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 そして以下は現役信者で歴史家のトッド・コンプトン氏の本「聖なる寂しさの中で(In Sacred Loneliness)]から引用しました。開拓時代の信者たちの手紙や日記を集め、まとめた本です。

 

ファニー・アルジャー・スミス・カスター

【生い立ち】
●1816年9月20日、11人兄弟の4番目 として生まれた。父はサミュエル・アルガー(大工)、母はクラリッサ・ハンコック(リーバイ・ハンコックの姉)。 リーバイは七十人の会長になる。 
●約14歳の時、父親がモルモン教に改宗 。母も同じころにパーレー・P・プラットからバプテスマを受けた 。
 

【預言者ジョセフ・スミスとの結婚】
以下はモザイヤ・ハンコックの記録である(モザイヤはこの話を父リーバイ・ハンコックから聞かされた)
●1832年の春、ジョセフ・スミスは言った。
「リーバイ兄弟、正しい男性は正しい女性を、例えそれが多妻婚であっても、正しい民を地球に送り出す為にめとるのです。主イエス・キリストが福千年が来た時におさめる準備をする為に、、、。」
●リーバイはクラリッサ・リードと恋仲ピンクハートになり、ジョセフに結婚の承諾を求めた。
 ジョセフは言った。
「リーバイ兄弟、取引をしましょう。ファニーを私の妻にしてくれるなら、私は
  あなたとクラリッサの結婚を許しましょう。私はファニーを愛しています。ピンクハート
「わかりました。」と父は言った。
 ●父はファニーの父、サミュエルの所へ行き、(サミュエルはリーバイの妻の兄)言った。
 「予言者ジョセフはあなたの娘のファニーを愛していて、妻にしたいと言っている。どうするかね?」
サミュエルは言った。「私の妻に聞いてくれ。」
リーバイは自分の姉のクラリッサの所へ行って聞いた。
「クラリッシー、神の予言者ジョセフがファニーを愛していて、妻にしたいと言っている、どうする?」
ファニーの母は言った、「ファニーに話してきてちょうだい。私は構わないわ。」
 父はファニーの所へ行き、言った。
「ファニー、予言者ジョセフが君を愛している、妻にしたいと言っている、 彼の妻になってくれるかい?」
ファニーは言った。「わかりました。」
父はファニーをジョセフの所へ連れて行き、「私はミッションを果たしました。」 
●1833年2月又は3月にファニー(16歳)はジョセフ(27歳)と結婚したと思われる。
 リーバイ・ハンコックはジョセフの指示通り、ファニーとジョセフの結婚式を執り行った。
●こうしてジョセフはファニーを愛している、と言いながら自分でプロポーズせず、他の男性を使って説得させた。
 ジーナ・ハンティントンの時は兄のディミックに頼んだし、
 アルメラ・ジョンソンの時は兄のベンジャミンに頼んだ。 

