この1年3ヶ月のコロナ禍では「自粛警察」や「マスク警察」が登場するなど、自然発生的に見知らぬ他人の“非常識”と思しき行動を取り締まる動きが出た。だが、これは元々「五人組」などの相互監視体制があった日本において、“伝統”にも近いものなのではとネットニュース編集者の中川淳一郎氏は見ている。なぜ人は他人の行動を制限する「警察」になるのか。同氏が考察した。

 

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 コロナ騒動以降、私が常々感じているのは「なんで人々はどーでもいい他人の行動に口出ししたくなるの? バカなの?」ということである。屋外でマスクをしていない人間に対して「コラ! マスクをしろ!」なんて言ってくる「マスク警察」はバカの典型例であろう。

 

 あのさ、飛沫を飛ばさないためにはマスク云々よりも「喋らない」のが大事なの。いちいちマスク越しに興奮しながら注意をしてくる方がどうなんだっつーの! 屋外だったらいちいち注意するでもなく、無言で通り過ぎればいいだろうよ。

 

 といった時事ネタをまずは出してみたが、「とにかく他人に注意したい警察気取りバカ」を5例振り返ろう。まさに日本の伝統芸のようなものである。いずれも「もしかしたら不快に思うかもしれないが、本来そこまで“反社会的”ではない」「別に犯罪はしてないだろ?」、もっと言えば「他人の行為なんてどうでもいいだろうよ!」といった類である。あくまでも社会が作る「空気」によって悪者にされたものでしかない。

 

 

【1】髪の毛の色警察

 

 今は変わりつつあるが、過去には、髪の毛の色が「黒」以外だった場合、「不良」認定がされる中学校や高校は少なくなかった。地毛の色が薄い人のなかには黒く染めさせられた人もいるほか、「地毛証明書」というものまであるのだという。例えば、両親が日本人でも髪の毛が黒くない場合はあるわけだし、外国の血が入れば髪の毛は黒くならない場合があるが、それが「地毛」であり「染めた」ということではない、という証明書なのだとか。

 

 もう、バカか! としか思えない。髪の毛の色が学校生活でなんの影響があるのか? 「マネする人が続出して、風紀を乱す」とか「人と違うことをしようとする精神が気に入らない」とか、あるいは「そんなヒマがあったら勉強しろ」とかいう理由なのか知らんが、黒髪を“マネ”するのはOKという理屈もよくわからない。

 

 一方、大学生・専門学校生は、まったく髪の毛の色などどうでもいいとされている。赤や紫やオレンジや緑など、実に多種多様である。社会人になっても、マスコミ関係やアパレル関係、美容室関係では髪の毛の色は関係ない。ただ、役所では黒以外は「異端」扱いされ、善良なる市民から「おたくの役所の窓口に赤い髪の毛の人がいました! 黒に戻させなさい!」などのクレームが来るという話を聞いたことがある。

 

 仕事さえできればいいんじゃね?という理屈は通用せず、社会人になっても、とにかく「髪の毛の色が黒以外ではダメなクラスター」が存在するというワケのわからなさである。

 

 

【2】携帯電話通話警察

 

 海外に行って若干のカルチャーショックを受けるのが「電車の中で、大声で携帯電話で喋る人」の存在である。周囲の人は「シーッ」と口の前で人差し指を差し出すわけでもなければ、大声で喋る人を睨んだりもしない。「話したいことがあるんだろうな」という寛容の気持ちで放置している。

 

 だが、日本では、電車の中でうっかり電話がかかってきた時、口に手を当ててヒソヒソ声で「今、電車なんです。降りたら折り返します」とペコペコしながら通話をしている光景を見かける。いきなりブチッと電話を切ったら失礼だと思っているのか、かかってきたら出てしまうという反射神経なのか、一応は出て、電話をかけてきた人への配慮をする。そして、周囲に対してはペコペコしている様子を見せて「電車内の皆様、お騒がせして申し訳ありません。私は車内では通話はしないのでどうかご安心ください!」というアピールをするのである。

 

 電車内では普通に会話をしている人たちもいるのだから、電話の通話だけが悪者にされるのは意味がわからないが、とりあえず車内での携帯電話通話は悪い、ということになっている。車内アナウンスもされる。だったら「車内での会話はお控えください」も言うべきでは……と思っていたところ、コロナ襲来。すべからく、会話はよろしくないものになった。

 

 今から15年程前、電車内では「携帯電話は心臓ペースメーカーの誤作動を引き起こしますので、優先席近くでは電源をお切りください」という“お願い”があったが、その後の総務の調査で、ペースメーカーと携帯電話は3センチ以上離れていれば影響はないことが判明。現在その推奨距離は「15センチ以上」とされ、よっぽどの混雑時以外は大丈夫、ということで、こういったアナウンスは基本的に聞かれなくなった。

 

