七歳の女の子が心臓移植待ちでカナダへ。
命のリレーがつながる事を、心から祈っています。

臓器提供の意思カードを、私達夫婦は自分のとお互いのを、常に携帯しています。

私は薬を飲んでるから、輸血も骨髄バンク登録も出来ないけど、この意思カードだけは持てる。

でも、夫婦間で、意思の内容は違います。

私は全て提供します、なんだけど、旦那は眼球だけは嫌なんだって。

自分の父親が事故で亡くなった時の顔が忘れられなくて、顔だけはいじって欲しくないと。
そうか、そういうつらい思い出があるのか。

お互いに、「自分は、提供出来る物は提供したい」とは強く思っているんだけど、実際そういう場…になったらどうだろう。

うちの旦那は、「俺はいくみの意思を分かっていても、提供に同意出来ないかもしれない」

私はどうだろう?どうだろう?
…分からない。
旦那の提供の意思を尊重したい…けど、旦那の親族には反対されるんだろうな。

臓器移植法が見直されても、臓器提供の意思が普及しないと意味がない。
その普及には、臓器移植に対する意識改革が必要だと思う。

でも、もし、もし、うちの娘に万が一の事があって、提供を求められたら…。
無理。
絶対に無理。

だから、私も結局、旦那の親類と、根本的な考えは一緒なのかな。

将来、私達に何か起きた時、臓器提供の輪は、広がっているのかな。
私達の考え方も変わっているのかな。

そんな課題もあり、旦那は「いくみは、俺より一日長生きして」と言う。
それは嫌だね。
もちろん、レディーファースト。
私も面倒くさいのは嫌いだ。