きしむ多人種国家アメリカ:/1 「肌の色」への憎悪
  


 

■「不法移民うんざり」9歳女児まで殺害

 

 「どうしてパパとママを撃ったの? お願い、私を撃たないで」。9歳の少女の声が震える。押し入った男は冷酷に無視し、そのあどけない顔に銃弾を撃ち込んだ。

 メキシコとの国境に近い米アリゾナ州アリバカ。09年5月、ヒスパニック(中南米系)のラウル・ジュニア・フローレスさん(当時29歳)と妻ジーナさん(同31歳)、次女ブリセニアちゃんの3人が自宅で襲われた。ジーナさんは床に倒れ、死んだふりをした。娘の「最後の言葉」を聞いたのは、その時だった。

 

 生き残ったジーナさんの証言に基づき、反移民を訴える民間の国境監視グループ「ミニットマン・アメリカン・ディフェンス」の女性事務局長(当時)、ショーナ・フォルデ被告(43)=2月に死刑判決=とその男性幹部ら3人が逮捕された。

 

 「ミニットマン」とは、アメリカ独立戦争を戦った民間義勇兵の呼び名だ。有事には、即座(1分=ワンミニット)に駆け付けるという意味。その名を冠した民兵組織は全米各地にある。政府の国境警備隊とは別に、独自に国境付近をパトロールし、メキシコからの不法移民を探して当局に引き渡している。公民権団体からは、白人至上主義の移民排斥団体とも分類される。

 

 フォルデ被告らは、フローレスさんが麻薬取引に関与しているとの誤った情報を得て、強奪して活動資金に充てようと計画した。「ヒスパニックだから、偏見を持たれているんだ」。フローレスさんの父ラウルさんが、悔しそうに語る。フローレスさんは不法移民ではない。米国生まれのメキシコ系3世であり、れっきとした米国市民だ。だが「肌の色」で偏見を持たれ、9歳の娘まで殺害されたという。ラウルさんはこれまで、白人記者の取材には応じていない。

 

 その10カ月後、同じアリゾナ州で白人の牧場主が殺害された。警察は確たる証拠もなく「不法移民による犯行の可能性」を指摘。同州議会は、全米で最も厳しい不法移民取締法を制定した。

 

 生き延びた妻、ジーナさんの自宅を訪ねた。取材に応じた父親は「(フォルデ被告は)白人至上主義者だ。動機は憎悪だよ。おれたちヒスパニックが嫌いなんだ。君たち(アジア人)もな」と語った。

 

 

 

 米メディアによると、フォルデ被告は5歳の時に養子縁組で親元を離れ、心理的、性的な虐待を受けた。少女時代は盗みや売春を繰り返した。4回結婚し、若者カウンセラーや美容師など職を転々として、07年、地元の市議選に出馬。落選したが、このころから社会的な「活動」に傾倒していった。

 

 フォルデ被告の警察における取り調べ調書がある。「ミニットマン運動の全国ディレクター」を自任。運動を始めた理由は「不法移民にはうんざり。経済に悪影響を及ぼし(米国の)コミュニティーを壊滅させるから」。仲間との連絡には「ホワイト(白)」という呼び名を使っていた。

 

 

 

 

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 黒人というマイノリティー(民族的少数派)出身の大統領が初めて生まれた米国。世界に「人種の壁を超えた」イメージを発信したが、過激な白人至上主義が、勢いを増している。米国が抱える人種差別という「闇」。その現場を報告する。【アリバカ(米アリゾナ州)で吉富裕倫】=つづく

 

 

 

 

■白人至上主義が過激化

 

 米国内の人種差別問題を調べる非営利組織「南部貧困法律センター」(本部・アラバマ州)によると、人種や信仰などへの偏見から、差別的な活動をする団体の数は00年から増え続けている。特にオバマ大統領が就任した09年から翌10年にかけ、70団体も急増。初めて1000団体を超えた。

 

