※この記事はネタバレを含みます※

 

●あらすじ

ガラス窓を破るほどの嵐の翌日、スーパーへ買い出しに出掛けたデヴィッド(トーマス・ジェーン)。軍人やパトカーが慌ただしく街を往来し、あっという間に店の外は濃い霧に覆われた。設備点検のために外に出た店員のジム(ウィリアム・サドラー)が不気味な物体に襲われると、店内の人々は次第に理性を失いはじめ……。

 

 

 

 

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●『 ミスト 』の内容(※ネタバレ注意)

 

強烈な嵐に見舞われ、家や小屋が滅茶苦茶になってしまった家族の描写から物語は始まる。

嵐が過ぎた翌日、山の向こうから濃く不気味な霧を目撃する父親のディヴィット。妻と息子と幸せな暮らしをしていた家族と平穏な街に、何やら不穏な空気が漂う。

 

ディビットとその息子のオリーは近所のスーパーマーケットに食料品を買いに向かう。

災害後ということもあり、スーパーマーケットは混雑していた。

・・・少しすると、鼻血を出した初老の男性が顔を白くしながらスーパーマーケットに駆け込んだ。

「何かがいる」 「周りの人が何かに攫われた」など、抽象的だ。

正面がガラス貼りとなっているスーパーマーケットの周囲はいつの間にか、山のほとりで見かけた濃い霧で立ち込められており、先が見えない。見えないが・・・人の悲鳴が聞こえる。

地面が大きく揺れたこともあり、パニックになる店内。

子供が家にいるからと訴え店外へ出る女性や、神に信仰を捧げる者など、錯乱する人々。

 

ディビットは息子のオリーをスーパーにいた女性に預け、倉庫の様子を見に行く。

倉庫では発電機が煙を吐いており、シャッターの先から奇妙な音がしている。発電機を直しに来た三人組にディビットは、倉庫は危険だと訴える。しかし、聞く耳を持たない三人はシャッターを開ける。

開いた隙間から、形容しがたい触手が何本も現れ、三人組の中で最も若く無鉄砲だったノームが犠牲となる。

迷った挙句、スーパーマーケットにいる人たちに倉庫で起こった出来事を伝えるが、ディビットのことを昔から嫌っていた弁護士のノートンはたちの悪い冗談だと一蹴し、霧の中に化物はいないということを証明するため一人に紐を括り付け、数人を引き連れて店外へ出る。

-----案の定、張られていた紐は緩み、引っ張るとその先には上半身が切り取られ、下半身のみとなった男性の成れ果てが存在した。

 

夜、以上の出来事からディビットの訴えをすっかり信じたスーパーマーケットの人たちは、協力してバリケードの設置やライトを使った店外の監視などに勤しむ。すると店外から、顔の大きさほどの虫のようなクリーチャーがビタン!と音を立てて張り付き始めた。

虫のようなクリーチャーは数を増やしていくが、更にそれを狩るクリーチャーが出現。

店内は再び大騒ぎになり、虫を狩るクリーチャーはガラスを突き破り店内まで侵入する始末。銃や木の棒、斧、火など人類の叡智を用いて対抗する人々。しかし、虫に刺され顔が膨らみ死んだ女性や、虫を狩るクリーチャーに皮や肉を食い剥がされ苦しむ男性。更には転んだ人間がガソリンをぶちまけて店内をちょっとした火災にするなど、まさにパニックの極みだった。

 

人類の叡智で何とかクリーチャーを倒した後、ディビットは話の通じる人を集めて倉庫で話し合う。何を隠そう、このスーパーマーケットには宗教狂いのおばさんであるスターンハーゲンがおり、彼女が厄介な行動や言動の限りを尽くしていた。

大声で聖書を読み上げたり、これは神からの試練だ。人類への罰だ。などを人々の恐怖心と信仰心を煽るようなことばかり述べており、スターンハーゲンに扇動される者が急増していた。

