※この記事はネタバレを含みます※

 

●あらすじ

僕の恋人は、自ら手を下さず150人以上を自殺へ導いた殺人犯でした――。

やがて150人以上の被害者を出し、日本中を震撼させる自殺教唆ゲーム『青い蝶』。
その主催者は誰からも好かれる女子高生・寄河景だった。
善良だったはずの彼女がいかにして化物へと姿を変えたのか――幼なじみの少年・宮嶺は、運命を狂わせた“最初の殺人”を回想し始める。
「世界が君を赦さなくても、僕だけは君の味方だから」
変わりゆく彼女に気づきながら、愛することをやめられなかった彼が辿り着く地獄とは?
斜線堂有紀が、暴走する愛と連鎖する悲劇を描く衝撃作!

 

 

 

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●『 恋に至る病 』の内容(※ネタバレ注意)

 

宮嶺望は転勤族だったが、小学生の高学年の時点で転勤がなくなり親は家を持った。
転校先で失敗してもまた転校するから大丈夫。その免罪符がなくなってしまうことで焦る宮嶺。自己紹介の場になるもここで失敗してはこのクラスでやっていけないという強迫観念から、言葉に詰まってしまう。すると、クラス一の才色兼備でカリスマもあり、誰からも好かれている人気者の寄河景が席から立ち上がり、「宮嶺くん、久しぶり!」と大きな声を出す。二人は昔に会ったことなどなく、嘘の言葉であったが、それがきっかけでクラスの生徒は景ちゃんのお友達ということで心を開き、宮嶺のファーストコンタクトは成功した。
それから宮嶺はクラスの人気者である寄河景に惹かれていった。誰もが彼女を尊敬しており、彼女が何か意見すると皆がそれに同意した。文化祭などの出し物も、委員会での配属先も、意見が拮抗することはなかった。皆、寄河景がさりげなく個人個人に向けて手回しをして、対抗案が出ないようになっていたのだ。

校外学習の時間で凧を無くした女の子がいた。宮嶺は使用禁止の公園遊具にそれがあることを発見し、寄河は迷わずその遊具に登った。しかし遊具は音を立てて崩れ、綺麗な寄河の顔に傷をつけてしまう。宮嶺は止めればよかったと罪悪感に苛まれるも、寄河は宮嶺を庇い、擁護した。
このことがあってから、宮嶺は何があっても彼女の味方になると決意し、宮嶺と寄河の絆は更に深まっていった。

学年が上がり宮嶺と寄河のクラスが変わると、宮嶺の学校生活は一変した。いじめられるようになったのだ。加害者はクラス一番の元気印である根津原あきらであった。最初は消しゴムを隠されるなどの程度の低いものであったが、徐々にエスカレートしていった。クラスの全員は根津原に流され、いじめに対して無視を決め込んでいた。彼は寄河景のことが好きで、宮嶺と深い交友関係を結んでいたことに腹を立てたのではないか。と、宮嶺は予想した。
しかし、宮嶺はいじめに抵抗しなかった。親にバレるのが怖く、寄河景にバレることも怖く、このいじめが発覚することで自分の至らなさや傷が世間に知られることが怖かったのだ。『蝶図鑑』という、宮嶺の手の写真がアップされている悪趣味なホームページの存在を知っても、宮嶺は黙っていた。眠れない日々が続き、判断力も鈍っていた。

すると、とうとういじめのことが寄河にバレてしまう。宮嶺は寄河に何もしないでくれと頼むが、寄河は単独で根津原に直談判する。しかし返り討ちに会い、寄河は体育館倉庫の跳び箱の中に閉じ込められてしまう。
このことがあり宮嶺は自己嫌悪し、本当に誰にも何も言わないことを決意する。しかし、寄河景は人の感情を動かすのが得意だ。宮嶺は結局彼女の言葉に動かされ、助けて欲しいと訴えた。
その翌日、根津原あきらがビルから飛び降り自殺をした。というニュースが話題になった。

