◇被爆者の哲学学び
「あの日」の記憶を刻み続けるヒロシマは6日、62回目の原爆の日を迎えた。北朝鮮の核実験や久間章生前防衛相の「(原爆投下は)しょうがない」発言、自民党内の核武装検討論の高まりなど、核廃絶を訴えるヒロシマの心は届いていない。広島市の秋葉忠利市長は、原点である原爆による被害を改めて伝えるため、平和宣言で被爆の惨状を説明した。そのうえで、核保有国のリーダーを「時代に遅れた少数の指導者たち」と指摘し、「被爆者のメッセージに背を向けている」と指弾。市民の力で国際政治を動かすために行動すると誓った。(6面に平和宣言全文、社会面に関連記事)
秋葉市長は平和宣言で、核拡散の動きは加速しているとして、「人類は今なお滅亡の危機にひんしている」と訴えた。
一方で、21世紀は市民の力で問題を解決できる時代になるとの見通しを示し、世界の1698都市が加盟する「平和市長会議」は2020年までの核兵器廃絶を目指していると表明した。声を広げるため、広島市は今夏から08年末まで全米101都市で原爆展を開催することも明らかにした。
日本政府に対しては、「被爆の実相と被爆者の哲学を学び、世界に広める責任がある」などと指摘。憲法改正の手続きを定めた国民投票法の成立などをにらみ、「世界に誇るべき平和憲法」の順守を訴えた。さらに、「米国の時代遅れで誤った政策に対し、『ノー』と言うべきだ」と主張した。また、全国平均年齢が74・6歳(今年3月現在)になる被爆者への援護の充実も求めた。
最後に今年4月に銃撃を受けて殺害された伊藤一長・前長崎市長の死に触れ、「心から哀悼の誠をささげ、核兵器のない地球を未来の世代に残すため行動することを誓う」と締めくくった。
平和記念式典は、過去最多の42カ国の駐日大使らが参列する中、秋葉市長と遺族代表2人が、この1年間に死亡、または死亡が確認された被爆者5221人の名簿2冊を原爆慰霊碑下の奉安箱に納めた。原爆死没者名簿は計91冊、記載された死没者数は25万3008人に上る。
続いて、安倍晋三首相、田上富久・長崎市長らが献花。原爆投下時刻を迎えた午前8時15分には、遺族代表の黒田由希子さん(32)=広島市東区=と、こども代表の同市立天満小6年、惣田亮介君(12)=同市西区=が「平和の鐘」を鳴らす中、参列者が1分間の黙とうをささげた。その後、市立五日市観音西小6年、森展哉(ひろき)君(12)と市立東浄小6年、山崎菜緒さん(12)が「ヒロシマを『遠い昔の話』にはしません」と、「平和への誓い」を朗読した。【吉川雄策】
広島原爆の日:広島平和宣言(全文)
◇忘れてしまいたい体験を語り続け、三度目の核兵器使用を防いだ被爆者の功績を忘れてはならない
運命の夏、8時15分。朝凪(あさなぎ)を破るB-29の爆音。青空に開く「落下傘」。そして閃光(せんこう)、轟音(ごうおん)--静寂--阿鼻叫喚(あびきょうかん)。
落下傘を見た少女たちの眼は焼かれ顔は爛(ただ)れ、助けを求める人々の皮膚は爪(つめ)から垂れ下がり、髪は天を衝(つ)き、衣服は原形を止(とど)めぬほどでした。爆風により潰(つぶ)れた家の下敷になり焼け死んだ人、目の玉や内臓まで飛び出し息絶えた人--辛うじて生き永らえた人々も、死者を羨(うらや)むほどの「地獄」でした。
14万人もの方々が年内に亡くなり、死を免れた人々もその後、白血病、甲状腺癌(がん)等、様々な疾病に襲われ、今なお苦しんでいます。
それだけではありません。ケロイドを疎まれ、仕事や結婚で差別され、深い心の傷はなおのこと理解されず、悩み苦しみ、生きる意味を問う日々が続きました。
しかし、その中から生れたメッセージは、現在も人類の行く手を照らす一筋の光です。「こんな思いは他の誰にもさせてはならぬ」と、忘れてしまいたい体験を語り続け、三度目の核兵器使用を防いだ被爆者の功績を未来永劫(えいごう)忘れてはなりません。
こうした被爆者の努力にもかかわらず、核即応態勢はそのままに膨大な量の核兵器が備蓄・配備され、核拡散も加速する等、人類は今なお滅亡の危機に瀕(ひん)しています。時代に遅れた少数の指導者たちが、未(いま)だに、力の支配を奉ずる20世紀前半の世界観にしがみつき、地球規模の民主主義を否定するだけでなく、被爆の実相や被爆者のメッセージに背を向けているからです。
