2010年10月19日 (火)
こんばんは。中国では、きのう閉幕した共産党の中央委員会総会で、習近平国家副主席が、軍の要職にも就任し、2年後に引退する胡錦涛国家主席の後継者の座を固めました。
一方、内陸部では、まさに、そうした共産党の重要会議の最中に、反日デモが次々と発生。
中国社会の不安定要素が浮き彫りになりました。そこで、今夜は、反日デモの背景と、中国共産党が抱える多くの課題、そして次の世代をになう権力継承への動きを見てまいりたいと思います。
尖閣諸島の領有権をめぐり、中国国内で広がりを見せる反日デモは、16日、内陸部四川省の成都や、陝西省の西安、そして河南省の鄭州で起きたのに続き、おととい17日には、四川省綿陽、きのうは湖北省武漢と、3日連続で発生しています。参加者の多くは学生や若い市民で、「尖閣諸島は中国の領土だ」という主張や「日本製品のボイコット」を叫び、一部は、暴徒化して、日系のスーパーマーケットや日本料理の店を襲撃し、日本の車を壊すなどの過激な行動にも及んでいます。
もちろん、言論の自由は尊重すべきですが、店を襲撃したりモノを壊したりする行為は、決して許されるものではありません。厳しく取り締まってほしいと思います。
インターネットや携帯電話には、今も、デモの呼びかけが書き込まれ、今週末23日には、四川省の徳陽、26日には、内陸部の直轄市、重慶で反日デモを行おうという呼びかけが行われています。
先週末からの一連の反日デモは、先月半ば、海上保安庁の巡視船に漁船を衝突させた中国人船長が拘留されている最中に、大都市北京や上海で起きたデモとは、少し、色彩が異なるものといえます。当時は、中国政府も、日本を強く非難し、日中関係が最も冷え込んでいる時期でした。ところが、その後、船長が釈放されたこともあって、中国政府が、関係改善の方向に舵を切り始め、今は、来月横浜で開かれるAPEC・アジア太平洋経済協力会議の首脳級会議に向けて、日中首脳会談実現への調整が進められています。
今回、中国政府の意向とは、むしろ、逆行する形で、反日デモが相次いでいる背景には、いったい何があるのでしょうか。ひとつには、日本で一部行われた中国への抗議デモに対抗する意図があるとの見方が出ています。
尖閣諸島付近の領海で事件が起きた後、日本国内では、中国が次々打ち出した強硬措置に反発する声が高まりました。そうした中、一部で中国に抗議するデモも行われたのです。
日本側のデモは、整然と行われ、一般的な広がりはありませんでしたが、中国の学生や若者の中には、これに敏感に反応し、デモにはデモで対抗しようと、内陸部の都市で反日デモを行おうという呼びかけが、次々とインターネットに書き込まれたのです。
反日デモのもう一つの原因は、中国国内で拡大する沿海部と内陸部、都市と農村の貧富の差の拡大。そして役人の汚職腐敗に対する不満が鬱積しているという社会背景が考えられます。もちろん、中国共産党を直接批判すれば命取りになりますが、日本批判を口実に、多少暴れても、たいしたお咎めは受けない。そのような土壌の中で、反日の機運が高まったという見方です。
もうひとつ尋常でなかったのは、中国共産党が中央委員会総会という重要会議を開催中。
地方の最高幹部も会議のためほとんど北京に出張中という状況の中で、まさにその裏をかくように次々と発生したことです。これには、中国共産党の最高指導部、とりわけ、きのうポスト胡錦涛の座を確実にした、習近平国家主席も警戒感を抱いたのではないでしょうか。
中国共産党の中央委員会総会は、中国の今後の政治路線を決める重要会議です。
今回は、軍の要職である中央軍事委員会の副主席選出と、来年スタートする新しい5カ年計画の大枠が議題となりました。いずれも、今後の中国の行方を決定付ける重要なテーマです。
