パンの耳とモルモン教
 

モルモン宣教師はパン屋やコンビ二でパンの耳をもらって生活の足しにしていた、と宣教師のエピソードで書きました。「自分もパン屋にもらいに行ってたら、かわいそうに思ったパン屋さんから売れ残ったパンを頂いた」とのコメントも頂きました。
 犬山支部にいた時はコンビ二にもらいに行きました。でも、男性の宣教師が先にもらいに来てたらしく、「今日はもうないです」と言われたこともしばしば。「次は絶対に私たちがゲットするわよ!」と、争奪戦を繰り広げていました。もともとは犬のエサとして無料で配っていたのだそうです。そんなのをもらいに来る私たちを、店員さんたちはいったいどう思っていたのでしょう?
 
 しかし、伝道の前も、後も、パンの耳で私は育ちました。小さい時、よく母が「パンの耳かりんとう」をおやつに作ってました。たっぷりの油で揚げ、砂糖をまぶして出来上がり。よく食べました。今はもう見たくもないよ~。
教会で結婚式があると、きまって母が山のような量のパンの耳をもらってきて冷凍庫に突っ込みます。そして私に調理しろと言うのです。たまに八ムのはしつこがくっついていて、大喜びで食べました。学校で残ったみんなの牛乳をもらってきて、それと卵と砂糖に浸し、焼いてパンブデイングにしました。母がもらってくる度、「もう勘弁してよー」と思ったものです。
 
近所に山崎パンのお店があり、そこでよくバンを買っていたので、耳ももらってました。3斥連なった食パンの両端を切り落とした、四角い耳でした。パン屋のおじさんがくれる耳はどれもぶ厚くて、母は「私たちの為にぶ厚く切ってくれてるのかしら? 」と少し心配してました。

高校生の時、一度、「うちにはあとこれしかお金がないの、だからこれ以内で食事作ってね」と母に銀行通帳を見せられたことがあります。非常に少ない額でした。食費を減らす為、自分の弁当にパンの耳にマーガリンをぬり、砂糖をまぶしたのを持って行きました。あまりにもかわいそうなので、妹たちには普通の弁当を持たせました。人目を気にしない私でしたが、パンの耳弁当はさすがに恥ずかしく、誰にも見られないようにして食べたのを覚えています。
五反田駄前のパン屋でやわらかくてブ厚いパンの耳が安く売ってるのを買ってシチューと食べました。教会の友達が来ていて、一緒に食べました。でも、考えてみれば、人におごってばかりだから自分たちの家計がきつくなったのだと今はわかります。

現在では、サンドイッチ作る時に出る耳は近くの川へ持って行き、泳いでるコイたちに投げてあげます。カモが飛んできて空中でキャッチしたりもします。
主人は私が投げてる横からパンの耳をいくつか自分で食べてしまうのですが、私はもう、ゴメンです。今はおかげ様で耳を全べないぜいたくな生活を送っています。というより、 貧乏のドン底だった時を思い出して辛くなるからかもしれません。

牛乳を飲まない友だちが違うクラスの子たちにも宣伝したので、私は中学生の時、毎日2、3リットルの牛乳を家に持って帰りました。すると、どうしても、からかう男の子が現れます。私も、「牛乳ババア,くっせえーー!」といじめられ、笑われ、一度は牛乳のパックを頭に投げつけられてそれがパッカリと開いて、頭から牛乳をかぶってしまいました。みんながドッと笑って、私は涙が出ました。でも、強がって牛乳を水道で洗い流しながら涙を見せないようにしました。それでも、私は牛乳を持って帰るのをやめませんでした。我が家にとっては大切な収入源、母に頼られていたので我慢して重い牛乳を運び続けました。学校の先生は、下校途中で飲まないなら持って帰ってよいと許可をくれました。うちは子だくさんだから理解してくれたのだと思います。

