末日聖徒イエス・キリスト教会 大和ワード

 

末日聖徒イエス・キリスト教会が2024年3月に294億円でカートランドやノーブーの所有権を買い取り、信者は大喜びです。
 しかしこの神聖な場所は、教祖ジョセフが30人以上もの女性たちに求婚し、半強制的に妻にした場所でもあるのです。
女性たちの苦しみを本人たちの日記等から引用します。

●14歳のヘレン・マー・キンボールとその母バイレイトの苦しみ

「ジョセフが来て言いました。
『もし私と結婚すれば、あなたは確実に昇栄するでしょう、あなたのお父さんとその親族全員も昇栄するでしょう。』
この約束があまりにも偉大だったので、私はこのような報酬を買うために自分を捧げることを決めました。、、でも、神さまと天使たち以外は私の母の苦しみを知りませんでした。」
 「母は、自分や他の多妻婚の妻たちが受ける苦しみを自分の15歳にもなっていない一人娘が経験するのがわかっていたので苦しんだのでしょう。多妻婚の結果、太陽が昇るように確かに訪れる惨めさを、その苦しみをいつか娘が感じる日がくるとわかって。」

16歳のルーシー・ウォーカーの苦しみ
1842年、予言者ジョセフ・スミスがこう言いました。
「私は神から命令されて、別の妻をめとるようにと言われました。あなたが新しい妻です。」
 「私はこれ以上もないくらい驚きました。いなずまに撃たれたような感じでした。彼は、私が彼を予言者として信じるかと聞きました。”もちろんです”と私は答えました。するとジョセフは、日の栄の結婚がどのように家族を一つにするか説明しました、、、そしてこれが私の父とその家族に永遠の祝福をもたらすと言いました、、。」
 「死んだお母さんと一緒に墓に入れたらいいのに!」
 「なぜ?なぜ私なの?お母さんは死んでしまって、お父さんは遠い所にいる、この苦いさかづきを私から取り去らせて下さい。苦しくて、苦しくて、祈ったのです。」
  次の年になって、ジョセフは又、ルーシーと話をした。そして、結婚は秘密にしなければならないが、ルーシーを妻だと、ロッキー山脈を越えるくらい、認めようと言った。
 「これは神からのあなたへの戒めです。明日まで時間をあげましょう。もし、あなたが拒否するなら、門は永遠にあなたへ閉ざされるでしょう。」
「私はまるで自分が生きた捧げものにされているように感じました。、、、とても耐えられないと思いました。」

エミリー・パートリッジの苦しみ
1842年春、エミリーはこう書いている。
 「18歳の時、ある日ジョセフが言ったんです、『エミリー、もし君が私を裏切らないというなら、君にとって為になることを教えよう』。もちろん私は彼の秘密を守ります、、、、」
 ジョセフは手紙をくれると言った、読んだら燃やすようにと言って。一人で祈った後、エミリーは手紙がラヴレターだと感づいたので、もらうのを断った。自分の雇い主であり、父親のような、霊的なリーダーからもらってはいけないと思ったのである。
 エミリーはこのことで大いに悩んだ。母にも、姉にも話してはいけないと言われたことが更に辛かった。
 
ヘンリーの妻ジーナの苦しみ
ジーナはヘンリー・ジェイコブスと交際している時、教祖ジョセフからプロポーズされたが断った。
ジーナは日記にこう書いている。
 「おお、神様、私に知恵を下さい!主よ、正しい道を教えて下さい。あなたのみ旨が行われますように。
知性をもって私たちを照らして下さい。」
 ジーナはヘンリーと婚約し、教祖ジョセフが結婚式を挙げるはずだったが当日ドタキャンした。それで違う人が式を挙げてくれた。 
後にジョセフは、「主がジーナは私の永遠の妻になることになっている、と言ったからドタキャンしたんだと言い放った。
 記録によると、ヘンリーはこれを受け入れたが、ジーナは非常に苦しんだという。
 当時のモラルは非常に高く、女性は夫婦の絆を大変清らかなものとして尊重していたからである。
多妻婚だけでもおぞましいのに、多夫婚など、とても受け入れらたものではなかった。
 
