アスベスト:大阪・泉南訴訟 控訴審判決・要旨
泉南アスベスト訴訟で25日、国の責任を否定した大阪高裁判決の要旨は次の通り。
<石綿の安全規制を巡る事実経過>
石綿肺などの肺疾患は戦前から知られており、1947年制定の「旧労働安全衛生規則(旧安衛則)」は、石綿粉じんを除外せず、事業者に対して局所排気などの適切な措置をする義務を定めた。55年にけい肺特別保護法、60年に石綿肺を含むその他のじん肺を対象にしたじん肺法が制定された。
局所排気装置については、旧労働省が55~56年に試験研究を行い、58年通達によって、石綿産業の一部にも設置を指導するようになった。国は各作業場に対して設置を推奨するだけではなく、実務的指導書を作成するなどして普及に努めた。また70年ごろまでに石綿の発がん性が明らかになったのを受け、「特定科学物質等障害予防規則(特化則)」で法令上、設置を原則的に義務付けた。その他の粉じん対策として、国は62年、石綿の各種作業について防じんマスクを使用するよう指導する通達を出し、その後も指導を行った。
しかし、局所排気装置の設置は、技術や費用の面から泉南地域に多く所在した中小規模の作業場では55~64年にはあまり普及しなかった。国は72年以降も継続的に普及を指導し、85年ごろになって、泉南地域のほとんどの作業場で設置されるようになった。
<国の不作為責任に対する判断>
旧労働大臣は、労働災害を防止し、労働者の安全確保と健康維持を図るため、使用者が講じるべき措置について、必要な省令を制改定したり、行政指導するなどの権限を有する。もっとも、危険の完全防止は現実的に極めて困難であり、危険性が懸念されるからといって、工業製品の製造・加工を禁止したりすれば、産業社会の発展を阻害するだけではなく、労働者の職場自体を奪うことになりかねない。どのような規制を行うかは、大臣による高度に専門的、裁量的な判断に委ねられている。労働者に健康被害が発生した場合であっても、規制権限の不行使が直ちに違法になるのではなく、その時点で許容される限度を逸脱して著しく合理性を欠くと認められる場合に限り、違法となる。
国は、局所排気装置の普及や防じんマスクの着用などの指導を継続的に行っていた。原告らは遅くとも55~59年の時点で局所排気装置を原則的に義務付けるよう規制すべきだったと主張するが、当時は必要となる工学的知見が確立していなかった。それ以降に行政指導によって普及を図ったことが著しく合理性を欠くとは言えない。
社会的にも、55~59年には石綿肺の発症者が増加傾向にあることが新聞報道されたことなどを考えれば、個々の労働者や事業者に石綿肺に対する認識が全くなかったとは考えられない。国が事実を隠蔽(いんぺい)したり、ことさら過小評価したとも認められない。
原告らは、粉じん濃度の測定について、国への報告を義務付けなかったことが違法と主張するが、それによって測定が怠りがちになったというのは、単に事業者が自らの怠慢行為を正当化することに他ならない。
労働者の同居家族の保護については、65~74年当時、家族を含む近隣住民に健康被害が生じた例はなく、法令上対策を講じなければならないほどの事情があったとは認められない。
国は、旧安衛則においても事業者が講じるべき粉じん対策の対象から石綿を除外しておらず、医学的知見の進展や工学的知見の普及に併せた法整備や行政指導を順次行ってきた。石綿は海外諸国でも長く使用禁止とまではされず、日本が禁止した時期も特に遅れたものではなかった。
結局、国の法整備や行政指導などの一連の措置は、その許容される限度を逸脱して著しく合理性を欠くものであったとは認められず、規制権限の不行使に該当しない。従って、原告らの請求はいずれも理由がない。
毎日新聞 2011年8月26日 大阪朝刊
アスベスト:大阪・泉南訴訟 被害者、逆転敗訴 高裁、国の不作為責任認めず
大阪府泉南地域のアスベスト(石綿)工場の元労働者や近隣住民らが、アスベストによる健康被害の損害賠償を国に求めた訴訟の控訴審判決が25日、大阪高裁であった。三浦潤裁判長(退官のため田中澄夫裁判長が代読)は、国の不作為責任を初めて認めた1審・大阪地裁判決(昨年5月)を取り消し、原告側逆転敗訴の判決を言い渡した。高裁は「国が1947年以降、健康被害の危険性を踏まえて行った法整備や行政指導は著しく合理性を欠いたとは認められない」と、国の責任を否定した。原告側は上告する方針。【苅田伸宏】
