抑えの効いた「官邸主導」と内政での「官僚主導」の再生が急務

 

 

 

 新型コロナウイルス感染症(以下「新型コロナ」)に対する政府の対策があまりにもお粗末だという声が、全国に満ち満ちている。

 

 「第3波」を乗り越えたとして、年明けに発令した2度目の緊急事態宣言を3月に解除したのもつかの間、4月には再び宣言を発令し、5月7日には期限を5月末まで延長した。しかも菅義偉首相は、手続き上必要な国会での説明を自ら行わず、国民に向けた記者会見でも発言は精彩を欠いている。

 

 振り返れば、2度目の緊急事態宣言を解除する時点で、東京都の一日あたりの感染者数が300人ほどだったから、解除後に感染者数が増えるのはある意味自然であろう。昨年来の懸案だった重症者用病床の確保は成功せず、ワクチンに至っては世界最低水準の接種率である。観光業や外食産業を中心に経済への悪影響は深刻さを増すなか、成算なきまま東京オリンピックの準備だけは進むという、まさに目を覆わんばかりの事態である。

 



■根源は政権の構造的な欠陥

 

 こうした惨状は、菅政権固有のものなのだろうか。そうではない。安倍晋三前政権が続いていたとして、今と異なる対応ができたいたかは疑わしい。

 

 振り返れば、安倍政権も新型コロナ対策ではちぐはぐな施策を繰り返していた。そして、目下最大の課題であるオリンピック開催について、IOCが2年先まで延長を提案したにもかかわらず、1年の延長を主張したのは、安倍首相その人であった。

 

 そうだとすると、問題の根源は、安倍・菅政権に共通する構造的な欠陥にあるのではないか。変異ウイルスが次々と現れ、新型コロナの終息まで、長ければ数年はかかるだろう。「ポスト菅」の不在がささやかれるものの、どのような形であれ、菅政権もいずれは終わる。現状のままでは、後継政権もまた厳しい状況におかれるのは必至であろう。問題はそれほどまでに根深いのである。

 

 

 

■問題のふたつの要因

 

 いったい何がこうした問題を引き起こしたか。ここでは、「政治主導がもたらす政治の劣化」と「内政の司令塔不在」という二つの要因をあげたい。

 

 「政治主導がもたらす政治の劣化」とは、

 ①政治主導ゆえ、政策で失敗すればその責任を政治が担う

 ②挽回しようとさらに政治主導を強めた結果、失敗がますます続き、政権の劣化がとめどもなく進む、ということだ。

 「内政の司令塔不在」は、現在の日本の統治機構では、新型コロナに典型的な複合的な内政課題に対応できず、いったん政策でしくじると、立て直せないまま、政権が崩壊への道をたどっていくということである。とすれば、解決策を単純である。すなわち、

 1、政治主導の旗を降ろす、

 2、内政の司令塔をつくる、しかない。

 

 具体的には、政権はまず、民主党政権以来の政治主導をやめて官僚主導へと舵を切り、そのうえで、官僚による内政の司令塔を時間をかけてつくるべきである。民主党政権から継承した政治主導を捨て、内政分野の官僚が“オール・ジャパン”のために存分に政策を形成するようとりはからうことが必要である。

 

 このままだと、あるとき政権が、たとえば新型コロナで大失敗をして選挙で大敗し、準備のない野党が政権を担う事態が起こらないとは限らない。本稿では、そんな政治的危機に陥らないためにどうすればいいか、考えてみたい。

 

 


■与党の結束を弱め、後継者不在を招いた政権の慢心

 

 まず、「政治主導がもたらす政治の劣化」について詳しく見ていく。

 

 政権は“生き物”である。政権交代をはたし、高揚している段階では、与党が一丸となって内外の諸課題に向き合うが、やがて慢心が生ずると、政権内や党内で徐々に分裂が生じる。

 2012年の衆院選に勝利し、民主党から政権を取り戻した自民党の安倍晋三総裁は、選挙後の記者会見でこう述べている。

 ――今回の総選挙において、全国を遊説で回りながら、国民からの期待として、この政治の混乱と停滞に一日も早く終止符を打ってもらいたい、そういうひしひしとした期待を感じました。一方、まだまだ我が党に対して、完全に信頼が戻ってきているわけではない、政治全般に対する同民の厳しい目が続いていることを実感いたしました。

 

