ボクはもう壮年だ
早い話、ジジィといってもいい
このごろはジェネレーションギャップなのか
変な時代に変わっていくことに、モヤモヤしたものを感じる
たぶんジジィはみんなそうなんだろう
一番モヤモヤするのは
未成熟、未経験を肯定するもの言いか
遠回り、とか
無意味、とか
そんな理由だ
ほんとに頭のいい人や
限られたタレントを持つ人は昔からいる
その人たちには確かに経験や猶予は必要ないのだろう
ただそれは今に始まったことではなく昔もそうだった
もうジジィだから言い切るけどね
なんで失敗することを楽しめないんだろう、と
「こうすれば」と考え
「ちがうのか」と反省する
スマホやPCの中にあるのはただの情報で
正解や成功がそこにあっても、それは他人のものだ
人はだれしも未成熟で生まれるわけで
人類何千年かで得てきた経験を
学校に行くことで、ひととおり知識として得られる良い時代だ
そしたら今度は自分の番だろ?
知識は知識として
そこからは自分の人生を生きなきゃ意味がない
言い切る
意味がない
たどり着くとこがどこなのか
どんな高み、深さ
それはどうでもいい
「これは自分のものだ」と胸を張れる生き方をすればいい
道すがら出会うオートバイには
ほぼほぼスマホが中心に居座っている
スマホでアプリにルートをなぞらせ
目的地へ指示されるまま突き進むのか
それならなぜ目的地に行くための手段がオートバイなんだろう
そもそも目的地ってなんだ
エンジンを切った後が目的なのかい?
だったらこんな危ない手段は必要かい?
オートバイに乗ること
オートバイで走ること
危険であってもそれを乗り越えるだけの
理由や魅力がそこにある
オートバイを引っ張り出し
冷たいエンジンに火を入れる
ギアをローに入れ
丁寧に、慎重に、その日最初のクラッチミート
そして、また今日も道路へ走り出す
まだ固く不揃いな爆発をなだめながら
ゆっくりエンジンに熱を回していく
最初の交差点で止まるときエンジンをストールさせないように気を付けて
流れのある幹線道路でチョークをすっかり戻すと
スロットルの付きを試すように
慎重に、しかしすばやく、大きく引き絞ると
ビックボアのボクサーツインは力強く応える
「さー今日はどこを走るんだい?」
大切なことはプロセスであってリザルトやエフェクトでなくていいと思う
失敗は次のトライへ続くし、
不安や恐れは、その裏側に間違いなく生きる高揚感を伴っているはずだ
写真も挟まずこんな話を書き連ねるのも
トライだからだ
もう「大多数」におもねる文章で自分の気持ちを抑え込みたくない
なんのリアクションもなくても、きっと伝わっている人がいる
そう思ってこのブログを続けていきたいから
オートバイに乗る時くらい
この走る魂にひたすら自分をぶつけてもらいたい
エンジンの音
吸気音
ブレーキパッドがローターを摩擦する感触
ガソリンの匂い
蝉の声
キンモクセイの香
日差しの温もり
雨の冷たさ
指の凍え
前を行く車の中から送られる子供たちの視線
そして
深くリーンした時の不思議なバランス感
オートバイライディングはすばらしいの一言に尽きる
でしょ?
だからスマホ見ながら走るのはよそう

もう何年もいってないから道も随分変わって
この場所にたどり着けるのかちょっと不安だったけど
でも、旅するボクのDNAは健在だった
地図もなくスマホも見ずに
しっかり、しかも一発でここに着いた

ここは秘密のテストコース
バンクの付いた高速周回路
黄色いBMW

休みのたびにちょこっとずつ手を入れて
こうなった
あんまり変わってないか
早い話、ジジィといってもいい
このごろはジェネレーションギャップなのか
変な時代に変わっていくことに、モヤモヤしたものを感じる
たぶんジジィはみんなそうなんだろう
一番モヤモヤするのは
未成熟、未経験を肯定するもの言いか
遠回り、とか
無意味、とか
そんな理由だ
ほんとに頭のいい人や
限られたタレントを持つ人は昔からいる
その人たちには確かに経験や猶予は必要ないのだろう
ただそれは今に始まったことではなく昔もそうだった
もうジジィだから言い切るけどね
なんで失敗することを楽しめないんだろう、と
「こうすれば」と考え
「ちがうのか」と反省する
スマホやPCの中にあるのはただの情報で
正解や成功がそこにあっても、それは他人のものだ
人はだれしも未成熟で生まれるわけで
人類何千年かで得てきた経験を
学校に行くことで、ひととおり知識として得られる良い時代だ
そしたら今度は自分の番だろ?
知識は知識として
そこからは自分の人生を生きなきゃ意味がない
言い切る
意味がない
たどり着くとこがどこなのか
どんな高み、深さ
それはどうでもいい
「これは自分のものだ」と胸を張れる生き方をすればいい
道すがら出会うオートバイには
ほぼほぼスマホが中心に居座っている
スマホでアプリにルートをなぞらせ
目的地へ指示されるまま突き進むのか
それならなぜ目的地に行くための手段がオートバイなんだろう
そもそも目的地ってなんだ
エンジンを切った後が目的なのかい?
だったらこんな危ない手段は必要かい?
オートバイに乗ること
オートバイで走ること
危険であってもそれを乗り越えるだけの
理由や魅力がそこにある
オートバイを引っ張り出し
冷たいエンジンに火を入れる
ギアをローに入れ
丁寧に、慎重に、その日最初のクラッチミート
そして、また今日も道路へ走り出す
まだ固く不揃いな爆発をなだめながら
ゆっくりエンジンに熱を回していく
最初の交差点で止まるときエンジンをストールさせないように気を付けて
流れのある幹線道路でチョークをすっかり戻すと
スロットルの付きを試すように
慎重に、しかしすばやく、大きく引き絞ると
ビックボアのボクサーツインは力強く応える
「さー今日はどこを走るんだい?」
大切なことはプロセスであってリザルトやエフェクトでなくていいと思う
失敗は次のトライへ続くし、
不安や恐れは、その裏側に間違いなく生きる高揚感を伴っているはずだ
写真も挟まずこんな話を書き連ねるのも
トライだからだ
もう「大多数」におもねる文章で自分の気持ちを抑え込みたくない
なんのリアクションもなくても、きっと伝わっている人がいる
そう思ってこのブログを続けていきたいから
オートバイに乗る時くらい
この走る魂にひたすら自分をぶつけてもらいたい
エンジンの音
吸気音
ブレーキパッドがローターを摩擦する感触
ガソリンの匂い
蝉の声
キンモクセイの香
日差しの温もり
雨の冷たさ
指の凍え
前を行く車の中から送られる子供たちの視線
そして
深くリーンした時の不思議なバランス感
オートバイライディングはすばらしいの一言に尽きる
でしょ?
だからスマホ見ながら走るのはよそう

もう何年もいってないから道も随分変わって
この場所にたどり着けるのかちょっと不安だったけど
でも、旅するボクのDNAは健在だった
地図もなくスマホも見ずに
しっかり、しかも一発でここに着いた

ここは秘密のテストコース
バンクの付いた高速周回路
黄色いBMW

休みのたびにちょこっとずつ手を入れて
こうなった
あんまり変わってないか