【エマが怒り狂う】ムキームキー
アン・エライザ・ウェブ・ヤング(ブリガム・ヤングの妻だったが、離婚した)の記述は彼女が教会に敵対心を抱いていた時期で、時間も経っていたものの、彼女の両親も彼女の記述した通りのことを目撃しているので、めちゃくちゃ悪意のある記述ではない。アンの記録はこうだ。
「スミス夫人には養女がいた。とてもきれいで好かれる子で17歳位の年だった。
夫人はこの少女をとてもとてもかわいがっていた。実の母親でさえ、こんなに尽くすことはないだろう。お互いを慕う気持ちは大したもので、純粋なものだった。」
(ファニーは恐らく住み込みの女中としてスミス家にいたのだろう、アメリカでは当時、よくあることだった)
「エマ姉妹が、夜半月、ファニーを家から追い出した、と聞いてみんなショックでびっくりしたびっくり。こんなことをする何て、きっとそれなりの理由があるに違いない。
 うわさによると、ジョセフのファニーへの愛情が父親の愛情の域を超えている、これを発見したエマがすぐに手を打って、夫からファニーを遠ざけた、というのだ。」
エマは後に、ノーブーの家で、ジョセフがエマに内緒で結婚したパートリッジ家の姉妹たちを追い出すことになる。
 また、エマはエライザ・スノーのことも突然、家から追い出すことになるのだ。
アン・ヤングによると、エマとジョセフの間に激しい言い争いが起きた。
そしてジョセフはオリバー・カウドリーを呼んで言い争いを鎮めるように頼んだ。
アンによると、こうである。
「予言者とオリバーはファニーをどうするかで困ってしまった。エマは頑なに、ファニーを家に入れないと決めていたから。しかし、話し合った結果、私の母がファニーを親せきの所へ返すまでうちで預かってもよいですよ、と提案した。
ファニーの両親は、ファニーが予言者の家に嫁いだことをこの上ない名誉なことだ、と思っていたし、ファニーがジョセフと結婚で結ばれたといつも言っていた。」
エマはどうやってジョセフとファニーの結婚を知ったか?2つの説がある。
①アンの父、チョーンシー・ウェブの説
ジョセフ・スミスはカートランドでファニー・アルジャーと密かに結び固められた。
エマは憤慨し、予言者と日の栄の関係によって起こる結果(妊娠)を隠すことが出来なかったファニーを家から追い出した。
 ここでウェブ氏は、ジョセフとファニーとの結婚は完全な肉体関係を含んでいた、と認めている。 
ジョセフとファニーの子供がいたとしたら、その子はどうなった?
 ファニーが子供を産んだ立ち上がるという記録はどこにもないので、ウェブ氏が間違っているのか、(間違ってはいないだろう、ファニーはスミス家を追い出された後、ウェブの家に住んでいたのだから)
 又は流産したか、幼くして死んだか、又は別の名前で育てられたか、だろう。
ウィリアム・マックレーンの説。彼は、1872年に、ジョセフ・スミス三世に手紙を書いた。次がその内容である。
 「エマが言うには、ある晩三日月、ジョセフとファニーがどこにいるかわからなかった。
  エマは納屋へ行って、ジョセフとファニーが二人だけでいるのを見つけた。
  エマは穴をのぞいて、二人が行為をしているのを見てしまったのだ!!
  エマはこの話が本当だ、と言い切った。」
●この結婚の3番目の目撃者、ベンジャミン・ジョンソンはこう書いている。
「僕と同じ位の年齢のとても良い子、、、、この時既に(1835年)ジョセフは彼女(ファニー)を愛しているとうわさが流れた。」 
●ジョセフはオリバー・カウドリーに、エマをなだめるのを助けてくれ、と頼んだ。 しかし、エマは絶対にファニーを家に入れようとはしなかった。それで、ファニーはウェブ家に預けられたのである。
●歴史家リチャード・ヴァン・ワグナーによると、
オリバーはジョセフに、怒りに燃えるムキーエマから逃れるためにカートランドを出るように勧め、ジョセフはそのようにした。
1836年8月17日教会は、Article on Marriage (結婚の箇条)を発表した。ジョセフがいない間に、である。
この内容は、「モルモン教会は、一夫多妻をしていない、」と宣言するものだった。
明らかに、この「結婚の箇条」は、スキャンダルに対抗する為のもので、ファニー・アルガーの結婚と妊娠のうわさと追放を鎮める為でもあった。 

【ジョセフの多妻婚に反対した信者たち】
●モザイヤ・ハンコックによると、
 「背教した者たちは、ファニーを神殿の2階に閉じ込めた。予言者ジョセフに、ファニーとの関係をはっきり説明させる為である。
 ジョセフ兄弟が父の所に来て言った。『リーバイ兄弟、どうしよう?』
 ワゴンと箱が近くにあった。これを使ってジョセフと父がファニーを2階の部屋から1階の地面に降ろした。父はファニーと馬に乗り、遠くへと走った。
 次の日、背教者たちはファニーが消えているので驚いた。父はこの時、既に戻って馬を馬小屋につないていた。」
1836年9月、ファニーが両親と共にカートランドを去り、ミズーリへ向かったらしい。
恐らく、オリバー・カウドリとウォーレン・パリッシュを含む教会のトップリーダーたちがジョセフに反対し、ファニーに、ジョセフとの関係について証言させるつもりだったのだろう。
 ジョセフはファニーに証言してほしくなかったし、かと言ってこれを勘づかれるのも嫌だった。そこで、リーバイの助けを借りたものと思われる。
●ベンジャミン・ウィンチェスターは述べている、
「スミスを取り巻くスキャンダル、彼の女性たちとの関与、そして『私はこの地上で神の王国を設立すると召されたのだから、私のすることに教会の会員たちは質問をする権利はない』とジョセフが神殿で宣言した」と。
結果、多くの信者が1836年の夏にモルモン教会を去った。 