原告らは06年以降に順次提訴し、32人が総額9億4600万円の賠償を求めていた。1審判決は、石綿肺などの石綿関連疾患と石綿粉じん吸引の関連性を認める医学的知見が固まった時期を考慮し、国が事業者に対し、1960年の旧じん肺法制定までに排気装置の設置を義務付けなかったことなどから、事業者と同等の共同不法行為責任があるとして約4億3500万円の賠償を命じた。
高裁は、労働者の安全確保に関する旧労働大臣の規制権限のあり方を検討した。「化学物質の危険性が懸念されるからといって、ただちに製造、加工を禁止すれば産業社会の発展を著しく阻害しかねない」と指摘。規制の判断要素になる医学的知見などは変化するため、権限行使の時期や内容は「当該大臣によるその時々の高度に専門的で裁量的な判断に委ねられている」と、行政の広範な裁量権を認めた。
さらに「健康被害が発生した場合も、規制権限の不行使がただちに違法にはならない。許容される限度を逸脱して、著しく合理性を欠くときに限り違法」とした。
こうした前提を踏まえ、高裁は、国の石綿対策について「排気装置の設置や防じんマスクの着用などを指導してきた。一定の効果を上げたのも事実」と認定。昭和30年代には社会的に石綿の危険性が認知され、国も石綿の問題を過小評価しておらず、石綿を扱う事業者が労働者に防じんマスクの使用などを指導することで健康被害を防ぐことは十分可能だった、と判断した。
原告側は「国は産業保護を優先して健康被害を軽視した」として、国のさまざまな権限不行使を指摘していたが、判決は排気装置の設置義務付けについて「設置に必要な工学的知見が確立していなかった」として認めないなど、訴えをすべて退けた。
■信じがたい暴挙
原告団と弁護団は「泉南地域の被害と国の加害の事実から目をそむけ、国民の生命、健康よりも経済発展を優先させた国の責任を不問に付すもので、信じがたい暴挙。直ちに上告し、引き続き泉南アスベスト被害の全面解決を求めて最後まで闘い抜く」との声明を出した。
■主張認められた
厚生労働省は「国のこれまでの主張が認められたものと認識している。今後とも、アスベストによる健康障害防止対策に取り組んでいきたい」。環境省も「今後とも建築物解体時などの石綿の飛散防止や石綿健康被害者の救済などを進めていく」とのコメントを出した。
■解説
◇司法判断の流れに逆行
原告側逆転敗訴を言い渡した25日の大阪高裁判決は、国が規制権限を行使せず被害が生じたとする原告側主張を退けた。今回の判決は産業発展を重視し、規制に関する国の裁量権を広範に認めた。じん肺や公害などの健康被害を巡る近年の訴訟では、国の不作為責任を認める司法判断の流れが続いてきたが、こうした流れと正反対の判断を示した。
04年の筑豊じん肺訴訟と水俣病関西訴訟の最高裁判決では、重大な健康被害について国の不作為責任を認定。司法が行政に介入しない「司法消極主義」を脱却し、健康被害に苦しむ国民を救済する方向性が示された。
1審判決もこの流れに沿った内容で、医学的知見などが固まった二つの時点をとらえて規制権限不行使の違法性を認定。「労相は事業者が経済的負担を負うことを理由に、石綿粉じんにさらされる労働者の安全をないがしろにすることはできない」とし、国に事業者と同等の共同不法行為責任があると判断した。
しかし控訴審は逆の判断を示した。控訴審判決について、吉村良一・立命館大法科大学院教授(環境法)は「経済活動に大きく配慮し、生活や健康被害を軽視する内容で、国の裁量範囲を広げ、不作為が違法となる部分を例外的とみている」と指摘し、最近の司法判断の流れに逆行すると評した。
原告側は上告して徹底的に争う構えで、判決を「形式的な行政を追認する裁判は意味がない」と批判する。最高裁がどのような判断を示すか注目される。しかし、原告は高齢者が多く、訴訟に時間的な余裕はない。【苅田伸宏、日野行介】
毎日新聞 2011年8月26日 東京朝刊
アスベスト:大阪・泉南訴訟 被害者、逆転敗訴 村山・早稲田大教授の話
■底流に産業優先--村山武彦・早稲田大教授(リスク管理論)の話
国は1950~60年代、既に石綿の危険性や対策方法について外国から知見を得ていたはずだ。判決は、そうした対策が技術的・経済的に困難だったと結論づけている。しかし実際には、対策指針を作ったり、補助金をつけるなどして、国が被害の拡大を防ぐことができたのは歴史的に明らかだ。経済のためにはある程度の被害が出ても仕方ないという産業優先の考え方が底流にある判決だ。泉南以外にも石綿被害を巡る訴訟は各地で続いており、影響が出ないか懸念される。
毎日新聞 2011年8月26日 大阪朝刊