 選挙で大勝しながらも、「国民の厳しい目」を意識して、野党時代の苦難を忘れずに政権チームの結束を図ったのが、初期の第2次安倍政権であった。だからこそ、国民の支持は高かったし、たとえば安保関連法でいったんは支持率を落としても、次なる課題に向き合うことで政権への支持は回復した。


 しかし、「安倍一強」が強まり政権内に慢心が広がるなか、2017年の森友・加計学園問題以後、安倍首相自身が関係するスキャンダルが相次ぐようになると、首相と官邸は敵対する勢力に対し、野党はもとより、政府部内や与党内であっても、露骨なまでに攻撃を加えるようになった。こうした政権の対応は、与党内の結束を弱めるとともに、有力な首相後継者をも不在にした。

 

 実際、安倍首相には衆目が一致する後任はいなかったし、すでに問題山積の菅首相の後継と目される有力者も見当たらない。有り体に言えば、政権が行き詰まったとき、より劣化した政権が登場するしかないというのが、自公政権の現実なのである。

 

 

 

■次第に成果が上がらなくなった安倍政権

 

 ここで、ふたつの問いが立てられよう。そもそも、なぜ劣化したのか。そして、なぜ劣化を立て直せないのか、である。

 

 まず劣化の原因だが、それは政権交代後の政権が政治主導によって課題処理に当たっているからに他ならない。

 政治主導とは、結束した与党を基盤に、官邸が中心となって政策を形成し、行政を作動させることだ。これを可能にしたのは、1994年の政治改革関連法成立と2001年の省庁再編でもたらされた、選挙の勝利によって国民の支持を顕在化させ、その力で既得権益や各省の省益を押さえ込み、独自の政策を形成する官邸の強力な権限であった。

 

 だが、安倍政権のもと、政治主導で進められた政策は、外交をのぞいて、次第に成果があがらなくなった。経済政策について言うと、確かにアベノミクスは好景気をもたらした。だが、それも2018年秋に終了していたことが明らかになり(政府の景気動向指数研究会が「景気基準日付」として「18年10月を景気の暫定的な山に認定することが妥当」と判断)、インフレ目標であった物価上昇率2%も果たせていない。

 

 外交については、2016年秋のアメリカ大統領選挙で勝利したドナルド・トランプ氏を就任前に訪れて首脳間の信頼関係を構築、安全保障ではインド太平洋戦略にアメリカのみならずEUの支持を得るなど、長期政権を生かして一定の成果をあげた。

 これに対し、内政分野では、新型コロナ対策に象徴されるように、安倍政権はさしたる成果を出せなかった。2012年の政権交代以来、今に至るまでの政権の宿痾(しゅくあ)と言っていい。

 政治主導で得られた成果が失われたとき、政治主導で新たな成果を求めてかなわず、政権が劣化していくプロセスは、先に述べた通りである。安倍政権もまた、そうしたプロセスをたどった。

 

 

 

■もはや政権の劣化は止まらない

 

 それにしても、政権はなぜ、劣化を立て直せないだろうか。第一に、リーダーの不在である。自民党にはかつて、中興の祖とでもいうべき、政権の立て直しを果たしたリーダーがいた。自民党長期政権時代の1970年代、激しい派閥抗争後に安定政権を確立した中曽根康弘、細川護熙・非自民連立政権の成立で野党に転落後、政権に復帰した自民党を率いて省庁再編を含む六大改革を推進した橋本龍太郎、経済危機に苦しむなかで構造改革を掲げ、高支持率を誇った小泉純一郎である。

 

 自民党政権で閣僚を歴任、政策に通じた中曽根、橋本、政局での勘が研ぎ澄まされた小泉など、いずれもきわめて優れたリーダーであった。これに対し、2009~12年の下野後の自民党には、閣僚経験を積んで政策知識を得たり、抗争のなかで政局観を身につけたりした政治家が育っていない。

 

 第二に、政治主導に政権弱体化のメカニズムが組み込まれている。中曽根、橋本、小泉政権の官邸の役割は、各省が主導する政策形成を最終的に方向付けるというものであった。これだと、政策が失敗しても各省や担当大臣が責任を負えばよかった。

 現在は、内閣人事局によって各省の幹部人事を官邸が左右し、官邸が主導する政策を各省が受けいれて政策が展開される。まさしく政治主導だが、いったん政策が失敗すると、その責任は官邸に跳ね返るという怖さがある。

 また、政治資金制度改革により、党幹部が政党交付金を議員に配分するようになり、所属議員にもろもろの資金を配分した派閥の影響力が格段に低下した。党幹部の影響力の拡大である。

