唐澤豊: 反核平和 ‏@ykarasawa  12月9日

 

これは非常に重要な報告だ! @GeorgeBowWow:
アメリカの除染の専門家が明らかにする、本当の汚染状況
【 我々が確認した放射線濃度は、通常の1,000倍というものでした。そして、それよりもさらに高い場所すらあったのです。】
http://george743.blog39.fc2.com/blog-entry-1777.html …”

 

 

アメリカの除染の専門家が明らかにする、本当の汚染状況
【 人の手によって作られ、人の手により悪化していく福島の危機 】
2013.12.09 Mon 23:40  -edit-

 

極度の汚染に恐れおののくアメリカの派遣チーム、何も知らず普段通りの生活をしていた日本人
アート・ケラー / フェアウィンズ 6月13日
http://kobajun.chips.jp/?p=1192より

2011年3月11日、19,000人以上の日本人が波にのまれて、彼らの遺体が東日本の太平洋岸に散乱しました。

カリフォルニア州アナハイムに本社があり、災害復旧について豊富な経験と技術を持つ会社パワープラス社のケヴィン・ワン氏は、日本に渡りこの惨状から人々を助け出したいと思いました。

ありとあらゆる汚物や危険な物質によって汚染されたしまった環境を、再びよみがえらせるための機器や機械の開発に、ワン氏は何十年もの月日を費やしてきました。
大規模な原油流出、放射能汚染、そして大量の遺体の捜索や収容など…

東日本大震災の発生を見て、ワン氏はロサンジェルスにある日本総領事館を訪れ、地震、津波、そして福島第一原発の事故により深刻な状況に陥ってしまった人々を救出するため、彼の会社の技術を活用するよう働きかけました。

しかし日本の総領事の返事に、ワン氏はわが目と耳を疑いました。
「まったく必要ありません。」

ワン氏による申し入れは日本に対する侮辱と受け取られたに違いない、ワン氏がそう感じる程日本総領事の返答は無愛想で冷たいものでした。

ワン氏がまず体験させられた日本総領事の対応は、国際社会が福島第一原発の事故に関わろうとすることに対し、日本政府が極力それを排除しようとする態度の、その先駆けとなるものだったのです。


ワン氏のこの最初の体験こそは、原子炉のメルトダウンというものがどれ程広範囲の環境を汚染するものなのか、その対応を誤ったという事実、そして放射性物質の拡散状況に対する不十分な検証、さらには迅速な対応を怠ったために一層状況を困難にしてしまった、日本の度重なる過失を象徴するものでした。

日本の当事者たちは政治的な影響を気にするあまり、技術的能力という要素を軽視し、当時現場で必要不可欠であった事故収束のための技術を移入することを頑なに拒否し続けたことに対し、今だに多くの批判が集中しています。

その時日本では津波により福島第一原発の冷却装置が機能しなくなり、大量の放射性物質が環境中に、そして海洋中に放出されました。

その様子を見たワン氏は日本領事の冷たいあしらいにひるむことなく、直ちに行動を起こしました。

ワン氏は独立して働いていた放射能汚染の除染技術者でチームを編成する一方、放射能汚染の除染のための機器を荷造りし、日本に向け発送しました。

そしてワン氏とそのチームは除染について実地にでもストレーションを行うべく、早くも2011年6月には日本に到着していました。

効果的な除染作業を開始するための取り組みとして、ワン氏とそのチームはその除染能力のデモンストレーションを数多くの見学者の前で実演するため、日本への渡航を繰り返しました。
2011年6月、同10月、2012年2月、そして最後は2013年1月です。


彼らの実演にはテレビ局の取材陣、県市町村や政府職員、防衛省や環境省の幹部、そして多くの民間企業の関係者などが集まりました。

その中には福島第一原発を運営していた東京電力の幹部社員も含まれていました。

ワン氏とそのチームは福島第一原発の周囲に設けられた立ち入り禁止区域から牽引されてきた自動車の除染を行い、目覚ましい成功をおさめ、その除染能力の高さを証明して見せました。
彼らは放射能汚染の99%を除去してしまったのです。

しかし凹凸の多い材料でできた物質の除染については、必然的にその成功率も低いものとなりました。
また寒冷な条件下、一度ならず除染機器が故障したこともありました。

しかし全体を通して見れば、ワン氏とそのチームは高い除染能力を有していることを明らかにしました。
その能力は、通常除染することは不可能だと思われる動植物を、自生あるいは通常に生活している状態で除染してしまう程高いものだったのです。

その場所にある泥や草、そして水も除染可能であり、生きている桜の木の放射性物質を70%取り除いて見せることにも成功しました。

寒冷な気象条件の下、機材の故障に苦しめられた日々、凍りつく地面から20~40%の放射性物質を取り除くことにも成功しました。

公認放射線防護科学技術者であり、長年除染についての経験を積んできたサム・エンゲルハートは、独立したコンサルタントとして4度とも、ワン氏とそのチームの訪日に同行しました。

もうひとり、ウェイン・ショフィールドは数十年間放射線保健物理学者として放射能除染問題に取り組んできました。
彼はスリーマイル島とチェルノブイリ事故の現場も経験しており、2012年2月のワン氏の訪日に同行しました。

日本に到着してすぐ、彼らは福島第一原発の南西にある福島県白河市に向かいました。
エンゲルハートは荷物の中から放射線の測定機器を取り出し、測定を始めました。
彼の顔が凍りつきました。