このうち、軍事委員会の副主席には、習近平国家副主席が選ばれました。中国の最高実力者の座は、軍のトップ。すなわち中央軍事委員会の主席が握っています。
かつて小平氏も、この地位を堅持することで改革開放に大鉈を振るいました。その後を継いだ江沢民前国家主席、胡錦涛国家主席もこのポストについて、初めて、大きな権力を手にしたのです。
今回の中央委員会総会では、習近平氏がその一つ手前。中央軍事委員会の副主席に選出されました。これによって、習近平氏は、胡錦涛主席が引退すれば、繰り上がりで軍のトップに上り詰めることは間違いないでしょう。
また、習近平氏は、共産党と国家、それに軍という3つの大権のすべてで、要職を手にしたことになり、次期リーダーとしての国内の足場がために成功したといえるでしょう。
習近平氏が、軍事委員会の副主席に選ばれたタイミング。それは、胡錦涛氏が引退する党大会の2年前。実は、胡錦涛氏が軍事委員会の副主席に選ばれたのは党大会の3年前でしたから、それに比べて、1年遅い就任ということになります。
ただ、一年遅れたことで、習近平氏の軍への影響力が少ないかといえば、けっしてそうとは言えません。それは、習近平氏の歩んだ経歴を見ればわかります。
習近平氏は、大学卒業後、耿颷(こうひょう)副首相の秘書をつとめました。実は、耿颷氏、副首相であると同時に、中央軍事委員会の秘書長も務めていたのです。この結果、習近平氏は、事実上、中央軍事委員会を仕事場としていたといわれています。
その後、自ら志願して地方に出た習近平氏は、福建省や浙江省、そして上海市の党指導者としての地位を歴任しました。ところが、きのう発表された習近平氏の経歴には、そうした党の経歴と合わせて、ごらんのように、地方の軍の要職も兼ねてきたことが付け加えられていました。
普通、地方の党の幹部は、それぞれの地方の、軍の党書記を兼ねることは一般的ですが、今回あえて、そうした軍の経歴が強調された背景には、そうした軍の経歴が、けっして形式的なものではなかったことを示すものといえます。習近平氏は、すでに軍の中に相当な人脈と影響力を持っていることがうかがわれます。
そこで、注目されるのが、習近平氏が、2年後に、胡錦涛国家主席の後を継ぐことで、中国共産党の路線が、どのように変わるのかということです。実は、中国共産党の中でも、習近平氏は、胡錦涛主席とはまったく異なるグループに属している指導者です。
胡錦涛国家主席は、親日的だった胡耀邦元総書記の配下、共産主義青年団の出身で、やはり日本に思い入れの深かった小平氏の一声でトップの座に抜擢されました。一方、習近平氏は、バックには、日本に厳しい姿勢を示した江沢民前国家主席、保守的な長老、軍幹部などがいるといわれています。革命幹部を親などに持つ二世指導者、いわゆる太子党の代表格といわれ、上海を地盤とする上海閥といわれるグループの支持も受けているといわれています。
もちろん、中国は、今後も政治局常務委員を中核とした集団指導体制をくずさず、ライバルといわれ、胡錦涛国家主席のあつい信任を受けてきた李克強副首相ら共産主義青年団出身のグループの指導者たちとも力を合わせて国を運営することになるでしょう。
その意味では、2年後にトップが交代しても、中国の政治が大きく変わるということにはならないかもしれません。ただ、日中関係は、今回、尖閣諸島の領有権問題をめぐって、ふたたび大きく冷え込みました。外交面では、戦略的互恵関係という大局に立って、改善をめざしつつありますが、安全保障の面では、なおお互いの不信感は根強いものがあります。党保守派や軍に大きなバックを持つ習近平氏としては、そうした日本との関係に、どう対処しようと考えているのでしょうか。
日中関係には、今後も、なおいろいろと紆余曲折がありうるだけに、これから2年間、胡錦涛国家主席の下での助走期間に、トップとしての手腕が試されることになるでしょう。
投稿者:加藤 青延 | 投稿時間:23:59