 ちなみに数年前、私が渋谷の酒屋でビールを買い、会計の時に突然電話が鳴った時のことだ。「はい!」と出たら、店内にいた高齢男性が杖をついてこちらに向かってきて私に杖を刺し、「ワシはペースメーカーをつけておるんじゃ。電話はやめろ!」と激怒してきた。驚いた私が「すいません!」と慌てて切ったら、この男性は満足そうに外に出て行った。高齢の男性店主は、申し訳無さそうに「ごめんなさいね……。怖いんだったら、わざわざ近寄ってこなければいいのにね」と言ってくれたが、情報はきちんと知らないと、人を怯えさせ、あまつさえ他人を不快な気持ちにさせるんだなと思ったものだ。

 

 

【3】禁煙警察

 

 今や喫煙は「反社会的行為」といった扱いになっている。タバコにかかる税金はガンガン上がり、1990年代には200円台だったタバコ一箱が今や500円台である。喫煙率も年々低下し、「愛煙家」なんていう人種はすっかり少数派になった。

 

 喫煙者自身も、自らがマイノリティで世間様から嫌われていることはよく理解しているので、どんどん隅に追いやられる状態を憂えながらも、「時代だからね」と従う。マナーを守っていない喫煙者がいると知ると、「ああいう輩がいるから、(マナーを守っている)俺たちまで悪者にされるんだよ…」と嘆く。

 

 かつて飛行機でも新幹線でも普通の電車でも喫煙は可能だった。ボックス席のある車両では灰皿が設置されていたし、飛行機にも席の腕置きに灰皿がついていた。時代は変わり、今は「禁煙」が“当たり前”である。

 

 飛行機や電車はもちろん、禁止されている場所では喫煙をしちゃダメという条例を作る自治体も増えた。「愛煙家」は、ネットでは「ヤニカス」などと揶揄される被差別者になった。肩身の狭いこの人々は、喫煙OKの場所で吸っていたとしてもしばしば「おい、クサいんだよ。副流煙でオレが肺がんになったらどうするんだ! タバコを消せ!」なんて言われることがあるという。


 実際私の知り合いは、カフェの喫煙ルームで一服していたところ、わざわざ禁煙エリアから子連れの母親がやってきて、「子供がいるの!吸わないで!」と激高されたらしい。だったら自分が離れればいいのに、わざわざ「禁煙警察」になって向かっていくのだ。もちろん、禁煙とされている場所で吸うのはNGなので、「喫煙所以外で吸っている奴らもいる」といった訴えは、この場では議論しない。

 

 あ、ことわっておくが私は非喫煙者である。タバコを吸ったのは大学時代の飲み会でチャレンジした1回のみであり、まったくもって「愛煙家」でもなんでもない。

 

 

【4】自炊警察

 

 コロナ以降「自粛警察」が登場したが、「まん防」や緊急事態制限により、夜間の外食ができなくなる人が続出した。これについてツイッターで嘆くと「感染拡大を防ぐための措置に文句を言うとはけしからん! 甘えるな! 自炊しろ!」と言い出す「自炊警察」が登場したことがテレビで取り上げられ、ツイッターのトレンドワードにも掲載された。

 

 テレビが「自炊警察」という言葉を作りたいだけという指摘も多数あがったが、そういうことを言い出す人がいたのは事実だ。コロナ禍になってから、より自分の「規範」に合わない人間は徹底的に「甘えてる!」だの「非常識!」だのと叩きたい人々が増殖しているという絶望的状況である。

 

 

【5】ゴミ警察

 

 昨年秋、私は東京から佐賀県唐津市に引っ越したのだが、仰天したのが、月に1日の資源ゴミの日、捨てに行くとゴミ収集場所に高齢男女2人がウロウロしているのだ。最初は何をしているのかと思ったが、彼らは門番のごとく目を光らせ、人々が「正しく」ゴミを出しているのかチェックしているのである。分別は大事だと思いつつも、正直、自分の家のゴミを見られるのはイヤだ。

 

 数ヶ月前、資源ごみの日にビール瓶を出したところ、彼らから「ビール瓶はダメです」とダメ出しが入った。こちらも確認して出しているものの、まだ引っ越して半年と日が浅いため、思わず「エッ、そうでしたっけ……」とスゴスゴ引き下がってしまった。

 

 納得できない状態で空のビール瓶を持ち帰り、自宅で唐津市役所が出しているゴミの分別を再確認したところ、やはり「ビール瓶と一升瓶は資源ごみ」とある。ちなみにジュースや調味料、食品といった瓶については別に「びん類」という日があり、この日に出す。

 

 この2人も私が去った後に調べてくれたようで、後日「すいません、ビール瓶はOKでした」と謝ってくれたが、ナンダカナアという気持ちは残る。ルールを破って回収できないゴミを出す人間が過去にいたからこそ、こうして「ゴミ警察」をしなくてはならないのだろうかなどと想像し、だとするとこの2人にも同情したくなるが、やはりゴミを直接見られるのは「勘弁してくれ」としか思えない。

 

 さて、これら5つ以外にも多数の「警察」は日本に存在する。私のように他人の人生などどうでもいい人間にとっては「警察」になる感覚がさっぱり分からないが、正直、直接自分に迷惑をかけるわけでもない他人を糾弾するよりも、自身の幸せを考え続ける人生の方が生産的だと思うよ。

 

 

 

4/29(木) 7:05配信
NEWSポストセブン