※この記事はネタバレを含みます※
●あらすじ
『ミッドサマー』(原題: Midsommar)は、2019年のサイコロジカルホラー映画。監督はアリ・アスター、主演はフローレンス・ピュー。アメリカの大学生グループが、留学生の故郷のスウェーデンの夏至祭へと招かれるが、のどかで魅力的に見えた村はキリスト教ではない古代北欧の異教を信仰するカルト的な共同体であることを知る。この村の夏至祭は普通の祝祭ではなく人身御供を求める儀式であり、白夜の明るさの中で、一行は村人たちによって追い詰められてゆく。
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●『 ミッドサマー 』の内容(※ネタバレ注意)
ある日、ダニーの父親と母親、そして妹が死んだ。
ダニーの妹は精神疾患を抱えており、両親を道ずれに、一酸化炭素中毒で無理心中をしたのだ。
突然、家族を全員失ってしまったダニー。
もともと精神不安定だった彼女は、より一層精神的に病んでしまう。
彼女のパートナーであるクリスチャンは、抑えられないほどのトラウマを抱えた彼女を不憫に思いつつも、彼女の深い闇を受け止めきれず、内心重荷に思っていた。
翌年の夏、ダニーとクリスチャン、そしてその友達である、ジョシュ、マークは、スウェーデンの留学生であるペレに、夏至祭に誘われる。
クリスチャンとジョシュは文化人類学を専攻していたことと、論文の題材を得られるということから、ホルガ村を訪れることを決意する。
精神的に不安定なダニーを置いていくことに負い目を感じ、クリスチャンは気分転換というお題目を掲げて、ダニーも誘った。
ダニー、クリスチャン、ジョシュ、マーク、ペレの5人は、スウェーデンのヘルシングランド地方のコミューン、ホルガ村を訪れた。
彼女らの他に、サイモンとコニーというカップルもおり、彼らとも親しくなった。
到着して早々、村の関係者からマジックマッシュルームを勧められ、観光者たちは幻覚や幻聴を味わいながら、開催を待った。
いよいよ、夏至祭が開催された。
白夜により、いつまでも夜が来ない環境の中、真っ白な服を着た老若男女が、ホルガ村で行事を執り行われた。
草花に囲まれた長いテーブルに全員が座ると、一番奥の座席に、ホルガ村最高齢の老人2人が座った。
そして彼らは椅子ごと神輿のように担ぎ上げられ、高い崖の上へと連れていかれてしまった。
崖の下から、村人たちと数人の旅行者たちが、彼らを見上げている。
すると突然、女性の老人が崖から飛び降り、自殺をした。
村人たちはそれを見て佇み、祈っていたが、サイモンとコニーのカップルはそれを見てひどく取り乱す。
棄老の様子を見ていたダニー、ジョシュ、マークの3人は、取り乱すまではいかないものの、かなり動揺していた。
次に、男性の老人が崖から飛び降りたが、死にきれず、うめき声をあげる。
村人たちはそれを見て、悲しみと苦しみの声をあげている。村人の何人かがハンマーを持って老人のもとへ駆け寄り、顔を潰した。
総じてショックを受ける旅行者たちに、村人は、「これは死生観を表現したものであり、村人は72歳になると身を投げなければならない」と説明した。
一連の棄老行事を見た旅行者は、この夏至祭の異常さを肌で感じ、サイモンとコニーのカップルはこの村から出ていくことを決意した。
一方のダニーも、精神状態が更に悪化していた。クリスチャンとジョシュはげっそりしながらも、そういう文化なのだと自分に言い聞かせていた。
先ほどの行事を見ていないマークは、一人呑気に村をうろついており、村にある神聖な流木のようなものに、立小便をしてしまう。
それを見た村人たちは怒り、マークを非難。彼は以降、村人たちの目の敵として注目されることになってしまった。
するとダニーは、村を出ていく準備が整ったコニーと、一人の村人が話している様子を見る。
その村人は、一人で村を出て行き、駅で待ち合わせする旨を、サイモンからの伝言だと言ってコニーに伝えていた。
コニーは、サイモンが私を置いてどこかに行くはずがないと、その村人を信用せず、一人で村を出て行った。
その直後、遠くから女性の悲鳴が聞こえた。
クリスチャンは、ホルガ村の夏至祭についてを論文の題材にすることを決める。
しかし、ジョシュは以前からこの夏至祭についてを論文にすることを公言しており、題材を盗んだとして、2人の仲が険悪になる。
村での食事中、マークは村の魅惑的な女性に誘われて、どこかに行ってしまう。
そしてクリスチャンが食べたパイの中には、女性の陰毛が入っていた。