【ファニー、非モルモンと結婚し、教会を離れる】
●1836年、ジョセフはリーバイ・ハンコックに、ファニーをリーバイの家族と一緒にミズーリへ連れて行ってほしい、と頼んだ。ファニーをあきらめきれなかったと思われる。
 しかし、明らかにファニーはそれを拒否し、リーバイの家族ではなく、自分の家族と共に行動した。
●1836年11月16日、ファニーはモルモンでない男性、19歳のソロモン・カスターと結婚した。ファニーの両親はモルモン信者たちと一緒に行動したが、ファニーはそうしなかった。
●恐らく、ファニーはスミス家を追い出されてから、ジョセフに捨てられたと思ったのだろう。又、自分と同じ年の19歳のソロモンと恋に落ちたのも確かだろう。ファニーとソロモンはインディアナに残った。 

【モルモン教会を離れた後のファニーの人生】
●ファニーとソロモン・カスターはインディアナに住み、9人の子供に恵まれた。ほんわか歩くハイハイ
●ソロモンは食料雑貨店で働き、土地も持っていた。あるいは、パン屋か商人だったという説もある。
●ソロモンは1885年3月27日、病死。ユニバーサリスト教会の牧師によって葬式を挙げられた。
●ファニーは68歳以上生きたらしい。
 予言者ジョセフ・スミスの妻とはなったが、その後は非モルモンとして一生を過ごした。

【オリバー・カウドリ、ジョセフへの信頼を失う】
●このファニーとジョセフの結婚をめぐり、オリバー・カウドリとジョセフの中は崩れ始めた。オリバーはジョセフ、ファニー、エマを巡る対立を修復しようと、一生懸命頑張った。
 ジョンソンによると、オリバーはウォーレン・パリッシュと共に、スミスとファニーの性的関係にショックを受けた目撃者だった。
 ●1837年の夏、12使徒デビッド・パッテンはオリバーに訪ねた。
  「ジョセフがあの少女と不倫をしたのは本当か?」
オリバーはためらいながらも、この不倫で起こった厄介な状況に関する出来事を幾つか挙げて、
  「間違いなくそうだ」と答えている。
●1838年、1月21日、オリバーは兄弟のウォーレンに宛てた手紙に以下の様に書いている。
「私は決して、ウソをついたことはない。ジョセフとファニーの汚くて、不快で、けがらわしい不倫について語られた時、私が言ったこのではないか?
彼は 「結婚の箇条」を書く手伝いをしたが、この時からジョセフへの尊敬心は減った。
●1838年4月12日、オリバーはファー・ウェストで破門された。罪の一つは 
 「彼は姦淫の罪を犯したと、予言者ジョセフ・スミスに対して偽りの証言をして彼の人格を破滅しようとした」であった。 

【教会の分裂】
ウォーレン・パリッシュ(ジョセフの書記を務めた)に従い、ジョセフから分裂した人たちから成るグループは、とても影響力が強く、カートランド神殿の一部を占拠する程だった。
 このグループがモルモンリーダーたちをカートランドから追放するのに大きく貢献したのである。
ウィリアム・ロー(大管長会の一員)とオースティン・コールズ(強力な力を持つノーブーステイクのカウンセラー)は教会を去り、 「ノーブーExpositor(ノーブー誌)」という新聞を書き、ジョセフの多妻婚を世に知らしめようとした。
●ベンジャミン・ジョンソンはこう書いている。
 「ノーブーとカートランドに於ける予言者の多妻婚が多くの信者を背教に追い込んだ」
●1843年と44年のモルモン教会からの離反者はとても多く、これがジョセフとハイラムの死へとつながった。
●「ジョセフには絶対に誤りがない」と信じていたモルモン信者たちにとって、多妻婚はそれをくつがえす証拠となったのだ。

 

ジョセフとファニーの関係は不倫だったとも言える

●1836年4月、エライジャがジョセフととオリバーカウドリを訪れ、この神権時代のカギを与えた、とモルモン教会は教えている(教義と誓約110章)。
 実は、この110章は多妻婚とは全く関係ないのだが、もし、ジョセフが儀式を行う権能をもらったとしたら、この時がそれだと言える。しかしファニーとジョセフの結婚はその3年前だった。

●当時のアメリカのクリスチャン世界では妻のいる男性と肉体関係を持つことは非常に重い罪で、多妻婚も違法であった。

ましてや初めての多妻婚だったのだから、ファニーとその両親たちは困惑したはずである。しかし、残されたとする記述によると、ファニーも両親もすんなりと受け入れたとあり、非現実的だ。後からつじつまの合うように話をでっちあげたのではないか?とも考えられる。

●ジョセフの妻であるエマとジョセフの一番の右腕だったオリバーがこの結婚について知らなかったというのは、全くもっておかしい。

以上の理由で、ジョセフが住み込み女中のファニーに手を出してしまい、その不倫関係をエマに見つかった為に「これは神からの命令だ」と苦し紛れの言い訳をしたと考えることも出来る。