 1841年10月、ジーナの兄のディミックが、ジョセフ・スミスからのメッセージをジーナに伝えた。
内容は「さやから抜いた剣を持った天使が現れて、『もし一夫多妻をやらなければお前は今の地位どころか命も失うぞ!』と私ジョセは脅されたのです。」

自分がジョセフと結婚しないと彼は殺されてしまうと思ったジーナは結婚をする決意をする。

エマ・スミスの苦しみ
 教祖ジョセフは若い女性たちを自分の家に住まわせ、妻のエマは彼女たちを我が子の様にかわいがりました。
しかしその裏で、夫ジョセフは女性たちに求婚し、結婚し、何度も肉体関係を持ったのです。それがわかった時、エマは彼女たちを家から追い出しました。
 親友エライザの事件はひどいものした。
ーチャールズ・リッチが目撃したのはこうである。
「ドアが開いて妊娠していたエライザが出てきた。ジョセフがエライザに近づいてキスをし、リッチ兄弟の方へ階段を下りてきた。
ジョセフが一番下まで下りた時、階段で何か騒ぎが起こった。リッチ兄弟とジョセフが見上げると、エライザが階段からあっという間に転かり落ちてきた。エマがエライザを押したのだ。
 怒りと嫉妬で階段の一番上にエマは立っていた。顔は地獄の絵を表していた。
 ジョセフはすぐにエライザを抱きかかえてエマを見上げた。
エマは涙を流しながら自分の部屋へ走り去った。」
 エライザは追い出され、他の信者の家に預けられました。

扶助協会はジョセフの妻だらけ
 エマはクラリッサ・マーベルとサラ・クリーブランドが多妻婚のウワサを流したと思います。そこで親友で副会長のエリザベスに「ウワサをまた聞きしてそれを流した二人の姉妹たちに面接をし、結果を次の集会で報告するように」と頼みました。
 皮肉なことに、エリザベスもサラも既にジョセフの妻でした。
エマが会長を務める扶助協会の副会長や書記たちは、ほとんど全員がジョセフの妻となっていたがエマそれを知らずにもみ消そうと必死だったのです。

不幸のあまり、夫を毒殺しようとしたエマ
以下は、総大会でブリガム・ヤングがエマについて語った言葉です。
「私が知る限り、エマ・スミスはこの世で最も悪質なウソつきだ、、、ジョセフが死ぬ6か月前に彼はエマを呼んで悔い改める様に言った。さもないと、神の裁きが下ると。エマはジョセフに毒を盛ろうとしたのだ。
 ジョセフはエマがこの世で最も悪い女、地獄の子だ、と言った。『僕はエマが毒を入れたコーヒーを飲んだが、吐き出して命は助かった』とジョセフは言った。ジョセフはエマに、非常に厳しい態度で話したが、エマは一言も言い返さなかった。私の言っていることは真実だ。2度もエマは夫を毒殺しようとした。」
 ( 6-8 Oct 1866, 36th Semi-Annual Conference, Bowery, G. S. L. City. [Deseret News Weekly 15:364, 10/10/66, p 4-5 and 15:372, 10/1  1866年10月総大会の説教から ソルトレーク・シティにて デゼレトニュースより

●これらはモルモン歴史家トッド・コンプトン氏が書いた「聖なる寂しさの中で」とリチャード・ブッシュマン氏の「ジョセフ・スミス ラフストーン・ローリング」から引用しました。二人とも現役モルモン歴史家です。開拓者たちの日記や手紙から本を構成しています。
 リチャード・ブッシュマン氏はインタビューでこう言っています。
「信者たちは、ジョセフのありのままの姿を知り、この教会に残るか去るかを決める時が来ている」。
私は、ジョセフがこの神聖な地で行った多妻婚は、女性への虐待だと思います。是非、信者の方々にも多妻婚の悲惨さを知ってほしいです。