大阪から見えるイラク/5 武装勢力から届いたビデオテープ /大阪
■日本は友人、出て行くべし
武装勢力から届いたビデオテープは、壁に張られたイラク国旗のアップで始まり、対戦車ロケット砲や遠隔操作爆弾などが雑然と置かれた室内が映し出された。続いて、イラク国旗の前に、武器を手にした覆面姿の4人が現れた。地区の住民だ。うち2人が上半身裸なのは、身元を特定されないためだろう。
彼らは、130人以上のメンバーを持つイスラム教スンニ派武装組織「バグダッドの獅子」だった。撮影されたのは04年5月28日午後3時17分。
機関銃を手にしたリーダーが、しゃがれた声で話し始めた。「我々の子どもたち、女性たち、老人たちが殺された。必ず思い知らせてやる」。撮影者が私の質問を読み上げ、リーダーがそれに答えていく。
--どういった活動をしているのか?
「アメリカと、それに結託する者を狙っている」
--イラクがどのような国になることを望んでいるのか?
「もちろん真の独立とイスラム国家の樹立だ」
--日本人誘拐事件を起こしたグループと関係はあるのか?
「日本人誘拐は我々の専門ではない。だが、サラヤ・アル・ムジャヒディン(04年4月に日本人を誘拐した武装勢力)は知っているし、連絡も取り合っている」
--自衛隊に攻撃を仕掛けることはあるのか?
「自衛隊は米軍と同様だ。我が鉄拳を持って自衛隊を攻撃するだろう。我々は日本政府に自衛隊撤退を強く求める。日本はイラクの友人なのだから、イラクから早く出て行くべきだ」
リーダーは声明を読むかのように、抑揚をつけて答えた。映像はおよそ5分。男たちの「アラー、アクバル(神は偉大なり)」の叫び声で終わった。強い語調で話す彼らの決意と、覆面姿に胸がうずいた。
同じころ、ジャーナリストの橋田信介さんと小川功太郎さんが、バグダッド郊外で武装集団に射殺されるという事件が起きた。“獅子”の一人は「我々の戦術ではないが、アルカイダが呼びかけた外国人殺害懸賞金を狙ったものだと思う」と語った。「人質」から「殺害」へ、事態はひっ迫した。
■人物略歴
◇たまもと・えいこ
1966年、東京都生まれ。豊能町在住。アジアプレス所属のビデオジャーナリスト。デザイン事務所を退職後、94年からアフガニスタン、コソボなど紛争地域を中心に取材。01年以来、イラク取材は8回を数える。
毎日新聞 2008年10月30日 地方版
大阪から見えるイラク/6 「バグダッドの獅子」その後 /大阪
■絶望感から、すべてが敵に
04年5月末、ジャーナリストの橋田信介さんと小川功太郎さんが取材の移動中、武装集団に銃殺された。2人は戦闘で左目を負傷したファルージャの少年を、日本で治療させる計画を立てていた。少年の来日は危ぶまれたが、通信社がバグダッドの日本大使館と話をつけた。
私は少年を空港まで送って行くことになり、航空チケットを預かった。封筒に書かれた少年の名前は、橋田さんの字だった。優しい笑顔を思い出し、筆跡を指でなぞった。ホテルの外に出ると、ビデオカメラを手にしたイラク人たちが少年を待ち構えていた。日本のテレビ局の現地スタッフで、日本人記者の姿はない。外での取材は危険になった。私は帰国を決めた。
イラク出国を目前にした6月上旬、花柄の包装紙に包まれた箱を受け取った。取材をしていた武装勢力「バグダッドの獅子」からだった。入っていたのはオルゴールで、曲は「グリーンスリーブス」。イラクの男はロマンチストなのだ。
「我々はイラクが解放されてから、あなたが戻ることを望む」。英語でしたためられた小さなカードが添えられていた。そのメッセージは、“泥沼の戦い”がいっそう激化し、私の身の安全が保証できなくなることも暗示していた。
現場では「占領と戦う」の声を多く聞いた。最初は言葉通りに受け止めていた。だが取材を重ねるうち、分からなくなった。武装勢力は米兵を殺すことが難しくなると、攻撃しやすい市民を狙った。イラクへ軍隊を送っていない外国人も斬首した。家族や友人が殺され、世界に見捨てられた絶望感が、怒りとなってすべての者に向かっているように、私には見えた。
そこまで追い込んだのは、イラク戦争を起こした米英であり、それを支持した日本であり、私自身にも突きつけられていることは言うまでもない。
「獅子」のその後だが、ビデオインタビューに映ったメンバー4人のうち、2人は米軍との戦闘で死んだ。1人は国外へ逃亡、1人は今年8月に刑務所を出所したという。地区では米軍の支援で反アルカイダ勢力の民兵が組織され、「獅子」は弱体化した。メンバーのひとり、モハメッドには次男が生まれた。銃を置き、地区を離れた。今はタクシーの運転手をしている。<写真・文 玉本英子>
毎日新聞 2008年11月6日 地方版
大阪から見えるイラク/7 つらいからこそ笑顔 /大阪
■「ほっぺをつねる」イラクのオヤジ
