バンキンガール」でジャムセッションをやっていたときのこと。
お客さんから「本当の気持ち」が聴きたいとリクエストがあった。
そのときに、Kくんがギターを抱えて、飛び入り参加してきてくれたのだ。
そして、完璧に弾きこなし、コーラスでハモリを入れてくれた。
そのときに、まるでもう一人の自分が歌っているような感覚を覚え、カラダに電気が通るような衝撃に襲われた。

「この人はすごい!」

ギターの腕はさることながら、コーラスの相性がぴったりだったことになにより驚いたのだ。
それ以来、病み付きになってしまい、たびたびRUBYのステージ上からKくんにアイコンタクトで、飛び入り参加を要請するよう
になっていった。


2005年、
武者修行としてはじまったRUBY ROOMでの15分のステージ。
2006年に入り、夏を迎えるかというころになると、武者修行の場から、完全に「居心地のいい場所」になっていた。


このままではいけない。
本当に素敵な場所だけに、俺はそこに安住してしまうことを恐れた。


そんなころ、「バンキンガール」の転機となる出来事が。



つづく。