<あらゆる体罰の禁止がおよぼす影響に関する質問>
■体罰が禁止されると、わがままで自制心が欠如した子どもになってしまうのではないですか?
それは断じてありません。しつけとは、罰を与えることとは違います。本来、しつけは、力に頼るものではありません。しつけは、理解、お互いの尊重、忍耐、効果的な相互のコミュニケーションから成り立つものです。生まれたばかりの頃に完全に依存した状態にある乳幼児は、大人たち、特に親や養育者の導きや助けに頼りながら、自制心を身につけ成長をしていくものです。体罰が、子どもにどのように振る舞うべきかを教えることはありません。むしろ、子どもをたたく行為は、してはいけない行動を教えることになります。体罰は、親や養育者が問題や対立の解消のためには、暴力を使うことを容認するという事実を子どもに伝えてしまうことになるのです。
また、子どもをたたくという行為は、子どもに混乱をもたらします。子どもたちは他の子どもや大人をたたいてはいけない、もちろん大人が他の大人をたたくのもいけないと教えられます。一方、体罰が許されるということは、自分たちより大きくて強い大人が、小さくて力の弱い子どもをたたくことは許されるということになります。子どもは、大人が言ったことだけでなく、大人の行動からも学びます。
さらに、尊敬することと、恐れを抱くことは混同されるべきではありません。罰を避けるための「良い」行いは、子どもの尊敬の表れではなく、ただ罰を避けるための行動に過ぎません。子どもたちは、人やものごとの真価を理解して初めて、心から相手やものごとを尊敬できるのです。親がしつけの名の下に子どもをたたくとき、子どもが学ぶのは、罰を避けるためだけに「良く振る舞う」ことです。そして、衝突を解決するために暴力を用いることは許されることだと学習します。しかし、親や養育者が子どもや他者の人間としての尊厳や身体的不可侵性を尊重するなら、子どもも尊重することを学びます。親や養育者が子どもを前向きで非暴力的な方法でしつけるなら、子どもは、尊重する気持ちを失わずに、対立を解決することができるものであると学習するのです。
体罰や、その他の品位を傷つけるような形態の罰は、しつけにはなり得ません。体罰によらない子育てとは、子どもを甘やかすこととは程遠い、他者への配慮や、自分の行動の結果をよく考えることを子どもに教えるものです。国には、体罰によらない子育てを推進する義務があります。この体罰によらない子育てや、
非暴力的な教育を推進する有効な手段は多くに存在し、すべての国でそれらの手段を導入し取り入れることが可能です。
■体罰が禁止されると、心理的な虐待、屈辱を与える行為、監禁など、子どもはもっとひどい扱いを受けるのではないでしょうか?
子どもたちには、体罰だけでなく、その他すべての残虐なあるいは品位を傷つける罰や扱いから守られる権利があります。法改正は、社会啓発活動、良好で非暴力的な子どもとの関係づくりの推進と連動しながら行われなければなりません。親や養育者は、子どもが人生の最善のスタートを切ることを願うものです。子どもをたたいたり、対応を間違えたりする親や養育者は、そうした行為を良いことだと思っておらず、悩んだり、また罪悪感を覚えたりしています。ほとんどの親や養育者は、身体的あるいは精神的な暴力を用いずに、子どもとの衝突を解決するためのアドバイスや支援を歓迎するでしょう。子どもを私たちと同じ、権利を持つ一人の人間として捉え、たたいたり屈辱を与えたりすることに終止符を打つことは、すべての人にとって家庭生活の改善を意味するのではないでしょうか。
■体罰が犯罪とされれば、何千人もの親が起訴され、子どもは親や養育者と暮らせなくなるのではないでしょうか?
法律で体罰を禁止する目的は、多くの親を刑務所に入れるためではありません。子どもの権利を保障し、社会が良好で非暴力的な子どもとの関係づくりを進めることが目的です。体罰を犯罪として扱う国は少しずつ増えていますが、それらの国で起訴される親が増加したという報告はありません。子どもの権利を保障するという国の義務は、体罰を禁止することにより果たされます。体罰禁止の第一の目的は、教育的なものなのです。プライベートな空間である家庭内であっても、私たちが他者に手をあげることを認めないのと同様に、子どもに手をあげることは許されないことであり、同時に違法であるという確固たるメッセージを届けるという目的です。警察や検察を含む、子どもを守る立場にある関係者は、「子どもの最善の利益」のために法律を運用しなければなりません。重大な危害から子どもを守る唯一の方法でない限りは、起訴やその他の司法介入が子どもに利益をもたらす可能性は低いと言えるでしょう。国連子どもの権利委員会は、一般的意見 8 号を通して、法的禁止が大勢の親や
養育者の起訴をまねく事態に陥らないよう、以下の 2 つの原則を述べています。
1. 些事原則―法律は些細な出来事には関与しないというこの原則により、大人同士でも軽微な暴力の場合、法廷へ持ち込まれることはほとんどありません。この原則は、大人による子どもに対する「軽微な」暴力にも当てはまるとされています。
2. 子どもが世話を必要とする存在であることや家族関係の親密性からくる特性を踏まえ、親や養育者に対する訴追や家族の生活への介入にまつわる決定は、細心の注意の下で行われる必要があります。それらの決定は、重大な危害から子どもを守るため、また「子どもの最善の利益」にかなう場合に限り、行われなければなりません。
■子どもがけがをするのを防ぐために、親が子どもをたたくことは許されるのではないですか?
子どもがけがをするのを防ぐためになら、子どもをたたこうという議論は意味を成しません。子どもが危険にさらされたときは子どもをたたくべきだ、と親や養育者にアドバイスすることがあり得るでしょうか。もちろんそれはあり得ないでしょう。親や養育者が、子どもを守るために物理的な行動を起こすのは当然のことです。特に、乳幼児や幼児期の子どもは、常にその必要があるでしょう。子どもが火に向かってハイハイをしたり、危険な道路へ走って行ったりしたなら、親は当然のことながら、子どもをつかまえ、抱き上げ、危険について諭し、教えます。しかしながら、子どもをたたいて痛みを加える行為は、子どもが自分の身は自分で守れるようになるまでは親や養育者が子どもの安全を守る、という前提をくつがえしてしまいます。国連子どもの権利委員会は、以下のように説明しています。
「委員会は、子ども、とくに乳幼児の養育およびケアのためには、子どもを保護するための身体的な行動および介入が頻繁に必要とされることを認識する。これは、何らかの苦痛、不快感または屈辱感を引き起こすために意図的かつ懲罰的に行なわれる有形力の行使とは、まったく別である。私たちは、大人として、保護のための身体的行動と懲罰的な暴行との違いを承知している。子どもに関わる行動との関連でこのような区別を行なうことは、決して難しいことではない」。
子どもの安全を守るために力を行使する行為と、子どもを罰し意図的に傷つける行為は、明らかに異なるものです。すべての国のどのような法律も、人を守るための、非懲罰的かつ必要な力の行使は、明示的にまた黙示的に、認めています。罰のための力の行使を禁じるということは、これらの既存の法律に影響をおよぼすものではないのです。
以上。
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子どもに対するあらゆる体罰を
終わらせる時代が来ました。子どもは、
尊重され、あらゆる形態の暴力から
平等に守られる権利を持っているのです。
子どもに対するあらゆる体罰を終わらせるグローバル・イニシアチブ
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セーブ・ザ・チルドレン・スウェーデン
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スウェーデンは世界で初めて明確に体罰を禁止する国になりました。法律による体罰の禁止
とその根絶を実現するために、この問題が各国の政治課題に加えられるように団体として
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