正義のかたち:重い選択 (7)~(8) | Luna's " Tomorrow is another day "

Luna's " Tomorrow is another day "

gooブログからの移転です。

正義のかたち:重い選択・日米の現場から/7 被害者感情とのはざまで

 


■執行猶予にじむ苦悩

 娘を交通事故で奪われた両親がうなだれたまま傍聴席から立ち上がれないでいた。両親が実刑を望んだのに被告に執行猶予付きの禁固刑を言い渡した直後の法廷。神戸地裁の裁判官だった江藤正也・北陸大教授(67)が10年たった今も忘れられない光景だ。「遺族の気持ちを考えると、量刑が軽い事件の方がつらいです」

 業務上過失致死罪に問われたのは、40代の女性会社員。自動車を運転中、青信号で交差点を右折した際に安全確認を怠り、横断中の小学生の女児をはねて死亡させた。「人間、みんな完ぺきじゃない。ミスをすることはあります」。被告には前科もなく、厳罰は言えなかった。

 99年4月には、公判中のボランティア活動を情状として考慮し、強姦(ごうかん)罪などで起訴された20代の男性被告に執行猶予を付けたこともある。

 被害女性は2人。1人とは示談が成立し、もう1人の被害者の母親は「金銭的解決ではなく、社会的弱者に触れることで人の痛みを理解してほしい」と求めた。被告は知的障害者の施設で掃除やシーツの取り換えなどをし、弁護人も活動を続けると強調した。

 だが、懲役3年、執行猶予5年を告げた時、被告の表情が緩んだような気がした。判決理由を述べた後、「裁判所も悩んだ結果です。しっかり更生するように」と強い口調で諭した。検察側は控訴せず、判決は確定した。



    ■

 その2カ月前。大津地裁でも、ボランティア活動を理由の一つにして、強姦致傷罪に問われた20代の男性被告2人に執行猶予付きの判決が言い渡されている。

 示談が成立し、被害者側からは厳罰を望まないという書面が提出されていた。執行猶予も想定されるケースではあったが、裁判長だった安原浩弁護士(66)は「被害者と被告、社会の三者を納得させられる量刑」を目指し、判決前の被告にボランティアを勧めた。

 しかし、その訴訟指揮に女性団体が反発した。「清掃などの行為で情状酌量するのはおかしい。女性の精神的、肉体的衝撃をあまりに軽視している」。判決直後、抗議文が地裁に届く。「社会的な納得は単純ではない」と安原さんは痛感した。

 それでも、判決を悔いてはいない。「心の底から謝っているということだけで刑を軽くするよりは、非難は和らげられると思う。実際に社会に役立つんですから」



    ■

 今年5月に定年退官した伊東武是(たけよし)さん(65)は、02~06年に勤務していた神戸地裁姫路支部で、かつて窃盗罪で執行猶予にした男と法廷で再会し、実刑を言い渡したことがある。覚せい剤取締法違反で刑務所に送った男が出所後に同じ罪を犯し、再び実刑にしたこともあった。

 「僕らがどんなに反省を促しても一瞬のこと。裁判所でやれることには限界があるんですよ」。再犯を繰り返す被告と何度も対峙(たいじ)して無力感を味わった経験から、刑事施設での矯正教育をもっと充実させるべきだと強く願う。国民が犯罪と向き合う裁判員制度にも期待する。「みんなが刑罰を考える流れが出て来ると思う」【松本光央】=つづく


 

 ■ことば
 ◇刑の執行猶予

 3年以下の懲役・禁固、50万円以下の罰金の刑を科す場合、情状によって刑の執行を猶予することができる。猶予期間は1年以上5年以下。その間に再び罪を犯さなければ、刑を受けずに済む。08年に1審で懲役刑が確定した6万3463人のうち、4万624人に執行猶予が付いた。

 

毎日新聞 2009年10月19日 東京朝刊







正義のかたち:重い選択・日米の現場から/8止 死刑判断、向き合う市民

 

