※この記事はネタバレを含みます※

 

●あらすじ

蟹工船とは、戦前にオホーツク海のカムチャツカ半島沖海域で行われた北洋漁業で使用される、漁獲物の加工設備を備えた大型船である。搭載した小型船でたらば蟹を漁獲し、ただちに母船で蟹を缶詰に加工する。その母船の一隻である「博光丸」が本作の舞台である。
蟹工船は「工船」であって「航船」ではない。だから航海法[4]は適用されず、危険な老朽船を改造して投入された。また工場でもないので、労働法規も適用されなかった。
そのため蟹工船は法規の真空部分であり、海上の閉鎖空間である船内では、東北一円の貧困層から募集した出稼ぎ労働者に対する資本側の非人道的酷使がまかり通っていた。また北洋漁業振興の国策から、政府も資本側と結託して事態を黙認する姿勢であった。
情け知らずの監督である浅川は労働者たちを人間扱いせず、彼らは劣悪で過酷な労働環境の中、暴力・虐待・過労や病気で次々と倒れてゆく。転覆した蟹工船をロシア人が救出したことがきっかけで異国の人も同じ人間と感じ、中国人の通訳も通じ、「プロレタリアートこそ最も尊い存在」と知らされるが、船長がそれを「赤化」とみなす。学生の一人は現場の環境に比べれば、ドストエフスキーの「死の家の記録」の流刑場はましなほうという。当初は無自覚だった労働者たちはやがて権利意識に覚醒し、指導者のもとストライキ闘争に踏み切る。会社側は海軍に無線で鎮圧を要請し、接舷してきた駆逐艦から乗り込んできた水兵にスト指導者たちは逮捕され、最初のストライキは失敗に終わった。労働者たちは作戦を練り直し、再度のストライキに踏み切る。

 

 

 

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●『 蟹工船 』の内容(※ネタバレ注意)

 

文無しの漁夫が、蟹工船で働かされている。夕張炭鉱で七年間炭鉱夫をしていた男や、秋田、青森、岩手から来た百姓など、様々な理由でこの蟹工船に乗船していた。中には漁夫の中には東京の学生上がりもいた。皆は金を残して故郷に帰ることを目的として考えているが、簡単に丸裸にされ故郷に帰れなくなる。身寄りのないこの北海道という地で、自分の身体を安い値で売らなければ生活が送れないのである。

蟹工船の事業は金儲けではなく、日本が偉いかロシアが偉いかの戦いだ。そして、これは日本帝国の食糧問題に対する重要な使命であると監督の浅川は言う。漁夫たちは留萌の海でかじかんだ手に息をかけながら働かなければならなかった。激しい豪雨に見舞われ、船は今にも沈みそうになる。同時に函館を出港したはずの蟹工船はいつの間にか離れ離れになり、谷底に転落してしまった。もはや漁夫たちに人権はなく、自分等の命を安々と賭けなければならなかった。

 

翌日、先日転落した秩父丸からのSOS信号を監督が無視したということを給仕から聞いた。蟹工船は航海法も工場法も適用されていないため、労働者が死のうが重役にはどうでもいいことなのだ。むしろ重役はこの仕事を日本帝国のためと結び付けていた。

夕方近く、仕事中に川崎船が二隻近づいていたが、行方不明になった。三日後、川崎船が元気よく帰ってきた。彼らはカムチャッカの岸に打ち上げられ、近所のロシア人に救われた。帰る日になるとロシア人の他に支那人が入ってきて、順序の狂った日本語を喋り出したという。日本はプロレタリアの国だ。働く人は病人のようで、働かない人は威張っている日本の国は駄目だ。ロシアは働く人ばかりで働かない人やずるい人はいない、恐ろしくない国だといった内容だった。川崎船の漁夫たちはこれが「赤化」で、このような手で日本人を騙しているのだと思った。という旨を皆に伝えた。

 

後日、ケガをした漁夫が船医のところへ抱え込まれる。監督はいろいろ難癖をつけてくるので、その時の抗議の為に診断書が必要だった。しかし、この船では診断書は書かせないように監督に命令されていた。その漁夫は何日もすると寝たきりになってしまい、挙句の果てには死んでしまった。仕事に出ていない病気の者だけでお通夜を行い、翌日死体は麻袋へ入れられ水葬された。水葬があってから漁夫たちのサボりは増えていった。蟹工船の仕事は皮肉にも、労働者が団結することを教えてくれているようなものだった。蟹の量が毎年の割に比べて減っており、監督は仕事を少しでも怠けた者には大焼きを入れるという内容のビラが貼られた。