私は姿勢が悪くて、時々父から「なんだ、お前は!カッコ悪いな、せむしみたいに歩くんじゃねぇよ!」と言われました。すっごく変な物を見るように言うんです。それを一度、祖母が聞いていて、「何てひどいこと言うのよ、あんなに重い牛乳を運ばせてるからじゃないの!」と私の肩を持ってくれました。直接父に言ったわけではないけど、少し救われました。自分がせむしで格好悪いのはわかっていたんだけど、確かにアメ横へ安い食材を大量に買いに行ったり、妹や弟たちをいつもおんぶしたり、伝道中にモルモン書をいくつもしょって歩いたりで、重い物を常に持ち過ぎたのは原因の一つかもしれません。
 今はすごく気を付けていて、背筋を伸ばして歩くようにして、重い物も持たないようにしています。

でも考えてみれば、モルモン教会に什分の1を払わなければ、私は学校で残った牛乳をもらってくることも、パンの耳を食べることもしなくて済んだのです。
 宣教師たちは貧乏だからと、しょっちゅう家に呼んで夕飯をご馳走しましたが、家に帰れば、彼らは私たちよりはましな生活をして、良い物を食べていたのです。アメリカでホームステイしてわかったけど、アメリカ人は、平気で食べ物を捨てる、そんな生活をしてるんです。
 
 十分の一を払っても、どうせそれで指導者たちがビジネスして金もうけて立派な暮しをしたり、大きくてきらびやかなぜいたくざんまいの神殿を建てるんです。

 しばらく忘れていましたが、このブログを書いていて、教会にお金を払うことで、どれだけ自分たちの生活を圧迫し、子供ながらに辛い目に遭ったのかを、思い出しました。

でも、貧しい国の人がモルモンに入った場合、もっともっと多くの犠牲を払わされるでしょう。神殿に入る為に家を売り払った話を日曜学校で読まされたことがあります。それくらいする価値がある、というのです。大事なバイオリンを売って伝道へ出た話も読みました。信仰を貫いたおかげでもっと素晴らしい物を手に入れた、というのです。
 しかし、本当にそうでしょうか?
伝道に出ることは、大学をあきらめる程の価値があるのでしょうか?最初の示現も実は9個ものバージョンがあり、一番初めの記録は何と実際それが起こった時から何年も経ってから書かれたもので、そこには神様は出てきません。イエスだけです。悪魔の誘惑もなし。
 他のバージョンには天使が出てきて歌ってますが、どうして今宣教師が教えている話にはそれが出てこないのか?
 モルモン書に出てくる生き物は当時存在していなかったし、金貨も記録も、何一つ見つかっていない、1000年間も民族が住んでいたはずなのに、何もその痕跡がない、モルモン書は聖書より正確だというけど、実はモルモン書も何度も書き換えられており、初めのバージョンとは違う意味になってしまっている聖句がいくつもある、それなのにモルモン書はこの世で一番正確な本だと、世界の人々に主張していいのだろうか?

 私は正直言って、モルモンの両親のもとでなく、普通の家族のもとに生まれたかった。でも、もし、モルモン教会に行ってなかったら主人と会えなかったかもしれない、だからモルモンの家に生まれる運命だったんだ、この教会は真実じゃないけど、宣教師が父を見つける運命にあったんだ、と思うようにしていました。

 しかし、今は、こう思います。

「私はモルモン教会に行ってなくても主人と会うことは出来た」と。

私は伴侶を探しに地球の果てまで行った人間です。もしモルモンに生まれなくても、きっと主人と会うことは出来ていたのです。今とは全く違う方法で、きっとどこかで会っていたのです。
 だから、モルモン教会に恩を感じることは全くありません。そこで出会った人たちで私に良くしてくれた人には恩を感じます。しかし、モルモン教会自体には全く恩を感じる必要はないのだ、と確信出来ました。

 だから恐れずに、ためらうことなく、モルモン教会の問題点をこ発信していきます。