最近ニュースを聞くと気持ちが下がって世の中が嫌いになるだけなのでなるべく見ないようにしているため、信頼できるラジオ「session-22」も聞けなくなってたんだけど、ちょうど考えていた「傍観者の特権」ということについてのポッドキャストを聞いて、正に自分がその日の前日考えていたこと(このブログの前の記事で正に考えてた)に明晰な説明をしてくれていて思わず声出た。

 

 

差別への反対運動に対して「もっと普通の声で言えばいいのに」「そんな言い方では聞かれないよ」などと傍観者の立場からジャッジする人は、そもそもそういう問題が身に迫る脅威にならない立場にいるという時点で特権的である。そして主張の内容を一切見ることなく、言葉尻だけの問題に矮小化する。

「俺の気に入る言い方をすれば聞いてやる、踏んでいる足をどけてやる」という態度、こういう説明をすればどれだけ傲慢な物言いか分かるはずなのに、なぜか“優しい世界”みたいな気持ち悪い物言いにくるまれてごまかされてしまっているように思う。荻上チキは自分が当事者ではない立場にある場合には、少なくとも当事者の人が声を上げることの邪魔をするようなことはしないようにしている、とのこと。しかしこういう「もっと普通の声で」とかいうトーンポリシング、なんだか今のご時世に感覚的に受け入れられてしまいそうな気もしている。というのも、なんだか内容を見ることなくとにかく”批判”とか”反対”ということ自体を嫌う人、というのが一定数いるんじゃないかと思えてしまうような出来事が最近何個かあったから。

 

先週あたりからの芸能人への誹謗中傷と政権批判を混同させて監視を強めようとする流れは、さすがに斜め上というか全く思いもよらなかったんだけど(政権批判と誹謗中傷を混同するという発想がなかった)、どうやら“批判”への(論理的ではない)生理的な嫌悪感がある人が多いようにも思った。

 

批判は、少なくとも政治に関してはある政策が本当に適切なのかを検証する(他にとるべき選択肢はないのか、ということを探る)という意味で生産的な行為であるはずなのに、聞いたところだと「文句を言ってばかり」「協力してあげればいいのに」といった声が大学ですら多く聞かれるという…

安倍や自民党の言っているような“この道しかない”“批判なき政治”というのは、批判によって別の選択肢が生まれる可能性に目をつぶって、提示したものへの盲従を求めるものなので、国民にとっては損で危険なものでしかない。実際にこの人達がまともな議論をしかけられても、答えになっていないことを言って時間をつぶすだけで済ませようとする姿が国会では何度も見られている(というかまともな議論をした姿をほぼ見たことがない)。こんなどう見ても反民主的な人が「安倍さんしかいない」とか持ち上げられてるんだ…と思う。こいつだけはねえだろ。

 

そんなわけで「安倍さんはしっかりやっているのに批判ばかり」「いい加減いじめていないで協力してあげれば」とか幼稚園みたいな感想が大学生からよく出てくるというのを聞いて、未来にも希望がなさそう…と思ってしまった。まあ俺は子供を作る気もないから今後の日本についてはほぼあきらめて見捨ててもそこまで心配がない立場だからいいけど。絶対にこんな国で子供なんか持ちたくない。

 

具体的に何をもって「よくやっている」なんて言葉が出てくるんだ、と見当もつかなかったんだけど、上の荻上チキの解説の中で出てきた「公正世界仮説」が説得的だった。

①「自分は日本でそれなりに快適に暮らせている」→②「ちゃんとしていれば快適な生活ができるような仕組みが日本では整備されているのではないか」→③「そんな素晴らしい日本の現状に物申す人は、努力が足りないだけ。なのに国に責任をなすりつけている」→④「そんなにいやなら出ていけ」という構造があるのではないか、つまり社会への信頼度によって、社会に対する批判を我が身に対する批判と同視してしまう人が出てくるという仕組みがある、という指摘を聞いて腑に落ちた(一応言っておくと上の図では大間違いなのは②。自己責任論自体に問題がある上に、自己責任というための平等な状態がおよそ整備されていない)。

 

毎日こんなことばかり考えていると、なんで世の大多数の人との間にこんなに隔たりがあるんだろう…と「目の前にあるすべてのものがバケモノに見える」という精神状態になりかねないんですが、一人一人話してみると気のいい人が多いんだよな。それでいて、主権者としては弱い人の首を絞め続けるようなものを選び続けているという…

今日は昔の職場に連絡を取らないといけない用事があったので、前の職場の人もみんないい人だったなと思うと共に、でも無邪気に百田尚樹の本に感動したりしていたり、複雑な気持ちになることもあった。

「ロング・ショット 僕と彼女のありえない恋」という映画の1シーンで、めちゃくちゃいいやつである親友が共和党支持者だと知って仰天する場面があって、大いに身につまされて反省もしたんだけど(思想と人柄は別)、それでも世の中がこれだけひどい方向に向かっているのにそれを笑って許す人が多いんだと思うと、人と関係を持つこと自体への興味がなくなってしまう。そうだとすると、なんだかそういう世の中で生きていく気力も失われていく…積極的に死にたいわけじゃないけど、長く生きていくことへの執着はない(周囲の人が悲しまないように、とは思っているので早死にするのは避けたいけど)しう、世界に根を張るようなことをしようという気は全然起こらない。