今日、知り合いの小学生たちと話していたら、なぜだか神様の話になったよ。
言い出しっぺは私じゃないよ。
そしたら、4年生の男の子が「神様っているの?」とみんなに聞いた。
そしたら、ある女の子がうなづきながら、「うん、いるよ。いるよ。」と答えた。
男の子は、「ふ~ん、そうか!」と言って神様の話は終わりとなった。
面白いことに、この男の子は神主の家の息子さん。
あれ?神主さんて、神様を信じている人だよね?
ご両親から「神様はいる」と教えられて生きてきたと思うし、正月や節分にはお手伝いもさせられていることだろう。
だけど、「神様っているの?」と聞いたということは、この子は神がいるかどうかわからないんだね。
いる、と教えられてきたけど、恐らく神に会ったこともなければ声を聞いたこともなく、本当にいるのかわからない、と素直にそれを認めているんだね。
つまり、親の言いうことをうのみにしていないで他の人の意見も聞こうとしている。
洗脳されていない、ということなんだ。
自分がこの子と同じ年齢だった時、私は既に「神はいるに決まってる」と思っていた。
そして私の知っていた神様は、モルモン教の神様だった。
私は、ただただ、両親に教えられたことをうのみにしていただけだった。
つまり、洗脳されていたんだ。
その証拠に、今はモルモン教の神様を信じていない。
だって、この神様は教祖ジョセフ・スミスに「妻のエマに内緒で何十人もの女性と結婚しなさい」と命令したって言うんだから恐ろしい人だ。
こんなことをまじめに教えている末日聖徒イエス・キリスト教会は神の教会ではないと私は思う。
たくさんの人は神様を信じている。
だから神社に行っておはらいをしてもらい、手を合わせて祈る。
でもほとんどの人が思い描いている神様は、「こうしろ」「ああしろ」とルールを与えるのではなく、どこかで見守ってくれている存在なのだと思う。
「神はいるよ」と答えた女の子もそういう意味だったのだろう。
この神主の家の息子さんは、幼い時の私よりずっと賢いし、自由だ。
自分の教わったことは絶対だ、とは主張せずに他の人の意見を聞いて参考にしてるもん。
神主の息子さんを見て、ちょっぴり嬉しくなった。
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