宮嶺は「景が根津原を自殺に追いやったのか?」と聞けないまま、中学生になった。
寄河景は小学生の頃と変わらず才色兼備とカリスマ性を振りまいており、生徒会では書記を務めるものの会長に匹敵するほどの働きっぷりを披露していた。
善名という少女が学校の屋上から飛び降り自殺を図る事件があったが、寄河景はお得意の人心掌握から、それを阻止することができた。その影響もあって、自殺防止スピーチまで任されていた。
宮嶺はごくごく平凡な中学生活を送っており、人気者の寄河景に近づけるヒマもなく、話しかけることすら不釣り合いだと自負していた。
しかし、修学旅行でたまたま寄河景と二人きりになる機会があり、宮嶺はそこで「景が根津原を自殺に追いやったの?」と聞いた。すると寄河景は「そうだよ」と答えた。自分のせいで寄河景を殺人犯にしてしまった。という罪悪感に押し潰されそうになる宮嶺だが、寄河は「気にしなくていい。あれしか方法がなかった」の一点張りだった。宮嶺は、校外学習の傷の件も含めて、何があっても彼女を守るという決意を確固たるものにしていった。

高校生になり、寄河景は生徒会長、宮嶺望は副会長となって生徒会を運営していた。二人の仲は誰が見ても深いものであり、生徒会の後輩が二人は付き合っていると勘違いするほどであった。
それを聞いた宮嶺は寄河に、付き合っていると勘違いされていることを告げる。すると寄河は、それに何か問題でもあるの?と返す。そして、「宮嶺は、私のこと好き?」と。宮嶺は意を決して景のことが好きだと告白する。「私も宮嶺のことが好きだよ」寄河景はそう返したが、景に自分は不釣り合いなのではないか。本当に好きなのか。宮嶺は不審がっていた。すると寄河景は、明日それを証明するから、校外学習の頃の公園に集合するように伝えた。

寄河景は公園の望遠鏡から、建物の高いところを見ているように伝える。宮嶺はそこで、同じくらいの年齢の男の子が幸せそうな顔をしながら落ちていくのを見た。
これは一体どういうことだ?
何故寄河景はこれを見せたかったのか?
寄河景は場所を移し、告白する。一部で都市伝説化されている、『青い蝶(ブルーモルフォ)』という自殺示唆ゲームの主催者が寄河景であり、今まで三十人以上の人を自殺に追いやったと。
救急車のサイレンが鳴り響く中で、寄河景は続ける。
先程飛び降り自殺をした人も、自分が示唆したということ。
最初は小さい課題を指示し、最終的には自殺するように仕向けるような内容になっていること。
睡眠不足によって判断力を鈍らせるため、課題の決行は夜中に行われていること。
物語性を深めるために、死ぬことは救われることだといった宗教的な観念も持っているゲームであること。
そして、根津原の一件から、悪意に流されるような人間はいずれ悪事を働く。自分の意思を持っている人間のみ必要であり、自殺ゲームなんかで自殺するような意思のない人間はいらないと考えるようになったこと。
寄河景はそのような冗談を言う人ではないと知っている宮嶺はそれを信じ、そして、自分のいじめのせいで彼女が壊れてしまったことに酷く責任を感じた。そして宮嶺は、それでも景のヒーローになることを誓った。

宮嶺は『青い蝶』に関与することはなかったが、運営しているタブレットやパソコンに入ることは可能だった。寄河景がパスコードを教えたからだ。
『青い蝶』はユーザーに相互監視を行わせるよ うな仕組みになっており、課題の提出状況が著しく悪い人間は、他のユーザーに個人情報が明かされてしまうという状況になっていた。この相互監視の仕組みがとうとう発揮されてしまい、ユーザーの一人であった女子高生がリンチに逢い死亡する事件が大々的にニュースになった。
このニュースがきっかけで『自殺示唆ゲーム』が今まで以上に話題になるようになり、『偽青い蝶』が出回るほど影響を及ぼしていた。
寄河景はそれに憤ることもなく、流される人間が間引きされていれば偽物でも構わないようであった。
寄河景は『偽青い蝶』の登場により自分が運営するまでもなくなると思い、宮嶺もそれを望んだ。
しかし、その『偽青い蝶』の課題をこなし自殺してしまった者がいた。寄河景の昔からの友人である緒野という女子高生だった。
この一件のせいで寄河景は『青い蝶』の運営に更に一念発起するようになってしまう。
宮嶺は、もしかしたら緒野は『偽青い蝶』ではなく本物の『青い蝶』によって自殺してしまったのではないかと推測する。寄河景が、自分の友人までも手を下したのではないかと。
タブレットに緒野という名前はなかったが、寄河景は自殺に追いやった人物は削除するようにしていたため実証には至らなかった。その為宮嶺は、寄河景、緒野と仲が良かったもう一人の友人、氷山の元を訪ねた。