 長期政権時代の自民党はまさしく派閥の連合体であった。政治責任はそれぞれの派閥が分有し、政権が行き詰まれば、派閥の合従連衡で多数を押さえた政治家が後任首相になればよかった。

 まとめると、かつての自民党政権は党も政府も適度にバラバラであることで、逆に長期政権を担えたのである。

 

 これに対し、現在の政治主導の政権では、政策失敗の非難が政権、なかんずく官邸に集まるのは避けられない。すなわち、政治改革後の政治主導を掲げる新しい政治スタイルこそが政権を弱体化させる。よほどの幸運に恵まれない限り、政権はいつかは政策でしくじり、その責任の一切を問われて崩壊するのである。

 

 

 

■与党も野党も頼りない時期に

 

 代わるべき野党がいないから、与党は安心というのは一見もっともであるが、誰の目にも与党の劣化が明らかになったとき、さすがに野党も政権奪取のための本腰を入れることになる。つまり、与党もダメであり、野党もまるで頼りないという時期が、一定期間続くのである。そして、現在、そうなりつつある。

 

 新型コロナが政権をさらに消耗させるならば、次の衆院選や来年の参院選の結果しだいで、統治能力に欠けたままの野党が多数の議席を得るという大番狂わせが起こらないとも限らない。それは、日本の政治・経済・社会のすべてにおいて悲劇である。

 

 

 

■内政の司令塔がない日本の統治機構

 

 政権の劣化を表面化させたのは、新型コロナ対応の失敗である。安倍政権はここまで、これほどの内政面での危機に直面してこなかった。幸運という面もあるが、裏を返せば、経済と外交という内政以外の政策分野では、意識して司令塔を構築していたから、危機を乗り越えることができたとも言える。

 

 ところで、内政とはいかなる政策分野であろうか。防災、インフラ整備、社会保障などがあるが、新型コロナを例に取ると、感染症対策、医療政策、薬事行政、自治体との調整など国内の多くの分野にまたがった対応が必要である。

 

 感染が世界的に広がった昨春は、1年もたてば終息し「アフターコロナ」に向かうという期待も広がっていたが、今や多種多様な変異ウイルスの出現で長期化は避けられなくなってきた。刻々と変わる世界の感染状況を総合的に分析し、日本の強みや弱点を勘案して国民の生命を守るには、内政分野を隅々まで熟知し、各省の能動的な協力を促すとともに、政党に流れ込むもろもろの要求も斟酌しながら、臨機応変に方針を打ち出し、実行していく必要がある。

 しかしながら、日本の統治機構は、こうした内政分野における司令塔を今まで作ってこなかった。これは1990年代以降、日本で進められた諸改革の最大の盲点であった。

 

 

 

■省庁再編の目標だった経済・外交の司令塔

 

 実は、経済と外交の司令塔をつくることこそが、2001年以降の省庁再編の目標であった。

 経済の司令塔は2001年の省庁再編で設置された経済財政諮問会議である。これを財政政策とマクロ経済政策とを総合的に議論する司令塔に仕立て上げたのが、小泉政権の竹中平蔵・経済財政担当相であった。


 ところが、民主党政権はこの経済財政諮問会議を休眠状態にして、経済の司令塔を失った。それを見ていた第2次以降の安倍政権は、甘利明・経済財政担当相が経済財政諮問会議と日本再生本部・産業競争力会議のふたつの司令塔を両輪として経済政策を推進した。そこに、今井尚哉・首相秘書官を介して小泉政権以上に経済産業省が入り込むことで、マクロ経済政策とミクロの産業技術のイノベーションが図られたのである。

 

 外交では、2015年に設置された国家安全保障会議とその事務局である国家安全保障局が司令塔となった。ここでは安倍首相自身が直接関与し、元外務事務次官の谷内正太郎が事務全般を仕切った。首相の強い関心のもと、防衛省とも信頼関係を保った外務省本流の官僚が事務方として差配することで、政と官とがバランスを取った政策が展開された。安倍政権最大の政治遺産は、やはりここにあるというべきであろう。

 

 

 

■司令塔が不可欠なコロナ対策だが……

 

 これに対し、内政はどうだったか。安倍政権はこの分野では、虫食い的な政策に終始した。地方創生、一億総活躍、働き方改革、全世代型社会保障改革がそれである。今井秘書官ら官邸官僚がイニシアチブをとって各省を叱咤し、形ばかりの政策が作られ、実施された。司令塔らしき「本部」が内閣官房ないしは内閣府に置かれたが、強力な調整力を持つ官僚が仕切るわけでもなく、政策の検証も曖昧なまま、多くの政策がだらだらと現在まで続いているにすぎない。

