<1986年1月~3月10日日本支部への嘆願と確認>

「特別、上訴両委員会が真実を擁護し公正な裁きを行なうよう、日本支部として指導してください」との嘆願を7名の支部委員、織田正太郎、杉浦勇、藤本亮介、本間年雄、池端重雄、ジェームス・マンツ、パーシィ・イズラブおよび阿部孝の各兄弟に送る。特別、上訴両委員会に何の動きもないので、2月16日、日本支部に4人の偽り、偽証に関する訴状を送る。

 

 

1986年2月16日

ものみの塔聖書冊子協会
親愛なる兄弟たち

 

霊的パラダイスの王イエス・キリストについてすでに成就している預言の中にイザヤ11:1~5節があります。その聖句はイエス・キリストの裁きについて次のように述べています。「彼は目で見る単なる外見によって裁くのでもただ耳で聞くことに従って戒めるのでもない。そして立場の低い者たちを必ず義をもって裁き…」言うまでもないこととは思いますが、イエスの裁きに見倣い霊的パラダイスの王によって是認される裁きを行なうとすれば、どうしても以下に記す点が必要にならないでしょうか。

 

<1> 片寄った報告だけで裁きを行なわず、両方の情報に耳を傾ける。
<2> 先入観で裁きの方向を決定せず、物事のあるがままの状態を受け入れる。
<3> 裁きの決定は真理のみ言葉、聖書に基づいて下される。
非常に残念なことですが、今回の問題を扱った特別委員、及び上訴委員の監督たちはイエス・キリストに倣った仕方で裁きを行なっては下さいませんでした。それで支部の兄弟たちに是非ともお願いしたいのは、公正で義にかなった神の裁きを行なっていただきたいということです。人に誇れるようなことは何もありませんが、少なくとも排斥に値するようなことは断じて行なっていません。いかに真実が曲げられているかは、同封の偽り、偽証に関する内容を検討して下されば理解していただけるものと思います。

 

私たちとしては可能な限り、このようにはしたくありませんでしたので、まず問題の発端となった二人の姉妹たち、さらに笹山兄弟、藤原兄弟に、偽りを正し真実のために行動して下さるようお願いしましたが、兄弟姉妹たちはそのようにして下さいませんでした。それで私たちから見て「偽り、偽証」と考えられる点を記し、各々の兄弟姉妹に送り、内容に異議があれば申し出てくださるようお伝えしましたが、何の連絡もありませんでした。暗黙の了承とみなし、その内容を特別委員、上訴委員の監督たちに送り、偽りでねじ曲げられた裁きを正してくださるようお願いしましたが、二ヶ月ほど過ぎ去った今、何の応答もありません。このようなわけで、支部の兄弟たちに公正な裁きのお願いをするに至りました。

 

真理の神、エホバは偽ることができず、偽りを憎むと述べられています。そのみ子イエスは自らを真理であると語り、欺きの言葉を決して口にされませんでした。そのような神エホバとみ子イエス・キリストを代表する地上の組織であれば必ずや真実、真理のために行動してくださるものと期待しています。

 

エホバ神のみ名にふさわしく事を正して下さるよう心からお願いし、クリスチャン愛と共に

 

北海道広島会衆

 

 

 

2月27日、支部に最終的な確認を行なう。

 

ものみの塔聖書冊子協会
親愛なる兄弟たち

 

先に2月16日付けの手紙を送り、真理に基づく公正で義にかなった裁きを行なって下さるようお願い申し上げました。いまだ何の連絡もありませんが、扱っていただくことはできないということでしょうか。こちらの方ではすでに終わった問題なので支部が再び取り上げることはもはやあり得ないと伝えられているようですが、その通りなのでしょうか。兄弟たちの最終的な判断と決定を教えていただければ幸いです。

 

「聖書から論じる」の本297ページには神の組織を見分ける7つの点が記されていますが、初めの3つの項目は以下の通りです。

 

