私の母がJWにずぶずぶはまっていったのは、私が3歳を過ぎたあたりからであります。
ちょうど、父が「三年目の浮気」を地でいき、「五年目の破局」どころか「四年目の破局」をやり遂げてしまった時にあたります。
ヒロシ&キーボーもびっくりだよ。
三年目の浮気は大目に見られることはありませんでした。親父は開き直ったのです(笑)
家で祝った最後の誕生日は、私が3歳の時でありました。
ケーキに蝋燭が3本立てられ、それを囲んでお祝いの時をもちました。
その時、父はどこかに行っていませんでした(笑)
父を除く家族3人(母・私・妹)でハッピーバースデーを歌いながらやる例の儀式。
しかし、蝋燭に火を灯してハッピーバースデーを歌おうとした途端に、妹がすぐ
「フッ!」
と蝋燭の火を消してしまう。
母が「ダメだ」と言って仕切り直そうとしても、また同じことを妹は繰り返す。
最後に妹は母に怒られ、ビェ~と泣き叫ぶ散々な誕生会だったんでありました。
これが最後の誕生会。
1年後、母に「誕生日祝ってくれないの?」と聞いたら「もうやらない」と言われ、ショボンとしたのでありました。
それ以後、私に関しては家族で誕生会をしていません。
誕生日を再び祝うようになったのは、神学校に入学してからでした。
夜、寮の食堂で4、5人の寮生たちが、たまたま誕生日だったか、誕生日が近い神学生か誰かが祝われていた時に、「実は…」と、自分の誕生日当日だったか、誕生日が近いことを申告したのでありました。
で、お祝いとして「こどもさんびか」の誕生日の歌をプレゼントとして歌ってくれたのでした。
20数年ぶりの誕生日のお祝いは本当にささやかなものでした。でも、ジーンときて、目頭が熱くなったお祝いだったのでした。
誕生日を祝うのって、その人のいのちを覚えることなんですね。
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余談ですが、数年後に私はその誕生日の讃美歌を作曲した人が在籍していた教会に4年間赴任することになったのでした。