この場所は福島第一原発から約80キロ離れているはずであり、原子炉建屋が爆発した当時はその風上にあったはずでした。
しかし線量計は現実にけたたましい警告音を発していました。

「我々が確認した放射線濃度は、通常の1,000倍というものでした。そして、それよりもさらに高い場所すらあったのです。」
エンゲルハートが当時を振り返りました。


「この場所がもしアメリカ国内だったら、私たちはあわてて放射線防護スーツ、手袋そして防護マスクを着用し、完全防備の態勢を取ったでしょう。しかしこの場所と周辺のすべての物がどれ程汚染されてしまっているか、何も知らない日本の人々は普段と変わらない様子でその辺を歩き回り、そして仕事をしていました。」

ワン氏とそのチームが最初に除染のデモンストレーションを行ったのは、福島県内で通常の授業が行われていた学校でした。

汚染は広範囲に及び、中でも構内の植物にまで汚染が及んでしまっていることが悩みの種でした。
アスファルトの舗道も汚染されていましたが、その脇に生えている雑草の放射線量は舗道の4倍に達していました。

最も汚染されていたのは、野球場の屋外観覧席のコンクリート製の椅子に生えていたカビでした。
カビはアスファルトの舗装面の70倍の放射線を含んでいたのです。

椅子の表面に生えたカビが、放射性物質を吸い上げるスポンジと化してしまった恐ろしい事態について、エンゲルハート氏がこう表現しました。
「生物が放射性物質による被害を拡大した、注目すべき事例」と。

これに対し、ワン氏はもっと直接的な表現をしました。
「この場所に座って野球観戦をしていた少年は、その体の男性生殖腺に深刻なダメージを受けてしまったに違いありません。」

そして2011年6月、アメリカの除染の専門家が遭遇した、驚きあきれた日本の現実がありました。

彼らが現地で出会った政府が災害を受けて派遣した「専門家」たちは、放射線が人体にもたらす被害についてほとんどどんな知識も持っていなかったのです。


ワン氏とそのチームは日本の「専門家」たちが、持参した線量計を操作する様子をじっと観察した後、こう結論せざるを得ませんでした。

「彼らはその線量計が何を測定しているのか、そして正しい操作方法すら理解していない、そうとしか思えませんでした。」

アメリカ産業界の保健衛生技師でもあるエンゲルハート氏が、こう証言しました。

日本政府の各部署から派遣されてきた3人の職員に対し、ワン氏とそのチームは野球場の屋外観覧席のコンクリート製の椅子が汚染されていることを指摘しましたが、驚いたことにその3人はまさにそのベンチに腰を下ろしたのです。

「信じられませんでした。」

ワン氏がこう語りました。

「警告を受けたにもかかわらず、彼ら政府が派遣した『専門家』たちは、不見識にも高濃度に汚染されたベンチに座るという事をして、しなくても良い被ばくをしてしまったのです。私は後々のため、写真を撮らなければなりませんでした。」

しかしその後訪日を繰り返す中で、エンゲルハート氏は彼が出会った日本の放射線技術者の専門知識は非常に高いものであることを知ることになりました。

「私たちは最初の訪日で各地を巡っていく間に、『第一線』の専門家たちが、福島第一原発周辺の最も放射線量の高い場所に集中していたことを知りました。私たちの対応をしていたのは『三流』の専門家たちだったのです。」


「しかし最初に出会った『専門家』たちの知識の無さには、面食らわざるを得なかったというのが正直な感想でした。」
エンゲルハート氏がこう語りました。

エンゲルハート氏は、福島第一原発の約60キロ北西にある福島市内で、別の深刻な問題が起きていることを表す、ある事実に遭遇することになりました。

福島市内では住民たちのために毎日測定された放射線量が、メディアなどを通じ公開していました。

しかしエンゲルハート氏は念のため持参した測定器具を取り出し、福島市内の放射線量を測定しましたが、その数値は公表されている放射線量よりも50パーセントも高いものだったのです。

「日本の当局が使っていた測定機器に問題があったのか、それとも本当の放射線量を故意に隠蔽しようとしたのか、私には解りません。しかし福島市の人々に対して提供されていた放射線量の数値、それが間違っていたことだけは確かなことです。」

ワン氏が初めて福島県を訪れた際のことでした。

彼は福島県庁からやって来た当局者に、放射線の線量計による測定結果について、通常用いられる報告様式の中のどれを採用すべきか尋ねたところ、帰ってきたのは叱責でした。
「馬鹿言っちゃいけない。公表するのは平均値などではなく、測定した中で、最も低い数値だけだ!」

ワン氏はその不正確・不誠実なやり方に従うよう求められ、結果彼自身不本意ながらも、放射線量の過小報告に加担する結果となりました。

福島市の放射線量について正しい情報が提供されなかったこと、そして放射線量の過小報告については、エンゲルハート氏とワン氏が直接目撃・遭遇したものに留まらないことは明らかです。

最初の訪日の際、エンゲルハート氏とワン氏は自分たちが持ち込んだアメリカ製の測定機器、そして日本の測定機器、その両方の測定結果を比較・検証しました。

その結果、なぜか日本の調査班が持参した機器の測定結果はアメリカ製に比べ、常に30%から50%低いことが解りました。





つづく