生きている限り諦めることはない。

だって、全然自分自身のことなんだから。

なんどでもやり直せる。
致命傷にならない限り失敗も糧だ。

誰との比較も必要ない。
全て自分自身の気がつきの為だからだ。

目標達成までの年数が結果的にどうあろうと全ったく関係ない話だ。

それまでの間に自分自身が自分自身の何かに気がつき追い求めて発見できればいいと思うからだ。

もし挫けたり、失敗をしてもそこから何かを反省して見つけて、それを糧にしていけばいい。

全然自分自身の事だ。全部自分自身の発見の為だ。 誰の為でもない。

一度と失敗した人間にチャンスが二度と与えられないのはおかしい訳だし、そもそも与えるも与えないも全部自分の心の中の出来事が大部分だ。だから自分が決められる。

試験にかぎらずの人生の課題だ。
オイラの人生のイメージは、何度でも失敗から立ち上がることだ。乗り越えることだ。

苦しみも悲しみもなんとか乗り越えていくのが人生だ。

自分探しだ。

苦しみや困難や悲しみや全て乗り越えて立ち直って辛い思いも経験して、その中で自分を見つけられればいいはずだ。

極楽の中で自分探すことはたぶん難しいと思うけど、苦しみや困難や悲しみの涙はきっと、辛い分だけ何かを人に教えてくれるようにおもう。

全部自分サイズでいいわけだ。
誰と比べることに、そこに本当の意味はない。

心を縛られずに、自分を解放するのもまた自分の心だ。

だから目標というのは自分本位でいいという言い方も出来そうだ。

たまたま本屋で手にとった本が宅建で、それが自分にとっての発見の目標になるのであればそれに心を燃やせばいいわけだ。
自分の心の評価と人の評価は別の次元だ。

自分の人生を生きているのは自分だから、大切なのは自分の心の評価だ。

自分にもっともっと近づいていけたらいい。自分を知ったり納得させることは何よりも価値はある。

結果そのものにそんな価値はない。だからお金や地位や合格そのものに価値はあるようでないに等しい。

お金も地位も合格も、苦労して涙して努力したからこそ、価値が生まれんだ。

自分本位で自分が頑張れて、何かをみつけて発見したり納得できればいいんだ。

縛られずに自分自身を発見できたら、それは素晴らしいことだと思う。
つい最近までの勉強の日々が懐かしい、、でも思い出話になったらダメだ。あの時キッカケは掴んだはずだ。勉強の機会がくるまで心の導火線の火花だけは燃やしつづけていなければ、、、

俺は諦めないし諦めようがない。だって自分の何かを見つける手段とキッカケなんだから。

心の導火線を見守りつづけて勉強の土俵にあがることをまず目指さないと、、。

自分を見つける為のコーヒーショップだ。

必ずチャンスは巡るはずだ。
巡らせるつもりだ。

勉強できなくなってる事は後悔してない。そういう事も可能性として常に頭にあったからだ。
勉強がストップしていることは、それでも自分の情熱はあの時そこにあったんだということを今の自分に教えてくれている気がしてならないのだ。

諦めないし諦めようがないし。とにかく自分だけの何かを見つけるんだ。

今は小さくても心の火花は絶やさない。

自分を失ったのは自分自身。自分を見つけるのも自分自身だ。
挫けてもまたまだ心の火は燃やし続ける

かならず戻るのだ。

辛抱する訓練だ。

毎日毎日常に心の火花は消さない。

あの場所にかならず戻らなければ。
変わらず悶々とした気持ちのある日々だ。

コーヒーショップの勉強の日々は自分にとっては何かの意味があるはずだ。行政書士の合格書や免許が欲しいわけじゃないと思う。法律家にもなれないだろうしそもそもそういう性分じゃないとおもう。行政書士の試験は、自分の中の何かを発見する一つの手段だ。だから、コーヒーショップの日々はきっとキッカケだ。

だからまた自分を見つけるためにいつかコーヒーショップにもどって試験と対決しなきゃならない。最終的には、これまでのコーヒーショップでの勉強と同じかそれ以上にある程度の勢いが必要になるだろうと思う。自分を見つける為の怖さと希望の二つの気持ちだ。

回が進めば恐らく試験自体はより難しくなりそうだ。

いつかの対決の為に何が必要かいくつか、合格者のアドバイスを元に想像してみる、、

○過去問
恐らく過去問は全てかつ瞬発的にというのが大前提みたいだ。基本書もまぁ大前提なんだろう。
○スピードと体力
処理の速度を試してる試験みたいだ。本番では考えているうちは理解していないと判断されるという仕組みのようだ。
確かに予想問題を計測してやると、考えている時間がながいと全部解けない雰囲気だし、また体力がないと途中で息が切れて集中力が崩れてしまった。
問題を効率的にこなすテクニックを載せていた合格者がいたが、それを読むとなるほどと思ったりする。スゴく納得するというかそこまで考えるかと感心したしそれだけ試験がシビアだからそういう知恵も生み出されるのだと思えた。

○判例と条文
最終的には判例と条文なんだろうか、、。判例の多くはやっぱり知らないとだめなんだろうな。考えて推測もできるがその分時間が犠牲になる雰囲気だ。
条文は、複数の条文が絡めて出していると合格者の人達が言っているみたいだ。

○最後の最後には
これまた推測だけど恐らく最後の最後、試験に望むまでに全て完璧と思える準備はまず無理なんだと思える。
だって知識の組み合わせいくらでもできるんだろうし難しい易しいの度合いはいくらでも出題のさじの加減ができるんだろうからなぁ。だからある程度割り切る気持ちをもってないと勉強自体が辛くなると想像できそうだ。
だから、持てる知識で堂々と戦えればそれでいいんだと思える。
今のとここんな想像かなあ、、。

いつかまたあの時と同じコーヒーショップに戻って勉強する日々が来ると信じる(>_<)