ボクの履歴書もついに28回目
このシリーズを書き始めてからアクセスもすごく伸びています!
読んで頂いている方どうも有り難うございます(^_^)
今までの履歴書はコチラからご覧下さい!
http://ameblo.jp/exma-classico/theme-10078747866.html
上海に赴任してからの半年間はかなり辛いものでした。
順序通りになかなか仕事は進まないし、
中国語もそんなに話せないから思っている事も言えない、
そしてモノ作りにつきもののトラブルが盛りだくさん!
体重が見る見るうちに15キロ落ち、
顔は吹き出物だらけになってしまいました。
当時の写真、
この写真は吹き出物がかなり治まっている状態です。
何よりも辛かったのが、自分は必要とされていないじゃないか?
とか、仕事を全く評価されていないんじゃないかと感じた事。
どう言う事かと言うと、工場の仕事というのは減点法なんです。
納期通りに不良品もなく要求された価格で納めて当たり前。
だから基本褒められたり、感謝される事がない。
クレームを言われる事は有っても有り難う!とは言われない。
それまでワールドの中で比較的良い仕事をさせて頂いていた
立場から一気に下請けの業者さん扱い。
これは正直すごく辛かったですね、ブランドの方は仕事を出す
ボクの方は仕事をもらうと言う立場でしたので、いつの間にか
後輩にも敬語を使って話すようになっていました。
あまりに元気がなく、やせ細っていくボクを見て
駐在員の先輩である村田さん嘉戸さんが心配をしてくれて
”上海ワールドが輝くためのシナリオ” をどう描いていくか
そんなプロジェクトを始めようと提案をして下さったんです。
上海ワールド 村田さん
この方がいなければ最後まで中国で働けなかった
そう思える方です。
工場の価値を高めようとすると
品質、スピード、コストどれかが秀でていないと
ブランドから評価される事はありません。
”うちは何でも出来ます” と言うのは
何も出来ないのと同じであり価値がない、
又コストで勝とうとすると
人件費の高騰している上海ではかなり難しい。
当時日本のワールド本社はとにかくクイックレスポンス
即ち発注~納品までのリードタイムを如何に短縮するか?に
焦点が置かれていたので、このリードタイムに絞り
社内の改革を進めていきました。
次回に続く・・・・