ディビットは彼女への注意を促しつつ、皮や肉を食い剥がされて苦しんでいる男性の処置をしたい一心で、スーパーの近くの薬局へ複数人で向かうことを決心する。

向かう途中で宗教おばさん・・・もといスターンハーゲンが神の意志に背くななどと訴えるも聞く耳持たずに店外へ出た。

薬局までは何事もなく向かうことができたが、目的地の天井には人間が糸で巻き付けられており苦しんでいた。獲物となった人間の内部から小さな蜘蛛が無数に湧き出て、せっかく入手した薬を置いて一目散に逃げるディビット達。2名ほど犠牲者が出たものの、その他の人たちは無事にスーパーまで生還することができた。

 

スーパーマーケットに着くやいなや気絶してしまっていたディビット。泣きじゃくる息子のオリーに対して”もうどこへも行かない”と言ったものの、店外ではなく店内で不穏な空気が漂っていた。

そう、宗教おばさんスターンハーゲンがほとんどの人たちを牛耳っていたのだ。

宗教狂いを横目で見つつ、薬局で獲物となっていた軍人から聞いた言葉が気になったディビットは、信者に気づかれないように店内に一人残っていた軍人を尋問する。

しかし、信者はそれに気づき、お前が元凶だと言わんばかりの早とちりな態度で強制的に情報を吐かせようする。

軍人は恐怖し、ついに軍の中で広まっていた噂について話す。

「ここの周りは異世界が広がっている」「異世界に繋がる窓が存在する」

これを聞いたスターンハーゲンは考えを飛躍させ

「異世界に繋がる窓を扉にして開けた」「人類が行ってきた冒涜的行為がこの結果をもたらした」「この軍人は贖罪だ」「生贄だ」

という演説を垂れ流す。信者たちは泣きわめく軍人を捉え、ナイフで刺し、店外へ放り出した。ほどなくして軍人はクリーチャーの餌食になり、スターンハーゲンが率いる神への信仰心は一層深まってしまった。

 

店外も店内もこの様子ではスーパーマーケットに残るのは危険だと判断したディビットは、信仰者ではない複数人を集め、ガソリンの尽きるまで車で外を逃げ続けることを決める。

夜明けに誰にも気づかれず出発する予定だったが、宗教おばさんスターンハーゲンに見つかり、信者たちは店外へ出ていくディビット達を武力行使で止めようとする。

それに対してディビット達も武力によって抗おうととし、挙句の果てにはスーパーの店長がスターンハーゲンを銃で撃ってしまう。

死んだスターンハーゲンに動揺した信仰者たちを押しのけ、車に乗り込むディビット達。

車に向かう途中三人ほどがクリーチャーの餌食になるも、おばあさん、おじいさん、息子のオリーを預けていた若い女性、息子のオリー、ディビットのみの出発になってしまった。

 

濃い霧の中をかき分けて進む道中、淡い希望を抱いてディビットの家に向かうも、妻の気配はなく、女性の形をとったはく製のようなものが存在するだけであった。

失意にかられるディビットだったが車を進ませ、進ませ、進ませ・・・

・・・いよいよ、ガソリンが尽きてしまった。辺りはまだ濃い霧の中だ。

車内の人たちは皆、諦めた面持ちだ。ディビットはおもむろに護身用にと持ってきた銃を見る。

弾丸は四つ。車内には五人。

言い争いなど何もないまま、五人は顔を見合わせた。

車内から銃声と光が漏れる。

ディビットは息子を含んだ車内の四人を殺したのだ。

泣き叫ぶディビット。半狂乱のなか車の外へ飛び出し、来い!と叫ぶ。クリーチャーの餌食になることを望んでいた。

・・・すると、遠くから音がする。クリーチャーか?そう思ったディビットだったが、音の主はクリーチャーなどではなく・・・戦車だった。

そう、助けが来たのだ。

呆然とするディビット。戦車や特殊兵、救助者、

救助者の中には、子供が家にいるからと訴え店外へ出た女性も存在していた。

もう少し、殺すのを躊躇っていたら。

いや、大人しくスーパーの中で救助を待っていれば。

崩れ落ちて泣き叫ぶディビットの姿を、戸惑いつつも保護しようとする軍人たち。

彼らの目には、助けが来たことに対して安堵して泣いているように映ったことだろう。

 

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●『 ミスト 』を観た感想(※ネタバレ注意)