<1> それはエホバを唯一のまことの神として真に高め、そのみ名を大いなるものとしている。(マタイ4:10、ヨハネ17:3)
<2> それはエホバの目的におけるイエス・キリストの重要な役割、すなわち、エホバの主権の立証者、命の主要な代理者、クリスチャン会衆の頭、支配するメシアなる王としての役割を十分に認めている。 (啓示19:11~13、12:10;使徒5:31;エフェソス1:22、23)
<3> それは神の霊感によるみ言葉に固く従い、教えと行動の基準をすべて聖書に基づいて定める。(IIテモテ3:16、17)
真理に満ちており、偽ることなど決してできないエホバ神を唯一の神として崇拝し、他のどんなものにも(たとえそれが概念化された組織であっても)相対的な崇拝を帰さない、まさに神の組織であれば「偽り、偽証」(それがどんな立場の人によってなされたとしても)を正すために何もしないということが果たしてあり得るでしょうか。聖なるエホバのみ名が汚された状態をそのままにしておくということなど考えられるでしょうか。絶対にそのようなことはないはずです。

 

またすでに、イエス・キリストは臨在し天の王国から支配しておられるわけですから、そのような組織の指導者、会衆の頭、王イエスを信仰の目で見、その役割を十分に認めているとすれば「真理を証しするために世に来た」といわれた模範に見倣うよう、心から努めるのではないでしょうか。

 

さらに「永遠に生きる」の本187ページ10節にも述べられているように、決定の規準は単なる人間の判断ではなく…人の命が関係する裁きの問題では特に…確実に究極の権威としての聖書に基づいてなされるよう見届けるのではないでしょうか。神の律法を公正に行なうことに特別の注意を払うべき霊的パラダイスの監督、君であれば(イザヤ32:1、2)必ずそのようにして下さるはずです。

 

私たちとしては真理の神エホバのみ名にふさわしく事を正し、そのようにして天的権威に服す神の組織であることを、日本支部の兄弟たちが示して下さるものと期待しています。

 

 

1986年3月11日まで連絡をお待ちしています。しかしもしその時が過ぎても、何も知らせがなく、何もして下さらないとすれば、もはや扱わないということが日本支部としての最終決定であるとみなさざるを得ないと思います。そして非常に残念なことですが、神の組織のidentityを示しては下さらなかった(もちろん限られた意味においてですが)と判断せざるを得ないと思います。できる限りそうは考えたくありませんので、決してそのようなことのないようお願い致します。

 

すべての面でエホバのご意志がなされ、そのようにしてみ名が立証されることを祈願しつつ

北海道広島会衆

 

 

 

広島会衆は3月10日まで600通以上に及ぶ嘆願の手紙を送った。兄弟姉妹たちが書いた手紙の一部を以下に紹介しよう。

 

 

北海道広島会衆で生じました問題において、公正な裁きをお願いしたくお手紙を書いております。

兄弟たちの熱心な働きに心から感謝しております。そのような熱心さを私も集会、奉仕、また日々の生活で、エホバの証人であることを決して忘れないことにより示して行きたいと願っております。

 

私は組織に反抗したのではなく、エホバの証人として、不真実、不公正を受け入れることができなかったため、排斥されてしまいました。(詩篇26:4)

それでどのような裁きが広島で行なわれたのか調査していただけないでしょうか。

真理の組織は、真実に基づいて物事を扱うものとばかり信じていましたので、不公正な裁きがエホバの名のもとに、また組織の名のもとに行なわれてしまったことを私はとても残念に思います。私たちはみ言葉に基づいて、どこが間違っているのか教えて下されば喜んで調整したいと願うものです。排斥になるほど頑なではないと思います…今回の事件では何が正しく何が間違いなのか、また正しいことを望んだ者たちが排斥されて、エホバのみ名に非難をもたらしていた人々が何の処置も取られずにいるので、混乱してしまいました。出版物で学んだ取り決めに従うことが組織に対する従順になるのか、立場のある人間に従うことが組織に対する従順になるのか、その際自分の良心や信仰はどのような位置付けになるのか規準をどこに置いたら良いのか、今後の生き方にも関係してきますので、どうぞ教えて下さい。

 

上訴委員会は17名の姉妹たちを1985年8月4日14:00から呼び出しました。上訴委員の出口兄弟は『同じ場所に呼び出したとしてもみんな一緒に審理するのではなく、他の人は待っていてもらうつもりであった』と述べておられました。しかし一人5分か10分で命にかかわる審理ができるのでしょうか。一人30分としても最後の人は22:30分に終わることになります。未信者の夫を持つ姉妹たちを審理する時間帯と言えるのでしょうか。上訴委員の兄弟たちにマタイ18:12~14の精神があったらと、とても残念に思いました。

