なぜ僕はモルモン教会を去ったかークリスの体験談

僕は熱心なモルモンだった。日本で伝道している間にに僕の父が死んだが、伝道を終えるまで帰国しなかった程だ。
アメリカに帰国してモルモン女性と結婚したが、今度は弟が死んだ。自殺したんだ。
そしたら、知り合いのモルモンの友人が「僕は死者を生き返らせることが出来る、と祝福師から言われている。今こそ、この賜物を使う時だ。君の弟さんをよみがえらせてみせる」と言ってきた。そして僕の母は教会の聖餐式で、「息子さんは生き帰るでしょう」とイエス・キリストが言うのを聞いた。僕は喜んだ。奇跡が起こるんだ、だから僕たちはモルモンなんだ、だって、この教会はこの世で唯一真の教会なのだから。

 僕たち家族は弟の死体安置所へ行き、そこでこの友人が弟の頭に手を置いて祝福した。だけど、弟は生き返らない。もしかしたら、死体が冷たいからかも、と思ってしばらく待って温かくなってからもう一度祝福した。しかし、何も起こらなかった。
 僕はがっかりした。
だけど、ここで信仰を捨てたらだめだ、弱くなってはだめだ、と自分に思い聞かせた。
一つだけ気になることがあった。それは、なぜイエスは母に「弟が生き返る」と言ったことだ。もしかしたら弟は生き返ることを望んでいなかったかもしれない。でも、イエスは完全なお方だ。弟が生き返らないと知っていたはずだ。なのに、なぜ母に弟は生き返る、と言ったのか?

しばらく経ってから、僕は母に聞いてみた。「イエス様が母さんに弟が生き返ると言った時のことを覚えているかい?」って。そしたら、母はこう答えた。「そんなこと、私言ったかしら?覚えてないわ。」

イエス・キリストが話しかけてきたことを忘れるかな?そんなことある?もしかしたら、僕たちは、いつもこうやって都合の悪いことは忘れようとしているのではないか?信仰を持ち続ける為に。

そして、僕は思い出した。初めて神殿に参入した時のことを。ものすごく怖くて、嫌な気持ちがしたことを。でも、そんな気持ちを感じてはいけないと自分に言い聞かせ続けていたから、忘れていたんだ。
 

しばらくして、僕が尊敬している兄が教会をやめた。兄はニーファイのような人だった。良い人で、強い信仰を持っていた。

僕は、兄を教会に引き戻そうとした。兄を説得しようとした。でも、その為には「兄さんは何もわかっちゃいない。教会は真実だ。帰って来るべきだ、」と言うのはやめた。だから、僕は教会についてリサーチを始めた。

コップに液体が入っているとしよう。透明だから、水かな?と思っても、見た目だけではわからない。水と似た液体はたくさんたる。熱を加えたり、他の物にふりかけたり、顕微鏡で見たりと、幾つものテストをする必要がある。

モルモン書を読んで祈ることは、一つの方法だ。でも、液体を見ただけではそれが何かわからないように、祈って良い気持ちを感じるだけでは、この書物が真実だとは証明できない。
だって、コーランや他の聖典を読んでそれが真実だ、と主張している人はいっぱいいる。これらの人は良い気持ちを感じたのだし、これらの書物は完全にモルモン書に反対している。

僕は、自分は正しいんだ、と思うことはやめた。今までずっと考えないようにしていたことを、今回は考えてみることにしたんだ。真の宗教は、「私たちをいろんな観点から調べて下さい」と言うはずだ。

まず、DNAについて調べた。モルモン書は、アメリカンインディアンたちはユダヤ人の子孫だと教えている。つまり、ユダヤ人のDNAが含まれているはずだ。ところが、調査の結果は違った。教会は、あまりにも長い間が経ってしまったので、ユダヤ人の遺伝子はほとんどインディアンたちの中に残っていない、と言い訳をしている。これは、あまりにもおかしい。

キングジェームズバージョンの新約聖書には間違って訳された部分があり、それがそっくりそのままモルモン書に書かれていることを知った。これはおかしい。モルモン書はすっごく昔に書かれたものだ。近代の翻訳の間違いが入っているのはおかしい。
もしモルモン書が真実なら、近代の翻訳の間違いが入っていることはないし、DNAもマッチするはずだ。

それからアブラハム書についても調べた。ジョセフ・スミスは、「エジプト」という言葉は、「エジプタス」という言葉から来た、と言った。エジプタスとは、ハムの娘だと、ジョセフは言った。しかし、これは間違っていると知った。エジプトという言葉は、実は男性の神の名前からきているのだ。古代の言葉では、エジプトという言葉はケミッツ又はミズラだったと知った。

僕はいろんな人にこのことについて話したけど、モルモンたちは僕を変な目で見るだけだった。誰も真実を聞きたがらなかった。

僕は、兄を教会に引き戻す為にリサーチを始めた。それがこういう結果になった。一体、教会が真実じゃなかったら、どうすればいいんだ?

僕は、この世は悪に満ちている、と教会で教わった。

だけど、教会は間違っていた。よく、子供に「言うこと聞かないと、怖い人が来るよ」と言うけど、怖い人なんていないんだ!

教会が真実じゃないとわかってから、僕は人を裁くことが少なくなった。

それから、世界は悪い所ではなくて、モルモンじゃない人たちも良い人がたくさんいると知った。

モルモンをやめてから、今の生活を大事にするようになった。死んでからどこへ行くかなんて、僕はわからない。でも、今は、一瞬一瞬を大切にしている。この世は素晴らしいよ。