同窓会の参加要請を理由に家を訪ねる宮嶺。氷山の母親は氷山を心配しているようだった。それもそのはず、氷山はネット環境を全て断っており、暗い部屋に閉じこもっていたのだ。
何があったのか宮嶺が聞くと、氷山は寄河景に対する畏怖からネット断ちをし閉じこもっているという。
実は根津原を殺したのは氷山と緒野であり、寄河景は彼女らに根津原を殺すように指示していたのだ。氷山はそれ以来、寄河景に恐怖を感じるようになり、寄河景が介入してくる事を恐れて自分の殻に閉じこもっているという。
宮嶺はこの事実を知ると、寄河景が一気に恐ろしいモノに感じた。小学生の時点で殺人まで犯すような示唆ができるような術を持っていたこと。友達に罪を被せるような人間であったこと。
寄河景を止めなければいけない。宮嶺は、寄河景の家に侵入してタブレットを壊すことを心に決めた。しかしそれでも、景のヒーローになるという決意は変わらないままだった。
宮嶺は『青い蝶』を壊し、自分が寄河景の罪を被るというシナリオを決行することにしたのだ。

だが、寄河景はその宮嶺の考えを知る由もない。
寄河景は宮嶺の侵入を予期しており、ガタイのいい警察官を使役して宮嶺を阻止。そして寄河景は、宮嶺にゲームを持ちかける。中学の頃自殺から救ったはずの善名が、『青い蝶』のゲームにハマりこれから自殺を図るという。そこで寄河景が止めに入り、自殺を止めることができたら宮嶺の勝ち。そのまま自殺してしまえば寄河景の勝ち。といったものだった。
宮嶺が勝てば寄河景は『青い蝶』から手を引く。そして寄河景が勝てば、宮嶺にずっと側にいて欲しいと言う。
寄河景は善名に近づき、中学の頃のように自殺を止めようとする。しかし、善名は「景ちゃんを見ていると生きていたくなっちゃう。私は死ななきゃいけない」と言い、寄河景をナイフで刺す。そして、善名は屋上から飛び降り自死を選ぶ。
宮嶺は寄河景の元に駆け寄り、生徒会室で保護する。救急車を呼べば必然的に彼女の悪事が世間に広まる。応急処置をしている途中、宮嶺は寄河景のポケットから何かが落ちるのを見た。
そして、警察が到着する。宮嶺は寄河景を抱きしめながら、自分が『青い蝶』の主催者であることを告白する。

警察官の入見遠子は、独自に『青い蝶』事件を追っていた。『青い蝶』は都市伝説ではないこと。『偽青い蝶』の犯人は本物の『青い蝶』の犯人ではないこと。根津原の母親が根津原の自殺の件が『青い蝶』に関係していると告発した際、消されずに残されていた『蝶図鑑』を発見し、これが『青い蝶』と関係があると踏んで、当時のいじめの被害者である宮嶺望をマークしていたこと。
取り調べの中で、宮嶺は断固として自分が主催者だと言い、寄河景は自分が命令して使役していたと話す。しかし入見はこれを疑う。中学の頃、自殺防止スピーチで発表していたことで寄河景を知っていた入見は、寄河景のカリスマ性に目を付け、宮嶺が自殺示唆ゲームを主催するほどのカリスマ性はなく、むしろ寄河景の方が主催者であったのではないかと言う。
そして、宮嶺望は寄河景に洗脳されている。校外学習での傷で罪悪感を植え付けたのが始めで、そこから宮嶺に罪悪感を抱かせ続け、宮嶺は寄河景の都合の良い駒として使役できるように掌握していた。寄河景は宮嶺に罪を被せようとして、自分だけ逃げる算段だったのではないか、と。
だが、宮嶺はこれら全ての解釈を認めない。