 

 本来、内政を仕切るのは内閣官房長官であり、官房長官の下で調整を果たすべきは事務の官房副長官である。だが、官房副長官には元来、各省のイニシアチブを事後的・受動的に調停する役割が期待されていたにすぎない。内政分野は、そもそも雑多であり、案件に応じた調整も多様である。

 

 世界で11位の1億2000万人もの人口を抱えながら、連邦制を取らず、高い教育水準の国民を対象にした政策の責任を中央政府が一手に担うのは、異例中の異例である。日本の中央政府にかかる政策面での負荷はきわめて高い。そこで、日本では各省に政策を委ね、問題が生じれば、官房副長官が後追いで調整することで対応しえたのである。

 

 だが、これでは新型コロナには無力である。ワクチンの接種と感染拡大の押さえ込みを同時に進めるには、感染症対策、医師会対策、地方自治体対応など多様な局面において、微妙かつ精密な判断をとりながら幾重にも交渉を重ねる司令塔が不可欠である。今の官邸の態勢では、多数の都道府県がからみ、日々刻々と変化する状況に対応しつつ、東京オリンピック開催の可否を合理的に判断するなどできるはずがない。

 西村康稔・経済再生担当相、田村憲久・厚労相がすべてを掌握するのは無理だし、かといって官房長官・官房副長官による対応では不足であろう。機能していない官房長官を交代すれば好転するといった問題では、もはやない。

 

 


■有能な官僚の排斥が招いた行政の劣化

 

 くわえて、はき違えた政治主導とも言える内閣人事局による官邸の各省幹部人事が事態を深刻にしている。菅首相は「政策に反対する官僚の更迭は当然」と国会で答弁している。これは一見当然に見える。だが、政策能力のある橋本龍太郎首相や、政治の直感にすぐれた小泉純一郎首相なら決してそうは言わないであろう。官の側も政治の意向の汲むであろうし、政治の側も官の反対の意図を了解する関係が成立しているからである。

 

 橋本も小泉も、官僚がなぜ「政策に反対する」のかを理解できる経験と知力・胆力があった。菅首相の発言は、官の反対の意味が分からないという能力不足を示しているに過ぎないのである。

 

 日本にとって不幸なことに、2009年の政権交代後、どの首相も、橋本、小泉の二人に匹敵する能力をもっていなかった。民主党政権は官僚を排除して自滅し、安倍政権では首相の限界を補うはずの官邸官僚が、正論を言う有能な各省官僚を排斥し、官邸の意に沿う官僚ばかりを登用し、長期にわたる行政の劣化を招いた

 

 それでも、経済と外交の分野は司令塔が明確で政と官の調整が可能だったので、劣化はある程度食い止められた。だが、司令塔のない内政分野では、官邸官僚による断片的・恣意的な政策形成と、異を唱える官僚の排除によって、能動的な政策形成の芽が摘まれ続けた。安倍政権の7年8カ月で内政の司令塔にふさわしい人材が育たなかった。新型コロナの衝撃に対して、政府がなすすべもなく、時間を浪費するのは当然である。

 

 


■態勢の立て直しに必要なこと 

 

 

幹部人事を各省に委ねよ

 では、どうすればよいのだろうか。緊急事態宣言の発出への経緯と理由の乏しさを見ていると、もはや事態は現政権の処理能力を超えている。だが、一手一手を着実に打つことで、徐々に態勢を立て直すことは不可能ではない。新型コロナがおそらく数年は継続するとすれば、まだ時間は残されていると見ることもできるのである。

 

 まず必要なのは、今年の夏の官僚人事で、官邸からの人事要求をやめ、幹部人事を各省に委ねることである。各省の自発的な政策形成を促さないと、官邸の方針に積極的に協力する省は現れないからである。時間がかかるとはいえ、こうした人事を続けることでしか、司令塔にふさわしい人材の再生はできない。

 

内政で指導力を発揮できる官僚を育てよ
 また、「内政の司令塔」は、デジタル庁やこども庁といった恒久的な組織をつくることではなく、内政関係の省からリーダーシップを発揮できる官僚を官邸で適切に処遇することである。当面は感染症対策の司令塔となるが、甚大な自然災害が起これば、その問題に対処することもありうるので、柔軟な起用が必要となる。

 