 

 

 

<1986年3月12日~12月7日本部への嘆願と確認>
3月12日付けで日本支部に関する訴状を本部の奉仕部門へ送った。

 

1986年3月12日

親愛なる兄弟たち

 

サタンの世の闇が深まりゆき、人々の精神も次第に荒廃してゆく中で、ものみの塔誌が神の義の規準を確固とした態度で擁護し、霊的にさわやかなものを供給し続けて下さることに心から感謝したいと思います。私たちの直面している問題については幾度か手紙を差し上げましたので、すでにご承知下さっているものと思いますが、この度は法的に(legal case として)お願いしたいことがあり手紙を書いています。

 

可能なかぎり、このような形にしないで問題の解決を計ろうと、私たちなりに努力してみましたが、残念なことに、そのすべての試みは実を結びませんでした。まだ余地は残っているのかもしれませんが、周囲の状況もかなり切迫してきましたので、やむを得ず同封の訴状を送ることに致しました。私たちは本部の兄弟たちが『神の義と公正と真理に基づく、より高い裁き』を行なって下さるよう希望します。そのようにして霊的パラダイスにふさわしく事が正され(ゼカリヤ8:16、17)エホバのみ名が清められ立証されることを願っています。加えて私たちの救いも考慮して下されば本当に幸いです。

 

以下は1985年9月中旬から現在に至るまでの簡単な経過です。

 

日本に帰ってから、まず何とか解決を目指して話し合うことはできないものかとその道を模索してみました。私たちはエホバの聖書もその組織も信じており、背教の意志などまったくないこと、ただエホバ神のみ前で正しい良心を持ちたいので真実、真理を擁護して欲しいだけであることを伝えました。また理解できれば喜んで悔い改めるので聖書からその点を教えて私たちを助けていただきたいとお願いしましたが、日本支部からも他のどなたからも返事はありませんでした。それで誤解が生じていると思われる点を調整することが役立つのではないかと判断し、私たちの発言や行動で問題とされた部分の真意を伝えるよう努力してみました。しかし何の効果もありませんでした。

 

続いて問題の発端となった二人の姉妹、さらに笹山兄弟、藤原兄弟に正直に真実を告白し、事態を正すために勇気を持って行動して下さるようにお願いし続けましたが、広島会衆の長老がそれらの手紙の一部を返却するにおよんで無駄であることが明らかになりました。そのため私たちは『偽り、偽証』の訴状を作成し、まず各々の当事者にそれを送り、内容に異議があれば申し出て下さるようお伝えしました。期限が過ぎ去り、何の知らせもなかったのでそれを特別委員会、及び上訴委員会に提出し、偽りを正し真理を明らかにして下さるよう願い出ました。日本支部そして支部委員の兄弟たち、さらに両委員会の監督たちに会衆全体で嘆願を続けながら二ヶ月ほど待ちましたがついに何の連絡もありませんでした。

 

それゆえ仕方なく日本支部の方に問題を提訴することに決め2月17日に別紙Aの手紙(前掲2月16日付の手紙)を添えて直接支部に送りました。返事がありませんでしたので2月28日に確認の手紙別紙B(前掲2月27日の手紙)を出しました。3月11日が過ぎましたので私たちとしては日本支部が最終的に事を正して下さる意志はまったくないものと、少なくとも現時点ではそのように判断せざるを得なくなりました。

 

以上のようなわけで本部の皆さんに私たちの問題の解決をお願いするに至りました。エホバ神のみ前では無意味なことですから私たちは何も隠すつもりはありません。(ヨハネ3:19~21)真実は調べていただければおのずと明らかになるものと思います。この事件を知った心ある人々は生じていることの意味を悟りはじめています。私たちはエホバのみ名と真の崇拝が低められ、神の組織が悪く言われるのを非常に残念に思っています。Yes means Yes の原則通り、聖書とものみの塔の出版物で勧められていることは真実に行なわれるべきものであることを日本でも、またここ広島町でも証明していただけないでしょうか。私たちはエホバがエホバであることを、エホバの業を真実に見たいと心から願っています。過分の親切と憐れみにより私たちの願いを聞き届けて下さるよう、エホバ神がこの事に目をとめて天軍を動かして下さるよう切に祈っています。