すると入見はビニール袋に入れられたモノを指し、これは何なのかを宮嶺に訪ねる。宮嶺はもちろん、しらを切る。
処置の際、寄河景が落としたモノ。
それは、半分に切られた消しゴム。
周りの人から見れば何でもないものかもしれないが、宮嶺だけが、その消しゴムが自分のものであることをわかっていた。

 

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●『 恋に至る病 』を読んだ感想(※ネタバレ注意)

 

帯には、『ラスト四行で衝撃のどんでん返し』という謳い文句が記載されていた。
そのラスト四行というのは、いじめの時に隠された宮嶺の消しゴムを寄河景が持っていた。という内容だ。
この四行から、二通りの考えができる。
寄河景はいじめの頃から宮嶺を人心掌握していた。いじめの頃から宮嶺は寄河景の手のひらの上で転がされていた。実はいじめの首謀者であった。寄河景がどこまでもサイコパスな人間であったという考え。
もう一つは、寄河景は宮嶺望を本当に心の底から愛しており、消しゴムを持っていたのも恋のおまじないの一貫であった。寄河景が宮嶺望に向けた恋心は本物であったという考えだ。

しかし、私は前者の考えしかできなかった。

先程の二つの考えがどちらにせよ、大前提として寄河景はサイコパスである。人を惑わす力を持っており、自分の手で死に仕向ける。それで世界が良くなると思っている。宮嶺のいじめがきっかけであっても、そうでなくても、彼女が壊れていくのは時間の問題であっただろう。
自分は間違っているのかもしれない。という迷いは度々生まれているが、それは人間が誰しも抱くような悩みである。人間らしさを捨てきれない部分もサイコパスの特徴だろう。変に良心を持っているのだ。自分がおかしいとわかっているからこそ、常人のフリができる。善名の自殺を止めたのも、自殺防止スピーチを行ったのもそのような傾向からだと考える。

帯などでどんでん返しを謳っている小説は大抵、そのメインのどんでん返しの前に、中くらいのどんでん返しがあるものだ。『Aだと思っていたらBだった。と思ったらCだった』といった傾向が多い。
『恋に至る病』もそのような描写があった。寄河景の友人だった氷山からの告白だ。
根津原を殺したのは寄河景ではなく、寄河景が友人を示唆して殺させた。
ここで宮嶺は大変驚き、『青い蝶』を止めることを決意する。このシーンは文面からも読者に驚かせようという魂胆が見える。
しかし、私はこれに大して驚かなかった。
私がおかしいと言われればそれまでなのだが、自分が手を下した事と、自分が指示して手を下させた事に、果たして大きな違いがあるだろうか?
小さい頃から親しんでいた母親の手作りハンバーグが、実はお惣菜のハンバーグであった。
私には、このシーンはこのくらいの衝撃に感じられた。自分でやってようがやってまいが、準備したことには変わりはないし、寄河景がサイコパスであることにも変わりはないのだから。

そして、最後の四行。帯でも謳われている部分でも、大した驚きがなかった。
宮嶺望がいじめられていた頃から、寄河景は手を回していたという事実。
宮嶺望は、小学生の時点で寄河景の手のひらの上であったという事実。
確かに、その四行で物語は覆される。
物語の最初から寄河景の魔の手があったことに恐怖を覚えるし、自己紹介のときに寄河景が助け舟を出したことも人心掌握のうちであったのではないか。そして、そこから段々彼女に惹かれていき、最後まで寄河景を必死に庇っている宮嶺望が可哀想に思えてくる。知らないうちに寄河景に洗脳されていたようなものだ。
筆者が読者を驚かせようとしたわけではなく、物語が覆ることを目的としているのならそれは成功していると言える。
しかし、先程も述べたように、既にサイコパスな人間であることがハッキリしている人間が、小さい頃からサイコパスなことをしていたと発覚したところで、寄河景がサイコパスであることに変わりはないのである。
それに、物語が進むにつれて宮嶺が寄河景に依存するようになるのも、読んでいる側からするとまんまと寄河景の人心掌握に引っかかっていると感じ取ることができる。
校外学習での一件もそうだ。そこから宮嶺の罪悪感による寄河景への信仰心は生まれている。そのため、いじめの頃から寄河景が手を回していたところで、「あ、そうだったんだ」といったくらいにしか思わない。

