活着失敗、そして寿命のこと | 岩石翁の多肉ブログⅡ

岩石翁の多肉ブログⅡ

メセン栽培を主軸として、多肉植物の「岩石栽培」という新手法を実験中。その記録です。

 緋牡丹錦の活着は、結局うまくいかなかった。衰弱が激しくてこれ以上はどうしようもないので、緋牡丹錦とはもうお別れである(悲)。繰り返しになってしまうが、去年おかしくなりはじめた時点で、この品種に特有の自根での生育の限界(=寿命)が来たのだと潔く判断してさっさと接ぎ木をしてしまえばよかったのだ。そうすれば延命措置ができたかもしれない。だだただそのことが悔やまれる。要するに、対応が後手後手に回ってしまったのだ。台木として無駄になってしまった鬼面角の方は、今後は台木親として頑張ってもらうことにする。

 今回は、多肉の寿命というものについて改めて考えさせられた。兜で見られる突然死は(全てではないだろうが)ある意味寿命なのだと聞いたことがあるし、メセン類にももちろん寿命があって、栽培下だと大体40~50年が限界であると聞いたことがある。なので、我が国に導入されてから栄養繁殖(=株分け)だけに頼って増やしてきたような品種は、近年、ものによってはほとんど出回らなくなってきている、とも。

 多肉ではないが、そういえば最近目立って色づき始めたこの人たち↓はどうなっているのだろう。花後(=親株が枯死する前)に子株が出てくるとはいうものの、それを無限に繰り返すわけではあるまい。彼らにも彼らの寿命が当然あるだろう。まあ、自分の年を考えれば、今さら気にするような問題でもないか(苦笑)。

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