 

兄弟たちからの連絡を心待ちにしながら
私たちのクリスチャン愛をお送りいたします。

 

 

 

その後11月まで嘆願の手紙を出し続けた。以下は会衆で出した手紙のほんの一部である。

 

 

出版物を通して本部の兄弟たちは大群衆を教えておられますね。例えば1986年7月1日号では権威の正しい用い方についてこのように書いてありました。「もし官吏が不公正で権威を悪用するなら、あるいは個人または人気のない少数者を差別するならどうでしょうか。聖書はこう助言しています。『資力の乏しい者が虐げられたり、管轄地域で裁きや義が奪い取られたりするのを見ても、そのことで驚き惑ってはならない。その高い者よりもさらに高い者が見張って…いるからである』(伝道の書5:8)…」

 

教えておきながら書いてあることを行なわず何もしないなら、天の法廷で兄弟たちが偽善者として見られるのではないでしょうか。そのようなことはあってはならないと思います。どうぞこのことを熟考され、必ずご返事下さるようお願いします。

 

ものみの塔誌からの教育はいったい何なのでしょう。私たちは今でもエホバが出版物を通して私たちを導いてくださっていると確信しています。もちろん兄弟たちも同じように思っておられるはずです。そしてその中で学んだことを私たちの生活にあてはめてゆくことで、神を喜ばせてゆこうと誰もが願っていると思うのです。言葉の上だけの教育ではないはずです。

 

ものみの塔誌には裁きを行なう監督たちに対し次のような訓戒が載せられています。

「モーセはそのような年長者たちに訓戒を与え、次の事柄を忘れてはならない、と言いました。『裁きにおいて不公平であってはならない。小なる者の述べることを、大なる者の述べることと同じように聞くべきである。あなたがたは人のために恐れ驚いてはならない。裁きは神のものだからである』(申命記1:17)(86、6/1p.21)
私たちの問題を扱う兄弟たちもこの言葉にあるように行動していただきたいのです。監督たちはその責任をエホバ神の前に果たしていただきたいと思います。もし、それをしないなら、エホバはどのように見られるでしょうか。神はその責任を問うでしょう。(ナホム1:3)私たちはそのことを望んでいるのではありません。むしろそうならないでほしいと願っています。兄弟たちがエホバのみ名を負う民の一人であるならエゼキエル3:2~16に述べられている、『失われたものを尋ね求め追い散らされたものを連れ戻し、打ち砕かれたものに包帯をし、病んでいるものを強める』ように実際に行動し、事態を一刻も早く正して下さい。お願いします。

 

皆様はイザヤ61:3にありますように、遠からず天においてキリストと共に全地を支配する言わば“義の大木、霊的巨人”と呼ばれる方々だと思います。今この地上におられる間にも、その精神を示して地の片隅の小さな存在の私たちにも注意を払って下さり、義と公正と真実に基づいて不公正な裁きに関する訴えを取り上げていただけないでしょうか。…それとも象の耳は大きすぎて、アリの声は届かないのでしょうか。象はアリを踏みつぶしても痛くもかゆくもないのでしょうか。真理の組織ならそんなことはないと思いますが。

 

私は、エホバの証人は唯一の真理の組織だと思っています。それは、真理を持っているというだけでなくそれを実践する組織だと思っているからです。もちろん人は誰も不完全で多くのあやまちを犯しますが、真理の組織であるというのなら少なくとも立場や状況に関係なく提出された真理(真実)の前にへりくだるのではないでしょうか。ましてや、何の根拠もなく裁かれてしまうなんて考えられないことです。何のため、また誰のための裁きなのか私には今もってよく分かりません。(II歴代19:6、7)さらに、私たちは、今まで監督の兄弟たちに「私たちの側に悪い点があれば改めたい」と述べているのに何の援助もなされないのはどうしてでしょうか。兄弟たちが真実をもっていらっしゃるのなら、その真実を私たちの前に提出することができると思いますが。

 

僕はじっと待ちました。8ヶ月待ちました。でも何の連らくも来ませんでした。僕は「平和」の大会に出ました。私たちが常に平和を保っていないといけないこと、神も人類の平和を望んでいること、いろいろ学びました。しかし僕の思ったことは単にそういうことだけではなく、この問題も関係あるのではないでしょうか。