ラスト四行から生み出される考えのうち、寄河景は宮嶺のことを心から愛していたのではないか。という考えがあるが、私は読了後全くその考えは至らなかった。『恋に至る病』の感想レビューを閲覧して、このような考え方も存在することを知ったのだ。これには自分の読解力が足りなかったのかと少しショックを受けた。
ショックは受けたが、私が彼ら二人の間に愛を感じられなかったことに対する弁明をさせてもらおう。

寄河景は終始感情が読み取れないキャラクターた。どこか周りの人間を下に見ているように感じられる。一線を引いている。浮いている。空虚で透明で、人の心に入り込む。
『青い蝶』を実施した目的も、普通の人間にはあまり理解できないような理由からであるし、そこで自分が間違っているのかもしれないと考えていることも、友達を自殺に仕向けたのも、友達を使って根津原を殺させたことも、校外学習で女の子の凧を隠したことも合わせると、読者が寄河景に対して感情移入することが難しい。
宮嶺のことを好きだと言っているが、愛情表現が発言やキスといったものでしか行われていない。そのため、本当に宮嶺のことが好きなのかわからない。
『青い蝶』の主催者であると告白し、最後まで見ていて欲しい。と宮嶺に訴えたのも、どのような意図で行動したのかがわからない。好意であるとも思えるし、そうでないとも思える。
私は寄河景のことが終始でもわからなかったので、寄河景がどう考えて生きていたのかがわからない。
そのため、宮嶺の消しゴムを持っていたことも、恋のおまじないとして所持していたのかもしれないが、そうではないかもしれない。相反する考えが拮抗するくらい、彼女の思考が読み取れない。
なので、深読みをしてもキリがない。深読みを無くし、小説の文面だけを見ると、寄河景が宮嶺望に好意を抱いていたようには思えない。という考えだけが残る。
筆者は後書きで、小説の節々に寄河景の意図がわかる部分が散りばめられているといった旨を記載していた。
私には寄河景の意図が読み取れず、理解が及ばないばかりにこのような考えにしか思えなかったのかもしれない。
気になる方は是非一読し、散りばめられているという寄河景の意図を読み取ってみてほしい。
果たして寄河景は、宮嶺望を愛していたのかどうか、自分の目で見て考えてみてほしいと思う。

寄河景は最終的に、自らが主催していた『青い蝶』に殺されることになる。ここの皮肉はとても効いていて面白いと思う。『青い蝶』の物語である『死は救済』という観念を善名は信じており、その物語性があったからこそ、寄河景は殺された。その物語性に殺されたのだ。
また、小さい課題から段々エスカレートしていく。宗教的な物語性を作る。判断力を鈍らすといった支配するということの難しさと容易さを感じることができた。

そして、これは本編とは関係ないが、どんでん返しを謳う帯の善し悪しについても考えるきっかけになった。今まで嗜んできた書籍はどんでん返しを謳うだけあって、ハンバーグを食べていたと思ったらそれはケーキだった。といったように、物語が180度ひっくり返るようなパターンが多かった。
しかし『恋に至る病』にそのようなどんでん返しを期待してはいけない。『恋に至る病』に限らず、どんでん返しを謳っているからといってそれを期待してはいけないということを思い知らされた。どんでん返しにも様々な種類があり、ケーキをハンバーグだと思い込ませるだけが読者を騙す術ではないということを身をもって感じることができた。
ラスト四行で物語の根本が変わる訳ではなく、物語の角度が変わるような構成になっている。『恋に至る病』はそのような小説である。

 

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●今回レビューした図書の詳細

題名:恋に至る病

著者:斜線堂有紀

発行所:KADOKAWA

 

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