しかし21世紀は、市民の力で問題を解決できる時代です。かつての植民地は独立し、民主的な政治が世界に定着しました。さらに人類は、歴史からの教訓を汲(く)んで、非戦闘員への攻撃や非人道的兵器の使用を禁ずる国際ルールを築き、国連を国際紛争解決の手段として育ててきました。そして今や、市民と共に歩み、悲しみや痛みを共有してきた都市が立ち上がり、人類の叡智(えいち)を基に、市民の声で国際政治を動かそうとしています。
世界の1698都市が加盟する平和市長会議は、「戦争で最大の被害を受けるのは都市だ」という事実を元に、2020年までの核兵器廃絶を目指して積極的に活動しています。
我がヒロシマは、全米101都市での原爆展開催や世界の大学での「広島・長崎講座」普及など、被爆体験を世界と共有するための努力を続けています。アメリカの市長たちは「都市を攻撃目標にするな」プロジェクトの先頭に立ち、チェコの市長たちはミサイル防衛に反対しています。ゲルニカ市長は国際政治への倫理の再登場を呼び掛け、イーペル市長は平和市長会議の国際事務局を提供し、ベルギーの市長たちが資金を集める等、世界中の市長たちが市民と共に先導的な取組を展開しています。今年10月には、地球人口の過半数を擁する自治体組織、「都市・自治体連合」総会で、私たちは、人類の意志として核兵器廃絶を呼び掛けます。
唯一の被爆国である日本国政府には、まず謙虚に被爆の実相と被爆者の哲学を学び、それを世界に広める責任があります。同時に、国際法により核兵器廃絶のため誠実に努力する義務を負う日本国政府は、世界に誇るべき平和憲法をあるがままに遵守(じゅんしゅ)し、米国の時代遅れで誤った政策にははっきり「ノー」と言うべきです。また、「黒い雨降雨地域」や海外の被爆者も含め、平均年齢が74歳を超えた被爆者の実態に即した温かい援護策の充実を求めます。
被爆62周年の今日、私たちは原爆犠牲者、そして核兵器廃絶の道半ばで凶弾に倒れた伊藤前長崎市長の御霊(みたま)に心から哀悼の誠を捧(ささ)げ、核兵器のない地球を未来の世代に残すため行動することをここに誓います。
2007年8月6日
広島市長 秋葉忠利
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平和宣言の英訳は毎日デイリーニューズに掲載されています。()
毎日新聞 2007年8月6日 東京夕刊
「あの日」の記憶を刻み続けるヒロシマは6日、62回目の原爆の日を迎えた。北朝鮮の核実験や久間章生前防衛相の「(原爆投下は)しょうがない」発言、自民党内の核武装検討論の高まりなど、核廃絶を訴えるヒロシマの心は届いていない。広島市の秋葉忠利市長は、原点である原爆による被害を改めて伝えるため、平和宣言で被爆の惨状を説明した。そのうえで、核保有国のリーダーを「時代に遅れた少数の指導者たち」と指摘し、「被爆者のメッセージに背を向けている」と指弾。市民の力で国際政治を動かすために行動すると誓った。(6面に平和宣言全文、社会面に関連記事)
秋葉市長は平和宣言で、核拡散の動きは加速しているとして、「人類は今なお滅亡の危機にひんしている」と訴えた。
一方で、21世紀は市民の力で問題を解決できる時代になるとの見通しを示し、世界の1698都市が加盟する「平和市長会議」は2020年までの核兵器廃絶を目指していると表明した。声を広げるため、広島市は今夏から08年末まで全米101都市で原爆展を開催することも明らかにした。
日本政府に対しては、「被爆の実相と被爆者の哲学を学び、世界に広める責任がある」などと指摘。憲法改正の手続きを定めた国民投票法の成立などをにらみ、「世界に誇るべき平和憲法」の順守を訴えた。さらに、「米国の時代遅れで誤った政策に対し、『ノー』と言うべきだ」と主張した。また、全国平均年齢が74・6歳(今年3月現在)になる被爆者への援護の充実も求めた。
最後に今年4月に銃撃を受けて殺害された伊藤一長・前長崎市長の死に触れ、「心から哀悼の誠をささげ、核兵器のない地球を未来の世代に残すため行動することを誓う」と締めくくった。
平和記念式典は、過去最多の42カ国の駐日大使らが参列する中、秋葉市長と遺族代表2人が、この1年間に死亡、または死亡が確認された被爆者5221人の名簿2冊を原爆慰霊碑下の奉安箱に納めた。原爆死没者名簿は計91冊、記載された死没者数は25万3008人に上る。