この村ではセックスアピールとして自分の陰毛を食事に混ぜるというおまじないのようなものを行っており、彼は村人の誰かからセックスに誘われていると察する。
その日の夜、ジョシュは、村長に見てはいけないと念を押された『ルビ・ラダー』という神聖な書物を、スマホで隠し撮りする。
すると突然、背後に半裸の男が近づき、ハンマーでジョシュの頭を殴る。
ジョシュは気を失い、どこかへと消えていった。
次の日、ダニーは、村の女性が総出演する『メイポール・ダンス』の大会に参加させられる。
ダンスの前に、ドラッグが入った黄色い飲み物を飲まされ、ダンスの大会が始まった。
全員で手を繋いでメイポールと呼ばれる建造物の周りを何周も回り、最後まで倒れなかった人が今年の『メイクイーン』となる。
ダニーは見事優勝し、村人たちからの祝福を受け、豪華絢爛な花の冠を被り、村を行進した。
彼女はふとクリスチャンの姿を見たが、式の途中でどこかへ行ってしまったようだった。
クリスチャンも、ダニーと同様、ドラッグが入った黄色い飲み物を飲まされていた。
そして、おぼつかない足取りで、性的な儀式をする村の建物に案内させられる。
建物の中には、食事に混ざっていた陰毛の持ち主の女性が、草花のシートの上で、全裸で横たわっていた。
周りには数人の全裸の女性がおり、彼女らに取り囲まれつつ、クリスチャンは朦朧としながら、その女性とセックスをした。
この村では近親相姦による閉鎖を防ぐため、度々他所からの旅行者の子種を得るという文化があった。
クリスチャンはその文化のターゲットとなってしまったのだった。
村の行進から帰ってきたダニーは、とある建物からの声を耳にする。
村人たちに静止されつつも、彼女はその建物の中を覗き込む。
ダニーは、クリスチャンが村の女性とセックスしている様子を目撃してしまう。
パニック障害を起こしたダニーは取り乱し、泣き喚く。
そんな彼女を見て村人たちも同じく泣き喚く。棄老のときに、死にきれなかった老人の代わりに苦しんだように。
セックスが終わると、クリスチャンはひどく取り乱し、その建物から全裸のまま飛び出す。
村の中で逃げ場所を探していると、花壇に埋められていたジョシュの足と、鶏小屋の中で吊るされていたサイモンを目撃する。
サイモンの方は特に残酷なことになっており、生きたまま背中から肺を取り出され、それを鳥の翼のように広げながら吊るされていた。
そんなサイモンを見ていたクリスチャンに村人たちは追いつき、彼を気絶させた。
『メイクイーン』となったダニーに、村人たちは説明する。
このホルガ村のコミューンから悪を取り除くためには9人の生贄が必要だということ。
飛び降りて死んだ老人2人と、ジョシュ、マーク、コニー、サイモンの4人、生贄を志願した村人2人。
そして、あと1人の生贄が必要であること。
抽選で選ばれた村人か、クリスチャンか。
『メイクイーン』はそれを選ぶ権利があるということ。
選択を迫られたダニーは、先ほどのセックスの怒りから、クリスチャンを選ぶ。
意識がありながら身体の自由が効かないクリスチャンは、熊の生皮を被らされ、黄色い三角の形をした神殿へ連れていかれる。
そして、その神殿に火が放たれた。
生贄を志願した2人は、自分の身体に火が付いた途端、叫び声をあげた。
その叫び声を聞いた村人たちは、彼らと同じように叫び、全身で苦しみを表現した。
ダニーは神殿が焼け落ち、村人たちが共感覚的に苦しみもがく姿を見て、何かが吹っ切れたかのように、微笑みを浮かべた。
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●『 ミッドサマー 』を観た感想(※ネタバレ注意)
アリ・アスターは、2018年に公開された「ヘレディタリー/継承」という映画で、一世を風靡した監督でもある。
私は「ミッドサマー」を見る前に「ヘレディタリー/継承」を既に視聴しており、過去に感想を述べてブログに投稿してもいる。
アリ・アスター映画はその2作品のイメージが強いため、どうしても片方との差異などを交えて考えてしまいがちだと思う。
私もあまり映画を比較するということはしたくないのだが、2作品の差異を取り上げるとすれば、「怖さ」と「不気味さ」だと推定する。
「ミッドサマー」の内容だけを抜粋して述べると、本作は所謂 ” 変な宗教に巻き込まれた系作品 ” なので
正直なところ、目新しさはあまりない。
しかし、その変な宗教で行われる行事の詳細な内容。そして、演出と音楽が不気味すぎるのである。
