ハナ・エリス(スミス)
ジョセフ・スミスの27番目の妻

すごく背が高かったらしい。ファッションの流行をいく服や帽子を作るドレスメーカーとして有名だった。イギリス出身だが、兄と共にアメリカにわたり、モルモンに改宗する。30歳でジョセフと結婚。兄は後に教会を去るが、ハナはLDSとして生きた。しかしその後数年でその若い生涯を終えた。ウッドラフ家族と親しかったらしい。


生い立ち
●1813年にイギリスで生まれた。
 父トーマスと母ハナと兄のジョザイアがいた。他の兄弟のことは不明。

●アメリカへ移住し、フィラデルフィアに住んでいた。
ドレス・メーカーとして、最もファッショナブルなドレスを作っていた。

●兄のジョザイアは医者で、メソジスト教会の牧師でもあった。若い時に独立して結婚している。ハナは兄と一緒にアメリカへ渡り、その家族と住んでいたと思われる。

モルモンへの改宗
●1838年10月1日に兄ジョザイアがモルモンに改宗した。恐らく、ハナも一緒にバプテスマをうけのだろう。
 この時教えた宣教師はオルソン・プラットとベンジャミン・ウィンチェスターだった。

●兄はニュー・ジャージーの長老に召された。
ジョセフ・スミスにノーブーに来るように勧告される。

ノーブーでの生活
●デビッド・ネルソンというプレスビタリアン派の牧師と討論をすることになり、
ジョザイアはモルモンの代表として選ばれた。
 バプテスト教会の集会所に40~50人がかけつけた。ジョセフ・スミスもそこにいた。
RLDS教会の記録によると、ジョザイアは後にこう書いているそうだ。
「ネルソン氏は困惑し、彼の仲間たちはもう討論をやめるようにと勧めた。ネルソン氏は彼の相手は礼儀正しかった、と言って席についた。
聖見者ジョセフが台に立ち、討論を続けたい人はいますか?と挑戦したが、誰も答えなかった。神のみたまが、この世的な賢者たちを、弱い者を通して黙らせたのです。」

しかしモルモンは、他の宗派とディベ―トをした際によくこのように主張する。今回のことも典型的な例だ。

●1841年10月1日、ノーブーのモルモン教会の雑誌「Times and Seasons」の広告記事に、ドレスメーカーとしての彼女の宣伝記事が載った。フィラデルフィアで何年もの経験を積み、流行のファッションのドレスや帽子を作ります、と、書いてある。

予言者ジョセフとの結婚
●1843年1月~8月の間にジョセフ・スミスと結婚。30歳だった。当時ハナと住んでいたジョン・ベンボウの記述によると、こうだ。
 「ハナ・エリス・スミス、予言者の妻は1843年の夏に2か月、私の家に泊まっていた。予言者の死後、1844年にも数か月滞在した。生きていた頃、予言者ジョセフはその妻ハナに会いに、何度も私の家を訪れた。」

●1843年1月11日、エライザ・R・スノーと一緒にジョセフとエマが開いたパーティ^に出席している。エライザと仲が良かったらしい。
パレードに参加したり、扶助協会の為に寄付集めに行ったこともあった。

●又、宣伝広告を出している。「帽子の注文を承ります。最新の形に作り直すこともしております。」

●1844年6月27日に夫ジョセフ・スミスは死亡。ハナは31歳だった。

兄がモルモンを離れる
●兄ジョザイアがウィリアム・マークスと一緒に教会を離反し、12使徒に逆らった。そして教会の法廷に呼び出され、ディスフェローシップされた。
ハナは、マークスが裁判された時に証人として立たされた。

●1845年4月、兄ジョザイアはシドニー・リグドンのつくった教会の使徒に召された。LDSモルモン教会からは完全に離れたのである。

●ハナはこれを知り、悲しんだ。それをウィルフォード・ウッドラフへの手紙につづっている。
ウィルフォード・ウッドラフとその妻と仲が良かったらしい。

●1845年に死亡したと思われるが、原因や詳しい日付はわかっていない。

●1860年、兄ジョザイアはRLDSの会員となる。そしてRLDS教会の使徒となり、ユタ、ヨーロッパ、アメリカ東部への伝道に行った。

私の感想
お兄さんのジョザイアはRLDSのメンバーになったんですね。RLDSは今はコミュニティ・オブ・クライストという名前に変えました。日本にもありますが、今のモルモン教会よりも穏やかで強制的でなくてお金もあまり徴収しません。こっちの方がモルモンよりも良いと思います。
ハナはすご腕のドレスメーカーだったんですね。すごい!若くして亡くなったようですが、生きていたら、他の多くの妻たちのように苦しんだかもしれないので、何とも言えません。