四代目・柳亭痴楽(りゅうていちらく)の「綴(つづ)り方狂室」に「〓郵便ポストが赤いのも、電信柱が高いのも、みんな痴楽が悪いのヨ」という自虐ギャグがあった。
いまの国会論戦がそれだ。震災も、政争も、円高も、財政赤字も、みんな菅直人が悪いのヨである。野党も与党も「菅さえやめれば万事解決」の胸算用。菅の反論がまた、伏し目がちで言いわけがましい。
今は原発推進の国策を問い直す時だ。なのになぜ、大政党は原発リスクを正面から論じないのか。リスクを追及するのはなぜ、いつも共産党と社民党なのか。これはイデオロギーではなく、科学技術の問題ではないのか。そこを問いたい。
早い話が「ベトナム原発」問答だ。日本は昨秋、ベトナムから原発を2基受注した。菅のトップセールスだった。その菅が脱原発へ動いた。
先週20日の衆院予算委で、自民党が「危ない原発を輸出していいのか」と追及した。菅は経過説明の揚げ句、「エネルギー政策と成長戦略を含めた中で議論が必要」とかわした。賢問愚答には違いないが、攻める側も最後まで自分の考えは明かさず、当然の帰結として、論戦そのものが浅くなった。
「経済技術大国=輸出立国主義」路線と「脱原発」路線の調和は歴史的な課題である。首相が鮮やかに説明できれば理想的だが、もたついたから無能、不実とも言えない。
もしも野田佳彦首相や、仙谷由人首相や、谷垣禎一首相であれば、説明しきれるか。そうもいくまい。首相の顔を代えれば答えが出る問題ではない。「ベトナム原発」問答の背景は大きく、根は深い。
ベトナムへの原発輸出の是非を問うなら、まず、何が危険かという根源の問題から整理しなければならない。
原発リスクに関する科学者の見解は割れているが、保険業界の見立ては均質で客観的だと言われている。元日本興亜損保社長、品川正治(86)=現同社相談役、経済同友会終身幹事=がこう言っている。
「原子力事業は、損害保険という側面から見ても、通常の経済的営みとは別枠でしか存在しえない」(「世界」5月号「原子力と損害保険」)
なぜなら原発災害は、テストできないので発生の確率が読めず、最悪の規模も損害も見当がつかないからだ。
被害は空間的、社会的のみならず、子孫の遺伝子を傷つけて時間的にも広がる。同じ巨大技術でも、ジャンボジェットやマンモスタンカーとは全く異質だというのである。
原発推進派は「安全性を高めればいい」と言うが、そもそも何を基準とし、何をもって安全と見るのか。福島原発震災で思い知らされた使用済み燃料の処分はどうするか。展望なき核燃料サイクルをどうするか。「もんじゅ」はどうか。ベトナムとの契約で使用済み燃料の処理をどう決めたのか。
国会論戦に付すべきことは山ほどあるが、そういう流れになっていない。なぜか。首相はすでに退陣表明したことになっている。もうちょっとで辞めると思うから、野党は本論より揺さぶりに精を出す。
菅は粘りが身上だ。粘りながら「道化師」を演じ、国民に考える時間を与えているという武田徹・恵泉女学園大教授の見立て(本紙21日朝刊)が面白いが、国会は明らかに時間を空費している。菅より原発リスクを論じてもらいたい。
毎日新聞 2011年7月25日 東京朝刊