この気持ち悪さは、実際に映画を視聴しない限り伝わらない感覚であり、文章で伝えるのは非常に難しい。
行事の一環で苦しむ人を見て、共に苦しむ村人たち。
セックスアピールのため、食べ物に陰毛を仕込むという文化。
複数の裸の女が佇むなかでのセックス。
死体を花で彩り、生贄として捧げる文化。
主人公のグループがクスリをキめたときの演出。
主人公のフラッシュバックの演出。
不協和音でありながら、不快すぎない音楽。
これらの全てが不気味で、気持ち悪くて、見ているだけで精神がゴリゴリ削られていく。
本作にはいろいろ伏線があり、何周も観て理解を深める映画らしいが、本作を何周もするほどの精神力を取り戻すには時間がかかりそうだ。
「ヘレディタリー/継承」の視聴後にも思ったことだが、アリ・アスター監督は、どうしてそこまで人間の精神を擦り減らす術に長けているのか。
私は「ミッドサマー」を見て、 精神が削られる作品の底知れなさというものを一番に感じた。
しかしながら、色彩やその狂った演出に一種の美しさを覚えた。不気味で、それでいて美しい。この2つが両立しているのである。
ただ、先述の通り、” 変な宗教に巻き込まれた系作品 ” ではあるので、そういう作品特有の、主人公側の人間がやらかす展開がある。
そのやらかしのせいで、村人の怒りを買ってしまうので、村に対する誠意が足りなさが事態を招いたともいえる。
しかし、いくら自業自得の人間もいるとはいえ、村が行っていることの擁護はできない。
ただ、特殊な部落の、特殊な行事を調べたり、知ることは個人的に好きなので、ホルガ村の伝統については興味深かった。
それはそれとして、人道的におかしいと思う部分もある。これに関しては文化の問題なので、良いとも悪いとも言えない。
村人たちの夏至祭の行いには昔から伝わる大義名分があったし、考え方としては理にかなっているものが多かった。
特に、棄老という行いは、日本人の一般的な宗教的観点からすると、さほどおかしいとも思えないだろう。
ホルガ村では、人間の一生を春夏秋冬と重ねて捉えており、冬を終えた老人たちは死に、輪廻転生をする。
輪廻転生という概念は、外国の一般的な宗教的観点からすると、理解し難いものなのだろう。
そういった観点の差異について考えるという点でも、夏至祭の行事の一環を興味深いと感じた。
ちなみに、本作は度々グロテスクなシーンがあるが、棄老のシーンはかなりグロテスクなので、苦手な人は注意して見てほしい。
最後に、本作のもう一つのメインディッシュである、主人公ダニーとその彼氏、クリスチャンの関係についての考えについて述べる。
物語の序盤からかなりハードモードな人生を送っている、情緒不安定なダニー。
ダニーのことが気がかりでありながら、どこか彼女に対してうんざりしている様子のクリスチャン。
誰もが思うとおり、この2人は根本的に人間性がかみ合っていない。
しかしながら、この倦怠カップルには誰もが既視感を感じるだろう。
多くの女性はダニーに対して親近感を覚え、多くの男性はクリスチャンに親近感を覚えることになると思う。
当たり前だが、ダニーはかなり女性的な言動をしているし、クリスチャンはかなり男性的な言動をしている。
アリ・アスター監督は本作を恋愛映画だと言っているらしい。
確かに、全編を通してみると、感情の擦れ違いによる人間の不安定さを節々で感じる。特に恋愛はそれが顕著なのだろう。
密接な関係だからこそ発生する擦れ違いが、非常に生々しく描かれているのである。
この不安定なカップルは、最終的に、ホルガ村の夏至祭で決別を迎えることになる。
ダニーは、自分の苦しみを吐き出す場所を得ることができた。
苦しみを共感してくれるこの村が、彼女の新たな居場所となった。
クリスチャンはそれを見ながら、焼かれて死んでいく。彼は死の間際、一体何を思っていたのだろう。
よくある作品なら、夏至祭を最終日までやり切って、エンドロールを流すのが一般的だが、本作は違う。
夏至祭の途中で、物語は終焉を迎える。
この夏至祭は、この後どうなるのか?9日目の最終日には、何が待ち受けているのか?
様々な考察や人類学的観点からの推察が行われている。
「ミッドサマー」は終わらない。
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●今回レビューした映画の詳細題名:ミッドサマー 監督:アリ・アスター 2020年公開 |
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