神は私たちが常に平和であることを願っています。(マタイ5:9)しかしこのような分れつがあってよいのでしょうか。しかも、罪がない僕達が何故、排斥されなければならないのでしょうか。申命記1:17には、「裁きは神のもの」と書かれています。では何故日本支部が勝手にまたは一方的にあつかってしまうのでしょうか。僕はそういうことが不思議でなりません。また、こういうことがあるというのに何故かんとくさんたちはしらんぷりをしているのでしょうか。さっきの申命記1:17の前半には「小なる者の述べることを、大なる者の述べることと同じように聞くべきである」と書かれています。かんとくというのは名だけなのでしょうか。僕はそうあってほしくないと思います。

 

 

決して僕達は助言をこばんではいません。むしろ喜んで助言を受け入れます。ですからお願いします。エホバ、イエスを倣い、公正な裁きを実行してください。(詩編37:28、30)本当に僕達が悪いのなら、すぐにくいあらためます。僕達は一日も早くこの問題も解決して、イザヤ60:22の「小なる者が千となり、小なる者が強大な国民となる」ことを成しとげたいと思います。そして、ついには詩編37:29の「義なる者は地を所有し、そこに永久に住むであろう」という言葉の成就を見たいと思いませんか! 僕は見たいと思います。エホバが平和な神であることを信じて、公正な裁きを実行して下さることを信じてご連らくをお待ちしています。

 

 

 

11月6日ついに確認の手紙をものみの塔協会に送った。これは広島会衆にとっても一つの転機となった。というのは、この手紙を送るということは事実上組織への復帰が不可能になることを意味していたからである。

 

1986年11月6日

親愛なる兄弟たち

 

本部の皆さんの最終的な判断と決定をお尋ねするために、この手紙を書いています。1986年3月12日付けの訴状を送ってから、すでに8月近くがたとうとしています。十分に時間はあったはずですので、そろそろ取り上げて下さるのか、それとも扱う意志は全くないのか、はっきりしたことを知らせていただきたいと思います。それによって私たちも、右へ行くか左へ行くかを決めたいと考えています。(マタイ5:37;7:16~20)

 

1986年12月7日まで返答をお待ちします。連絡がない場合は訴えを退けたものと受け取らせていただきます。ただし…今回の問題の内容、及びその性質からして、本部が訴状を扱わず、さらに何の連絡もしない場合には「エホバの天の法廷」の前で、以下に記す点が立証されたものと判断させていただくことにします。

(II歴代19:6、7;詩編82:1)

 

ものみの塔協会に関し天の法廷の前で立証されること

エホバのみ名と、その神性を証しすることよりも、「組織の都合」を優先させた。
「組織」を「Concept Baal」にし、自ら「組織バアル」の崇拝者であることを暴露した。
神の唯一の組織であると主張しているにもかかわらず、そのidentityを示そうとはしなかった。
真理、真実よりも「組織論理」を重んじ、真の崇拝のidentityを示そうとはしなかった。
偽証、偽りを容認することにより、真理の道であるキリストに倣おうとはしなかった。
霊的パラダイスの監督として、「公正」に特別の注意を払おうとはせず神の義を後ろに退けた。
出版物では何度も教え、他の人には要求しておきながら、自らそれを行なおうとはしなかった。
特権の有無、およびその格差により差別をし、公平な扱いをしようとはしなかった。
真の実態は羊に仕える組織ではなく、羊に仕えさせようとする組織であった。
都合が悪ければ、誠意を示す点では、この世の良心的な組織よりはるかに劣っていた。

 

もちろん言うまでもないことですが、本部の皆さんが神の組織、真理の組織としてのidentityを示して下さるなら、この手紙は無意味なものとなります。私たちは、そうなることを心から期待しています。ものみの塔協会に関し、先に上げた点が立証されるとすれば本当に困ったことですし、非常に残念なことです。間違っても、「聖書の権威」より「組織の権威」の方が優れているなどという聖霊を侮るような考え方をなさるはずはないと確信していますが、ものみの塔協会を神の組織として純粋に信じている多くの人々を裏切ることのないよう、是非ともお願いしたいと思います。

 

真理の神、エホバのみ名が
高く上げられることを願いつつ

 

 

つづく

 

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