 

映画ミストは、胸糞悪い映画としてその手の界隈では有名だ。

有名なあまり観る前にネタバレを踏んでしまった人も少なくないだろう。かくいう私もその内の一人である。

しかし、ネタバレを見てしまったからと言って映画の一部始終をすべて見たというわけではない。

不覚にも見る前のハードルを上げさせられてしまっている映画ミスト。

私はようやくそのハードルを越える決心がつき、初めから終わりまで腰を据えて観る運びとなった。

 

観終わったあとすぐに抱いた感想としては、イメージと違ったな。だった。

もちろん、内容が不足していたとか、つまらなかったとか、悪い意味ではない。

以下で、そう思った経緯と他の観点について深く掘り下げて述べていく。

 

序盤は、言ってしまえばよくあるB級映画のようだなといった印象を受ける。

乱立する死亡フラグや、派手な血飛沫、正体不明の化物など、パニック映画の柱といっても過言ではない要素がたくさん存在していた。ただ、設定や登場人物の言動に関してはB級パニック映画のようだったが、魅せ方が凝っているなと思った。

カメラワークや演出などで不穏な空気を生み出すのが上手く、化物の作りこみ具合も安っぽいチープな感じはほとんどなかった。むしろ、化物のデザインに関しては一種の美しさすら覚えた。霧の中に何がいるのかがわからず、どのような展開になっていくかもわからず、まさに二重の意味で先が見えない描写が、恐怖心と緊張感を煽っていたように感じた。

また、言うことを聞かず、ましてや方便だと馬鹿にして一蹴した弁護士ノートンという存在は、主人公のディビットに親近感と応援したくなる気持ちを抱かせて、視聴者を”ディビット側”にしていくための描写だったのだろうかと勘繰ってしまう。これについては後述する。

 

しかし、中盤からはただのパニック映画ではないと思わせるようなシーンが多くなっていく。

それを確立させているのは、映画ミストのキーパーソンである、宗教おばさんことスターンハーゲンだ。

彼女の存在により、映画ミストはB級パニック映画という印象が変化していくことになる。

 

スターンハーゲンは宗教の良い部分と良くない部分を一身に引き受けたようなキャラクターだったように思う。

宗教は極限状態であればあるほど簡単に人の心理状態を変化させてしまう。

それは救いにもなる半面、災いにもなりうる。

この映画を見ているときは、このスターンハーゲンおばさんを悪い存在だと思っていた。

しかし最後まで観た後だと、捉え方が変わった。

贖罪だ何だと言って軍人を殺してしまったり、全ての結論を神に結び付ける行為は良くない。

しかし、こういった状況ではある程度でも恐怖心を抱くべきではあるし、リスクを伴う行為をせずスーパーマーケットに籠ることを決めたのはそれはそれで英断ではあるからだ。

また、映画の内容を反芻すると、主人公のディビットこそタチの悪い宗教/洗脳といっても過言ではない行為をしていたように思う。宗教おばさんを擁護するつもりも、肯定するつもりもないが、彼の行為は無鉄砲なものばかりであった。他人を救おうとするあまり別の人を危険に晒すこともしている。正義感を出し人を救うということはとても良いことではあるのだが、このような状況では悪影響しか及ぼさない。人を救うため行為で人を殺してどうする!と言いたくなった。

先述したが、序盤から惜しげもなく披露されていた、ディビットを応援したくなるシーンが、視聴者の善悪の区別を惑わせていたように思う。主人公が正しいという人間の根本的な心理をこのように利用していたと気づくのが、物語が終わった後という点に私はゾッとした。

ディビットもスターンハーゲンも、良くも悪くもない。ただ、二人とも別の方向でやりすぎていた。

扇動する者の責任の重さと、難しさ、極限状態の人間の心理の変動など、ただのB級映画では得られない感想を抱けるという点が、、映画ミストが名作だとハードルをあげられている理由だろう。観た後に考えを巡らせることができ、その部分も映画の一部だと考えると、納得のハードルの高さだったと、私は思う。

 

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●今回レビューした映画の詳細

 

題名:ミスト

監督:フランク・ダラボン

2007年公開

 

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