続いて、安倍晋三首相、田上富久・長崎市長らが献花。原爆投下時刻を迎えた午前8時15分には、遺族代表の黒田由希子さん(32)=広島市東区=と、こども代表の同市立天満小6年、惣田亮介君(12)=同市西区=が「平和の鐘」を鳴らす中、参列者が1分間の黙とうをささげた。その後、市立五日市観音西小6年、森展哉(ひろき)君(12)と市立東浄小6年、山崎菜緒さん(12)が「ヒロシマを『遠い昔の話』にはしません」と、「平和への誓い」を朗読した。【吉川雄策】
広島原爆の日:広島平和宣言(全文)
◇忘れてしまいたい体験を語り続け、三度目の核兵器使用を防いだ被爆者の功績を忘れてはならない
運命の夏、8時15分。朝凪(あさなぎ)を破るB-29の爆音。青空に開く「落下傘」。そして閃光(せんこう)、轟音(ごうおん)--静寂--阿鼻叫喚(あびきょうかん)。
落下傘を見た少女たちの眼は焼かれ顔は爛(ただ)れ、助けを求める人々の皮膚は爪(つめ)から垂れ下がり、髪は天を衝(つ)き、衣服は原形を止(とど)めぬほどでした。爆風により潰(つぶ)れた家の下敷になり焼け死んだ人、目の玉や内臓まで飛び出し息絶えた人--辛うじて生き永らえた人々も、死者を羨(うらや)むほどの「地獄」でした。
14万人もの方々が年内に亡くなり、死を免れた人々もその後、白血病、甲状腺癌(がん)等、様々な疾病に襲われ、今なお苦しんでいます。
それだけではありません。ケロイドを疎まれ、仕事や結婚で差別され、深い心の傷はなおのこと理解されず、悩み苦しみ、生きる意味を問う日々が続きました。
しかし、その中から生れたメッセージは、現在も人類の行く手を照らす一筋の光です。「こんな思いは他の誰にもさせてはならぬ」と、忘れてしまいたい体験を語り続け、三度目の核兵器使用を防いだ被爆者の功績を未来永劫(えいごう)忘れてはなりません。
こうした被爆者の努力にもかかわらず、核即応態勢はそのままに膨大な量の核兵器が備蓄・配備され、核拡散も加速する等、人類は今なお滅亡の危機に瀕(ひん)しています。時代に遅れた少数の指導者たちが、未(いま)だに、力の支配を奉ずる20世紀前半の世界観にしがみつき、地球規模の民主主義を否定するだけでなく、被爆の実相や被爆者のメッセージに背を向けているからです。
しかし21世紀は、市民の力で問題を解決できる時代です。かつての植民地は独立し、民主的な政治が世界に定着しました。さらに人類は、歴史からの教訓を汲(く)んで、非戦闘員への攻撃や非人道的兵器の使用を禁ずる国際ルールを築き、国連を国際紛争解決の手段として育ててきました。そして今や、市民と共に歩み、悲しみや痛みを共有してきた都市が立ち上がり、人類の叡智(えいち)を基に、市民の声で国際政治を動かそうとしています。
世界の1698都市が加盟する平和市長会議は、「戦争で最大の被害を受けるのは都市だ」という事実を元に、2020年までの核兵器廃絶を目指して積極的に活動しています。
我がヒロシマは、全米101都市での原爆展開催や世界の大学での「広島・長崎講座」普及など、被爆体験を世界と共有するための努力を続けています。アメリカの市長たちは「都市を攻撃目標にするな」プロジェクトの先頭に立ち、チェコの市長たちはミサイル防衛に反対しています。ゲルニカ市長は国際政治への倫理の再登場を呼び掛け、イーペル市長は平和市長会議の国際事務局を提供し、ベルギーの市長たちが資金を集める等、世界中の市長たちが市民と共に先導的な取組を展開しています。今年10月には、地球人口の過半数を擁する自治体組織、「都市・自治体連合」総会で、私たちは、人類の意志として核兵器廃絶を呼び掛けます。
唯一の被爆国である日本国政府には、まず謙虚に被爆の実相と被爆者の哲学を学び、それを世界に広める責任があります。同時に、国際法により核兵器廃絶のため誠実に努力する義務を負う日本国政府は、世界に誇るべき平和憲法をあるがままに遵守(じゅんしゅ)し、米国の時代遅れで誤った政策にははっきり「ノー」と言うべきです。また、「黒い雨降雨地域」や海外の被爆者も含め、平均年齢が74歳を超えた被爆者の実態に即した温かい援護策の充実を求めます。
被爆62周年の今日、私たちは原爆犠牲者、そして核兵器廃絶の道半ばで凶弾に倒れた伊藤前長崎市長の御霊(みたま)に心から哀悼の誠を捧(ささ)げ、核兵器のない地球を未来の世代に残すため行動することをここに誓います。
2007年8月6日
広島市長 秋葉忠利
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平和宣言の英訳は毎日デイリーニューズに掲載されています。()
毎日新聞 2007年8月6日 東京夕刊