■「他の刑と違う」不安

 07年2月12日、米ペンシルベニア州ドイルスタウンの裁判所で開かれたリチャード・ライアード死刑囚(46)の再審公判は、男性7人、女性5人の陪審員による評議に移った。88年に起きた誘拐殺人事件で死刑が確定したが、米国では長期収容者の場合、多くのケースで再審公判が開かれる。その再審公判で、前週に陪審員が有罪を評決した。この日は、死刑か終身刑かの量刑評議だった。

 殺害の事実に争いはなく、誰もが淡々と死刑評決が出ると思っていた。しかし、部屋全体に重苦しい空気が広がる。陪審長を務めたエイリーン・ゾロトロフさん(61)が振り返る。「3人が悩み始め、女性の一人は泣き出し、次第にみんなが感情的になった」

 ライアード死刑囚は、バーで知り合った被害者が同性愛者であることを嫌悪し、知人(死刑確定)と一緒に刺殺したことを認めていた。しかし、2人とも自分は主犯でなく計画性もなかったと主張していた。

 首を切り裂かれた遺体の写真を法廷で見せられた陪審員の間には、遺族への同情が強まっていた。それでも「他の刑とは全く違う精神的負担がかかる。『死刑以外ない』という強い確信が必要だった」とゾロトロフさんは語る。小さな疑問でも、陪審員は裁判長を呼び、確認を求めた。評議は1日で終わらず翌朝から継続。2日目の夕、死刑で一致した。全員で抱き合い、労をねぎらった。

 裁判所を出ると、午後8時を回っていた。雪の中、12人が駐車場から車を出そうとした時、被害者の老父の姿があった。ゾロトロフさんが声をかけると、全員が次々と集まり抱き合った。イタリア系移民であまり英語を理解しない父は、涙を浮かべ「ありがとう」と繰り返すだけだった。

 ゾロトロフさんは、O・J・シンプソン陪審裁判で「殺人事件」が「人種問題」にすり替えられるのを見て司法への信頼を失っていた。しかし、自身の陪審経験で思いは変わる。「いかに市民が真剣に評決と向き合っているかを実感できた」



    ■

 「叔母は死んだのに(被告が)普通に生きていることに憤りを感じます。死刑をお願いします」

 9月15日、和歌山地裁の法廷に証人として出廷した被害者のめいは涙声になった。和歌山市で女性(当時68歳)を絞殺し貴金属を奪ったとして、強盗殺人罪などに問われた赤松宗弘被告(55)の公判2日目。法定刑は「死刑または無期懲役」で、これまで開かれた裁判員裁判で最も重い。翌日、検察側の求刑通り無期懲役が言い渡され、確定した。

 「忘れることができない言葉だった」「胸がいっぱいになった」

 判決後の記者会見で、裁判員経験者らは極刑を望んだ遺族の言葉の重みを語った。評議の雰囲気については「素直に意見が言えた」「和やかでよかった」と評価する人が多かった。だが「素人が量刑を決めていいのか。これでよかったのかと疑問は残る」「数日しか(審理が)なかったので(無期懲役の重さを)理解できたか分からない」と不安を口にする人も。

 動き出したばかりの裁判員制度で、検察側が死刑を求刑した事件はまだない。しかし、国民から選ばれた裁判員たちが「究極の刑罰」と向き合うのは、そう遠い将来ではない。【藤顕一郎、ドイルスタウン近郊で小倉孝保】=おわり


 

 ■ことば
 ◇O・J・シンプソン陪審裁判

 94年6月13日、米ロサンゼルスで女性と友人が殺害されているのが見つかった。警察は女性の元夫でアメリカンフットボールのスーパースターだったO・J・シンプソン元選手(62)を逮捕。検察は殺人罪で起訴したが、元選手は無罪を主張し陪審裁判に。被告が黒人で被害者が白人。弁護側は人種問題を焦点にし陪審員12人のうち9人を黒人にすることに成功。捜査員が過去、人種差別発言をしていたことや、証拠の一部の捏造(ねつぞう)疑惑も出て95年、陪審員は全員一致で無罪を評決した。

 

毎日新聞 2009年10月20日 東京朝刊