イラクのオヤジとナニワの男は似ている。人を笑わせるのが得意だし、いちびりで世話焼きだが、繊細なところもあったりする。そんなイラクのオヤジたちを点描してみたい。
05年の春、私は北部の町アルビルにいた。治安がマシとされるこの町でも自爆事件が頻発しており、この時は警察官採用面接に集まった若者たちの列に自爆犯が突っ込んだ。100人が死傷し、直後の現場には大きな血だまりが広がり、肉片が散らばっていた。恐ろしさに声をあげそうになった。くちびるを思い切りかんで、泣くなと自分に言い聞かせた。
犠牲者の家を訪ね歩いた。ニュースでは死者は人数でしか語られない。しかし、それぞれに名前があり、家族があり、未来があった。イラクの春は砂塵(さじん)舞う季節。空は灰色に濁り、私の心もいつしか曇っていった。
朝、いつものようにカメラバッグを肩に、ホテルの部屋からエレベーターに乗りこんだ。白髪交じりの中年男がじろりと私を見た。「なんて暗い顔だ。笑えよ」。突然、そのオヤジにほっぺをつねられた。こんな状況の中で笑えとは何事か、ひどいオヤジだと思った。
その中年男はホテルの従業員。50代で「名前は内証」という。フセイン時代、共産主義者という理由で弾圧され、密入国でドイツへ渡るが強制送還。バグダッドへ帰るも、治安悪化でアルビルへ逃げてきたと話す。イラク人にしては色白で、時々ヨーロッパ人に間違えられるといい、ドイツにいたことを自慢するこのオヤジを、私はひそかに「ジャーマンオヤジ」と名付けた。
それから毎日、ジャーマンは私を見つけると寄って来て、「笑っているか」と顔をのぞきこむ。ある日、風邪を引いた私は「寒気がする」と言った。「ワシが抱きしめて、温めてやろう」。ジャーマンは体をくねらせながら手をまわし、自分自身を抱きしめた。おどけた動作に笑いがこみ上げてきた。すると「OK、OK」と言い残し、立ち去っていった。ふと気がついた。悲しみに覆われたこの国だからこそ、暗い顔など見たくもないはず。なるべく笑顔でいようと。
数週間が過ぎたころだったか、ホテル近くの路上で「なぜ、あんたはいつも笑っているの?」と果物売りの青年に声をかけられた。「イラクは戦争続きでつらいことばかり。外国人の私だけでも笑顔でいないと」。そう答えると、青年は「ありがとう」と言い、屋台のオレンジを一つくれた。種だらけでとてもすっぱい。口をつぼめた私の顔に、周りの人たちの笑い声が響いた。<写真・文 玉本英子>
毎日新聞 2008年11月13日 地方版
大阪から見えるイラク/8 男たちの秘めた恋心 /大阪
■戦争が2人を引き裂いた
イラクの男には心に秘めた女(ひと)がいる。例えば私の通訳を務める独身のヘンドリン(37)。彼は自分の黒い財布に、ある女性の顔写真を忍ばせている。くり色の長い髪と白い肌、澄んだ瞳がにっこりほほえむその女性、誰なのかと尋ねたら「忘れられない女(ひと)」とほおを赤らめた。ヘンドリンの「元カノ」だった。「安っぽいドラマのような話ですけど」と少し照れながら、当時を思い出すように、ゆっくりと話し始めた。
今から7年前、友人に紹介され、愛らしい笑顔に一目ぼれ。付き合うといっても、イスラム教徒が多いイラクでは、結婚前の「男と女の関係」などありえない。手をつなぐのがやっと。デートはカフェのいつもの席、糖蜜入りの甘いアラブケーキをつつきながら、互いの夢を語り合った。
03年3月19日、イラク戦争勃発(ぼっぱつ)。彼らの住むバグダッドに米軍の爆弾が降り注いだ。父親は命じた。「長男のお前だけでも国を出てくれ」。出発前、彼女の家に電話をかけ続けた。だが通じない。当時のイラクにはインターネットや携帯電話はなかった。
4月9日、隣国シリアでフセイン像が倒れるニュースを知る。バグダッドへ車を飛ばした。しかし彼女に笑顔はなかった。「私を見捨てるなんてひどい。お別れよ」
それから2年目の秋、通りで偶然出くわした。結婚したとうわさで聞いていたが、表情の暗さに苦労がにじみ出ていた。「夫が働かず生活できない」。彼女は涙をこぼした。守ってやれない自分が悔しい。なけなしの金をそっと手渡すのが精いっぱいだった……。
予想外の話に驚くと、ヘンドリンは、戦争で別れたカップルなんてバグダッドには星の数ほどいますよ、とぽつりと言った。「フセイン時代に戻りたいとは口が裂けても言えないけれど、あのころが恋しいです」
男たちの切ない恋はほかにもあった。治安が安定してきた北部アルビル。復興の槌(つち)音が響くこの町に、難民として国外にいたイラクの男たちが、ビジネスチャンスを求め舞い戻って来た。そのひとり、スイスから来たハミッド(56)は、メタボなおなかをした典型的なイラクのオヤジだ。
今年3月のある夜、市内のレストランに誘われた。食事の後、タバコをくゆらせながら彼は言った。
「実は私、好きな女(ひと)ができてね……」<写真・文 玉本英子>
毎日新聞 2008年11月20日 地方版