 背景には、08年秋からの景気の悪化がある。失業率が急激に高まり、白人の中・低産層は、ヒスパニック系移民や黒人と激しく「職」を奪い合った。特に低賃金で働く不法移民への反感は強く、白人たちは、全米各地で国境監視のための民兵組織を結成した。さらに同年11月には、米国初の黒人大統領が誕生。「人種をめぐるあつれきが高まり、白人至上主義者の過激化が進んでいる」(同法律センター)という。

 

 米連邦捜査局(FBI)によると、人種や信仰を理由とする「ヘイトクライム(憎悪犯罪)」の数は、オバマ政権が発足した09年は6604件で、07年(7624件)から減少している。だが「統計は捜査機関の自発的な申告に基づく」(FBI)もので、必ずしも現状を反映していない。米国では、そもそも憎悪犯罪を明記していない州法があるうえ、規定があっても差別意識が動機かどうかの立証は難しい。さらに「半数以上は警察に報告すらされていない」(同法律センター)のが現状だからだ。

 

 人種に対する偏見が動機とみられる事件は、オバマ政権下で相次いでいる。南部ルイジアナ州では昨年9月、「オバマ(米大統領)はムスリム(イスラム教徒)」などと書かれたチラシがイスラム教センターにまかれた。西部ワシントン州では今年1月、黒人公民権運動指導者の故マーチン・ルーサー・キング牧師の記念日のデモ行進に合わせ、そのルートに爆弾が仕掛けられた。男性被告(36)は、白人至上主義団体との接点が指摘されている。

 


 

 

毎日新聞 2011年6月22日 東京朝刊

 

 


 

 

きしむ多人種国家アメリカ:/2 茶会運動「白人主義」色濃く
 
 

 

■「国奪われる」と危機感

 

 「白人が税金を払っているのに、(その恩恵で、非白人の)不法移民が教育や福祉などの公共サービスを受けている。街はどこも移民であふれ、白人が安心して住めるような場所がなくなってしまった」。白人利益の保護を求める政治団体「アメリカン・サード・ポジション」理事で、カリフォルニア州立大ロングビーチ校のケビン・マクドナルド教授(67)=心理学専攻=は、不法移民への反感をあらわにする。

 

 同団体は昨年1月、本部を西海岸のカリフォルニア州に置き、わずか30人でスタート。米経済の悪化を背景に、低賃金で雇用を確保する不法移民を批判し、即時国外退去や米国への新たな移民の禁止を提唱した。1年余りでニューヨークなど全米各地に7支部を設置し、会員は2500人に達した。

 

 マクドナルド教授は「反ユダヤ」で知られる。代表のウィリアム・ジョンソン弁護士は「米国はヨーロッパ移民の子孫の白人の国であるべきだ」と主張してはばからない。最近では、保守系の草の根運動「ティーパーティー(茶会運動)」メンバーのうち、特に人種問題に関心の強い保守的な層を積極的に取り込み、さらにその勢いを拡大させている。

 

 茶会運動は昨年11月の中間選挙で、歴史的な盛り上がりを見せた。オバマ政権が無保険者を減らすために推進した医療保険改革は財政支出を肥大化させ、次世代に巨額の借金をもたらす「大きな政府」と批判した。オバマ大統領の民主党は下院で大幅に議席を減らして少数派に転落した。

 

 茶会運動の参加者の中には、有色人種もいる。だがマクドナルド教授は「集会に参加したこともあるが、大半は白人だった。何人かの黒人はいたが、お飾りだ」と指摘。中間選挙で茶会運動をけん引し共和党候補を躍進させたのは、異なる人種に対する「白人の怒りだ」と主張する。

 

 選挙当時、茶会運動の参加者の一部は、オバマ大統領をアフリカの原住民族や動物に見立てた写真やプラカードを掲げた。これに対し、黒人の地位向上を訴える人権団体は「人種差別を排除すべきだ」と訴えたが、茶会運動側は反発。あくまでもオバマ政権の政策批判だとして、人種との関わりを否定した。

 