 短期的には良好なチームを従えた首相補佐官や事務の内閣官房副長官の複数任用、長期的には内閣官房・内閣府の抜本的再編といった手法が考えられる。結果として、肥大化した内閣官房・内閣府が整理できれば、与党内であれ与野党間であれ、内閣が交代しても官邸が機能不全に陥らず、安定的に施策を運用することができるであろう。

 

 司令塔チームに起用される官僚は、可能な限り内政の多様な領域を熟知していることが望ましい。府省間の交流人事や、官邸への出向人事の経験を重ねることが求められる。多様な内政分野の執務経験を持ち、それぞれの専門分野を尊重し合える人材が必要である。こうした方向が定着すれば、将来、中堅クラスの官僚の人事について、内政系の省がタッグを組んで人事を進めるときも来るであろう。

 

 民主党政権が試みようとした外部人材の登用は混乱を招くだけである。アメリカでは大統領補佐官などの高級官僚が民間から登用されるが、アメリカの連邦政府は内政をほとんど担当しておらず、外交やマクロ経済、環境面に特化している。これらは、いわば大味な政策で十分対応できる。内政は、複雑な法令、国と地方との調整、現場職員の枯渇といった問題を抱え、日々国民と向き合う分野であり、現場と法令の運用を熟知した官僚でないと手に負えない。官僚以外に担いようがないのである。

 

政治は異論に十分配慮せよ
 政治に必要なのは、内政面での政策の実現には時間がかかることを十分踏まえ、司令塔からの異論に配慮することである。

 多くの場合、官からの異論は、政治が現場を無視して施策を急ぐよう強行することから生ずる。とりわけ内政では、関係省庁と関係団体、地方自治体など多様なステークホルターがそれぞれ自律的に振る舞い、政権の思い通りに問題を短期で処理できるケースはきわめて限られる。政治は、構造的に何が無理であるかを十分わきまえるべきなのである。

 



■政治主導では政権を継続する力は生まれない

 

 以上、どれも一見、迂遠(うえん)に見える方策ではある。そもそも政治主導とは、それに見合った能力を政治家がもたないかぎり、その政治家そのものを傷つける「両刃の刃」である。橋本、小泉といった群を抜く能力を持った総裁を選び続けることが無理であることを、そろそろ自民党自身が学習すべきである。

 

 もとより政策能力とは別に、平均的国民との共感能力が高いことは、首相にとっての重要な資質である。であるならば、そうした首相にふさわしい政権の運営へと転じるべきなのである。

 

 長期にわたる自民党政権を壊すための旗が政治主導であった。第2次以降の安倍政権は、民主党政権の混乱を立て直すために、やはり政治主導の旗を掲げた政権チームによって当初は政権を運営しえた。だが、内政を無視した政治主導によって、チームは徐々に解体し、内政の組織と政策はゆがんだ。

 要するに、政治主導は前政権を否定する力を生んでも、政権を継続する力を生まないのである。それどころか、日本の政治リーダーの水準では、政権の劣化を招くだけである。

 

 

 

■自民党長期政権の形に復帰すべき

 

 新型コロナを前にして自公政権が長期政権を続けたいならば、かつての自民党長期政権の形へと徐々に復帰すべきである。

 具体的には、省庁官僚に政策のイニシアチブを委ね、官邸主導も限定し、内政での政策の成功を確実に狙うべきである。事務次官等会議の復活、事務次官による記者会見の解禁といったことも考慮すべきであろう。このまま政治主導を続けることは、政権交代を呼び込む自滅しかもたらさない。

 政治主導の抑制は、必ずしも後退ではない。各省にイニシアチブを委ねた地点から、官邸主導を再構築することによって、本来の政治主導の政権をつくり上げることもできる。

 

 


■抑えの効いた政治主導への転換を

 

 これは野党にも当てはまる。立憲民主党は、ともすれば安倍流の官邸主導に気を取られ、きめ細かい政策形成とは無縁の大味なトップダウンの政策しか出せていない。本来の政治主導はボトムアップを踏まえたものでなければならない。

 

 野党として乗り越えるべきは、安倍・菅流のいびつな官邸主導ではない。ここで主張するような、将来あるいは出現するであろう「抑えの効いた官邸主導と再生した官僚主導の政策形成」へのオルタナティブである。

 経済・外交に特化した政治主導から、内政に有効な抑えの効いた政治主導へと転換することが、今の日本政治が向かうべき道なのである。

 

 


RONZA 2021年05月08日
牧原出 東京大学先端科学技術研究センター教授(政治学・行政学)