3 途上国で広がる死刑廃止
  

 



■背景に弾圧、抵抗の歴史




 「中心課題は三つ。中国は、少数だが死刑廃止の模索が動き出している。米国も廃止する州の数は増えていく。一番難しいのはイスラム原理主義国だ」



 10月10日の世界死刑廃止デーに合わせて8日開かれたパリ弁護士会館の集会で、死刑廃止運動のシンボル的な存在であるバダンテール元仏法相は熱弁を振るった。



 中国の模索とは、反体制運動のことではない。司法界の中枢に、成長を続ける経済大国として、司法の近代化や社会の開放が進めば、死刑廃止も視野に入れなければならないという考えが生まれていることを指す。



 フランスは中国の司法官100人を招いて研修を行った。バダンテール氏は訪中した際、元検事総長から「機は熟していないが、将来は廃止へ向かう」と説明されたという。



 死刑判決はすべて最高人民法院が再審理し(07年)、死刑適用の罪の数を減らす(10年)といった微々たる変化も表れている。



 そもそも死刑の全容と実態が不明なので、「改革など信じられない」(アムネスティ)という反応はもっともだが、死刑廃止が政治主導で進む以上、死刑廃止運動にとって中国は、硬直した日本より変化の兆しが見えるという評価になる。



 「驚くことに、死刑廃止と民主主義の成熟度には、比例関係があまりない。独裁国で廃止されたり、民主主義が発達しすぎて廃止できないこともある」。ジムレ仏人権大使の指摘は興味深い。



 死刑廃止国が世界の3分の2に上るのは、南米やアフリカで広がったのが大きい。植民地からの独立、独裁者の交代といった政治の転換が起きると、死刑廃止は「前時代との決別」を印象づけるのにうってつけだ。新しい権力者たちは、死刑が権力の道具に使われる危険を知っている。



 「死刑は私的レベルでは報復だが、国家の力という本質も持つ」(仏社会学者ガイヤール博士)。弾圧や抵抗といった厳しい政治体験を通じ、市民が死刑に「国家の力」を見て取るか、報復という私的な次元にとらわれているかによって、死刑に関する議論も政治も世論も大きく違う。




 韓国は死刑制度は残るが、金大中政権以来13年間、執行がない。軍部による弾圧の経験が国民に生々しく共有されているからだが、凶悪犯罪に世論が憤激して死刑を叫ぶのは日本と変わらない。



 日本の死刑支持率が高止まりし、政治の動きも鈍いのは、死刑の理解が私情のレベルに偏っていて、国家の力を見て取る思考が貧しいからだ。しかし世界の現実は、死刑論議が各国の国際感覚や政治レベルを試す先鋭的な問題に他ならないことを示している。【ジュネーブ伊藤智永】=つづく

 

 

 


毎日新聞 2010年11月24日 東京朝刊

 

 

 


4 フランス、授業で死刑議論
  

 



■「廃止は文明化の過程」




 「どうして大統領は何もしなかったの」

 「検事はなぜそんなにしつこく攻めるの」



 10月8日、パリ近郊の公立中学校。米国人女性キリヤンさんが、殺人罪で2度死刑を求刑され、服役16年目に冤罪(えんざい)と分かって釈放された体験を語ると、13~15歳の生徒たちから率直な質問が飛んだ。憲法に死刑廃止が明記されている国とはいえ、日本では想像しにくい授業風景だ。



 「議論や教養、思想がなければ、自動的に死刑賛成になる。死刑廃止は文明化の過程の一つ。文明化とは教育だ。死刑廃止に教育は欠かせない」(社会学者ガイヤール博士)



 授業の後、生徒たちに意見を聞くと、「フランスの死刑廃止を誇りに思う」「国が殺すのは考えられない。人間的でない」「発展している国は廃止すべきだ」などの答えが多く、「日本には死刑があるの」と驚かれた。



 先進国で死刑を続けるのは今や日米だけ。日本に「死刑外交」での孤立感が薄いのは、どこかに「米国だって……」という甘えがあるからではないか。だが、日米の実情にはかなりの落差がある。



 米国の死刑廃止論議は欧州より古い。現在、全米で15州が廃止、残る35州のうち12州は10年以上執行がない。州議会や市民レベルで死刑の是非や処刑、公開の仕方について議論の積み重ねがある。



 72年に連邦最高裁が「死刑は残虐な刑罰に当たる」と違憲判決を出し、全米で執行が停止されたこともある(4年後に合憲判決)。02、05年には欧州での判例を根拠に、知的障害者と18歳未満の死刑に違憲判決が出された。



 「私個人も含め多くの米国人が死刑に反対し、死刑が制限されるよう提唱してきた」



 11月5日、ジュネーブの国連人権理事会で、欧州各国が米国に国全体での死刑廃止を迫ると、元米国務次官補のコー米国務省法律顧問は当たり前のように答え、耳目を引いた。米国は執行停止にも同意していないが、「死刑外交」での態度は、拒絶一辺倒の日本とは明らかに異なる。



 死刑廃止か存続か。論理を突き合わせても、なかなか黒白はつかない。それでも廃止論に勢いがあるのは、人間の理性と進歩を信じる限り、必ずや死刑廃止に行き着くべきもの、という理想に依拠しているからだ。



 新興国も途上国も世界の大勢は、これから発展しようと勇んでいる。先進国で流行の保守主義は理性と進歩の過信を疑うが、否定もできない。死刑廃止論は、理性と進歩を信じて変化を求めるうねりに乗って広がり、衰退気分に浸る日本は「今まで通りではダメなのか」と抵抗する側に押しやられている。



 文化や宗教、経済発展の違いはあっても、人権尊重は今や世界中が目指す理念となり、死刑廃止は人権普遍化のシンボルの一つになりつつある。【ジュネーブ伊藤智永】=おわり

 

 

 



毎日新聞 2010年11月25日 東京朝刊