インパール作戦を決行した牟田口司令官に仕えた齋藤博圀少尉が、現地で綴っていた日誌や回想録。司令部内の一挙一動を知ることができる貴重な記録から、インパールの真相が見えてくる。

 

 


「経理部長さえも 『補給はまったく不可能』 と明言しましたが、全員が大声で 『卑怯者、大和魂はあるのか』 と怒鳴りつけ、従うしかない状況だった。」

 

「牟田口軍司令官から作戦参謀に 『どのくらいの損害が出るか』 と質問があり、 『ハイ、5000人殺せばとれると思います』 と返事。最初は敵を5000人殺すのかと思った。それは、味方の師団で5000人の損害が出るということだった。まるで虫けらでも殺すみたいに、隷下部隊の損害を表現する。参謀部の将校から 『何千人殺せば、どこがとれる』 という言葉をよく耳にした。」

 

 

 

■牟田口中将の異常な行動

 

「私たちの朝は、道路上の兵隊の死体仕分けから始まります。司令部では、毎朝、牟田口司令官の戦勝祈願の祝詞(のりと)から始まります。『インパールを落とさせ賜え』の神がかりでした。」


 

 

■要約の作戦中止、地獄の敗走

 

「密林中に雨は止まぬ。喘ぎ喘ぎ、10メートル歩いては休む。20メートル行っては転がるように座る。道端の死体が俺の行く末を暗示する。」

 

「七月二十六日 死ねば往来する兵が直ぐ裸にして一切の装具をふんどしに至るまで剥いで持って行ってしまう。修羅場である。生きんが為には皇軍同志もない。死体さえも食えば腹が張るんだと兵が言う。野戦患者収容所では、足手まといとなる患者全員に最後の乾パン1食分と小銃弾、手りゅう弾を与え、七百余名を自決せしめ、死ねぬ将兵は勤務員にて殺したりきという。私も恥ずかしくない死に方をしよう。」

 

「片足を泥中に突っ込んだままで力尽きて死んでいる者。水を飲まんとして水にうたれている死体。そういえば死体には兵、軍属が多い。たしかに将校・下士官は死んでいない。」

 

「生き残りたる悲しみは、死んでいった者への哀悼以上に深く寂しい。」

 

「国家の指導者層の理念に疑いを抱く。望みなき戦を戦う。世にこれ程の悲惨事があろうか。」

 

 

 

こちらより転載。

2017年9月28日