 だがマクドナルド教授は「本音を言えば人種差別と言われるから、否定しただけ。茶会運動の実態は、白人の中・低産層によるもの」と言い切る。「白人主義」を鮮明にするマクドナルド教授と、それを批判する黒人団体。皮肉にも、その両者の見方は一致する。

 

 アメリカン・サード・ポジションのような過激な白人至上主義団体と茶会運動。両者に通底するのは、非白人に「米国が奪われてしまう」という強い危機感だ。米国では現在、ヒスパニック(中南米系)は国民の6人に1人にまで増加。政府推計によると、2042年には、白人は民族的少数派の合計を下回り、多数派としての地位を失うとされている。【ロングビーチ(米カリフォルニア州)で吉富裕倫】=つづく

 


 

 

毎日新聞 2011年6月23日 東京朝刊

 

 


 

 

きしむ多人種国家アメリカ:/3 司法保守化で「混合政策」後退
 


 

■教育現場、進む「再隔離」

 

  09年秋、米テネシー州ナッシュビル。中学生だった黒人のレン・スパーロックさん(12)はある日突然、地元の教育委員会から「校区が変わった」と告げられ、転校を命じられた。バス通学していた白人地区の学校から、自宅近くの黒人の多い中学へ。新しい級友には「白人みたい」といじめられた。白人のような標準的な英語を使い、「黒人なまり」で話す習慣がなかったからだ。スパーロックさんは訴訟を起こし、2週間後、もとの学校に戻った。

 

  校区変更の理由について、当時の市教委幹部は取材に対し「白人の親が校区を変更するよう求めた。当時の教育委員長は、『応じなければ、次の選挙で教育委員に再選されないかもしれない』と話していた」と明かす。

 

 米国では1960年代、黒人のキング牧師が率いる公民権運動が拡大。64年、人種や信仰による差別を禁じる公民権法が成立した。教育現場でも、異なる人種の子どもたちが共に学べる環境を作る「人種混合政策」が始まり、各校区に白人と非白人の居住区を含めるよう義務づけた。

 

 だがこの政策は、さまざまな「壁」に阻まれ、形骸化していった。その一つが、連邦最高裁の司法判断の保守化だ。最高裁は71年、離れた地区の公立校へのバス通学を合憲とし、黒人らが白人地区の学校で学べるよう促した。しかし保守的なブッシュ政権(共和党)時代の91年、最高裁はバス通学を行わない自治体に対し「連邦裁判所がそれを強制的に命じることまではできない」と判断。多くの自治体はこれを「強制されない」と受け止め、教育現場の人種融合を後退させた。

 

 白人地区の不動産業者が、有色人種の入居を違法に拒む「住宅差別」も事実上、放置されている。カリフォルニア大ロサンゼルス校(UCLA)の公民権プロジェクト(CRP)によると、住宅差別は年間400万件以上報告されているが、不動産業者が処罰されることはほとんどないという。

 

 子どもの住所を、白人地区に住む知人の住所に登録し、越境入学を試みる親もいる。オハイオ州アクロンの黒人女性、ケリー・ウィリアムズボラーさん(40)は、別居する実父の自宅を娘2人の住所として届け出て、白人地区の学校へと越境入学させた。だが今年1月、学校への提出文書に虚偽記載をしたとして、裁判で有罪判決を受けた。「裁判にかけられ、見せしめにされた」。そんな悔しさをかみしめている。

 

 なぜ白人地区の学校に通わせたがるのか。米国では公立校の運営費の多くは、その地区の税収でまかなわれる。白人の多く住む地区の学校ほど、教材の種類は豊富でコンピューター設備も整う。「最善の教育を受けさせたい」。親を突き動かすのは、そんな切実な思いだ。

 

 CRPによると、米国でほぼ単一人種の学校に通う生徒は、09年に黒人で39%、ヒスパニック(中南米系)で40%。「40年前よりむしろ再隔離が進み、同じ人種が同じ学校に集まる傾向が再び強まっている」(オーフィールドUCLA教授)【ナッシュビル(米テネシー州)で吉富裕倫】=つづく

 


 

 

毎日新聞 2011年6月24日 東京朝刊