 

とうとう漁夫たちは代表の九人を主軸にストライキを始めた。要求事項と誓約書を持った漁夫たちが声明をあげる。薄暗くなったころ、功績を成してはしゃいでいた漁夫たちの元に駆逐艦がやって来た。この状況や立場を士官達に説明して援助をうけたら、このストライキは有利に解決がつくと考えた漁夫たちは、駆逐艦を招き入れる。しかし、駆逐艦に乗っていたのは水兵だった。監督が寄越したのだ。代表の九人は駆逐艦に護送されてしまった。残された漁夫たちは、誰が敵であるか、それがどういう風に繋がっているのかということが身をもって知らされた。しかし彼らは、まだ希望を胸に秘めていたのであった。

 

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●『 蟹工船 』を読んだ感想(※ネタバレ注意)

 

蟹工船は大正時代から昭和40年代まで運航されていた実在の漁船である。作中では主に日本とロシア、労働者と権力者の対立を描いている。まず特筆すべきは日本帝国のために働かされているという点だろう。浅川監督は度々、ロシアへの対抗意識と日本帝国に身を捧げる旨を労働者たちに伝えている。そして労働者たちもそれに納得してしまっているのが恐ろしいところである。行方不明だった川崎船がロシア人のお世話になった際、ロシア人は日本の危険な思想と格差社会について忠告しているのがわかる。現在ではそのロシア人が言ったことは幾分正しいものであり、本来であればその忠告を受け止めるべきだと感じるが、労働者たちはこれこそが赤化(共産主義の思想)であると思ってしまっている。これは、日本帝国が付けた首輪が深く彼らに浸透してしまっているということがよくわかる場面だと言える。また、途中で活動写真家が船内に入り、労働者たちに映像や写真を見せる場面があるが、そこで重役の娘と工夫が結ばれる映画や、貧乏な少年が工場へ入りやがて一大富豪になるといった映画を見せられていた。これも権力者の思惑のうちであり、「頑張ればいずれは報われますよ」というようなあまり良いとは感じられない意図が汲み取れた。

 

そしてもう一つ特筆すべきは、権力者が労働者を人間として扱っていない描写である。行方不明だった雑夫への処罰としてシャツ一枚で便所に閉じ込めたり、怠ける者には文字通りの焼きを入れたり、病気や怪我をしても働かされている様子がよくわかる。また、突風の警報を受け取ったにも関わらず仕事を続けさせたりと、お前たちの代わりはいくらでもいるとでも言いたげな行いが多く見受けられた。

 

上記のような行為が漁船以外の労働者にも行われているということもわかる。炭鉱でガス爆発が起こり、中に人がいるのにも関わらず、爆発が他へ及ばないように壁を作る監督や工夫。また、トロッコで運ばれる石炭の中に指が交じっていたというような描写がある。

現代の日本の教科書には『蟹工船』だけでなくプロレタリア文学全般の記載が見受けられない。日本が上記のような残虐的な行いをしていたことを隠蔽しているようにも思える。確かに今日、日本以外にも、自分の国にとって都合の良い歴史のみを主体にしている国は存在するように思う。日本にとっても公にしたくはない内容なのであろう。しかし、だからこそ、『蟹工船』のようなプロレタリア文学は日本人に多く知れ渡るべき書籍である。ということを私は主張したい。他国との差や戦争の勝敗だけでなく、自国が行っていた凄惨な出来事や格差社会の現状をもっと明らかにし、今の子どもたちが知るべき事柄とするべきではないだろうか。そして、当時の労働者と権力者の格差、差別的行いは収まってはいるものの、どうにも払拭しきれていない印象を受ける。現代日本社会でも労働者と権力者、日本と他国との隔たりや格差、差別が多く点在している。生活や金銭に差や違いがある以上、格差や差別といったものは生まれ続けるのだと思う。差別と思うこと自体が差別であるというような考えも存在する。しかし、それらをどう受け止め、どのような表現で後世に残すかを、一人一人がよく考える必要があるのではないだろうか。

 

 

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