この前飴葉さんと話している中でクロスノエシスのテーマは「救済」だということを言われて、そうやって意識してみたら「救済」に関する言葉が耳に引っかかるようになった。

 

具体的には、昨日の「剃刀負け@ZEPP Divercity」で1番手のDEZERTが演奏していた「Call of Rescue」という曲の「救いの声が近づいている」という歌詞を聞いていて、救い…と耳に引っかかった。

DEZERTは千秋の破天荒キャラが目くらましになっているものの、エレファントカシマシかよって位直球に熱いことを言っている印象があるんだけど(髪型も後ろ髪伸びて長渕ファンの地方の元ヤンみたいになってた)、この日のMCでも、「TODAY」の前に「日々の生活で心が乾いたら音楽に救われに来い、ずっと寄り添うことはできないけど今この瞬間だけは救いになれる」みたいなことを言っていた。

 

毎回泣かされる「TODAY」も、「生きててよかったそう思える夜を探してる」と、日々の生活が仮につらかったとしても、救われたように思える瞬間を探していけばいいという形で希望を歌っていて、DEZERTが音楽をどういうものとして捉えているかというのは結構明快なんじゃないかなと思った。

そういえば昔DEZERTは「千秋を救うツアー」というタイトルでツアーをやっていて、その周辺時期のインタビューであのタイトルは冗談とかではなくて本当に救ってもらいたかったみたいなことを言っていた覚えがある(超うろ覚え)。他人を救うことだけじゃなくて自分自身も救われたいと願っている…

 

最近の曲である「Call of Rescue」の歌詞は「救いは“あなた”の中」「救いの声が近づいている」と、やっぱり救いは「外」から自分の外から来るものとして捉えていて、それはものすごく単純に考えるとファンにとってのDEZERTを想定しているのかなと思った(千秋にとっては何なのか分からないけど)。

「お前が自分で道を見出だせ」みたいな押しつけがましいことまでは言わず(もちろん音楽がもたらす救済がずっと続くものではないのなら、それ以外の時間を変えていくのは自分でどうにかするしかないんだけど)、とりあえず疲れたらここに来なよ、ということを示すだけなのがいい塩梅だなと思った。「だけど後はお前次第だ」まで言ってしまうのか、「救いなんてまやかしだ」と突き放してしまうのか、何をどこまで言うのかというのも重要な気がする。

 

そういえばキズの来夢はライブで決め台詞のように「救われたいやつだけついてこい」と言っている。

ついて来いと言っているからには、(ついてくれば)救ってやれるかもしれない、という意味合いがあると思う。

インタビューでは「僕は救われたいから救いたいと思ってるんですよ。救うことによって救われていると思う人間なんです」と語っていて(https://www.barks.jp/news/?id=1000153885&page=2)、自分がどうすれば救われた気持ちになれるのかについて自覚的な点が千秋とは違うのかなと思った。

 

音楽に加えてわざわざ化粧をして現実離れした世界観を作り上げるヴィジュアル系を志向する人は、平均よりも現実逃避を好みがちな人が多いように思う。そのこと自体は変わらないとしても、MALICE MIZERとかが流行っていた昔は、今から見れば幻想的だったりグロテスクな世界観を作り上げてうっとりさせて終わり、とそれだけで完結したものが多かったように思うけど(MUCCの「壊れたピアノ~」もこの一例かな)、今はその現実離れした世界を楽しんでいる状況を俯瞰してこの瞬間こそが「救い」だ、という構図をはっきり提示してみせる人が結構いる、という違いがあるように思う。昔も特に「救い」として意識することはなくとも実際は救われていたと思うけど、その構図を示してみる感じ。

 

ちなみにネクロ魔の「Phantasmagolia cosmos」は(「現実を忘れて、一瞬の救済を音楽の中に見出す」を超えて)「現実を捨ててせめて夢の世界で生きよう」というような内容だといつかのリリイベでひまりさんが解説してた記憶がある(「目覚めさせないで~」ってフレーズもある)。やはりネクロ魔は現実逃避を突き詰めている…

 

 

クロスノエシスの話にたどり着くまでが長くなったけど、ここからが本題

クロスノエシスのHPのグループ紹介(ABOUT:http://crossnoesis.com/about)には

「時を忘れてしまうような時間を」

日常に苦しみを抱えるあなたに、救済措置となる非日常がひとつでも増えることを願って 

ステージを見た瞬間、現実を忘れてしまうようなライブを目指します

 

とあるんだけど、クロスノエシスも目指すところとして掲げているのは音楽による(つらい現実からの)一瞬の救済、というところなんだろう。

まあそもそも音楽や芸術はそれ自体が生存や日々の生活に直結するものではないから、“全ての音楽の究極的な目的は癒し”みたいな話なのかもしれないけど、なんかそう言い切るのには抵抗があるんだよな。

全ての音楽が究極的には救済や癒しにつながるものだとしても、その救い方や度合いは様々で、その中でも「現実離れしたものを見せることで現実を忘れさせることによる救済」っていう意味では、①現実離れした美しさで魅せるクロスノエシスと、②これまたわざわざ現実離れした格好をして演奏するヴィジュアル系、さらに③サーカスみたいな常人離れしたどうかしてる動きで魅せるEXILEは俺の中で共通している…④ネクロ魔も現実にはない暗黒の世界をステージ上に現出させようとしていて、それを見てこっちは癒されてるんだから共通してるな。つまり俺の中ではネクロ魔とEXILEは同じ箱に入っている…

 

ちなみに、他に「失恋した自分の心情を歌っているようで共感できる」みたいな“日常共感型”みたいな癒しや、みんなで歌って楽しいレクリエーションとしての癒し、というのもあると思う。

ところで自分は「酒飲んで泥酔して楽しい」みたいなありがちなアイドル現場のノリが好きじゃないんだけど、それは「酒飲んで内輪で醜態曝し合うのが楽しい」っていうマッチョ思考への嫌悪感と(関係ない人から見たら楽しくもなんともない)、それなら別に音楽じゃなくてもいいんじゃないのと思ってしまうからというのがあるように思う。酒は現実逃避の手段でこれも一つの救済だ、という考え方はあると思うけど、なんか意識を麻痺させて現実を忘れるってのが直接的過ぎて身も蓋もないというか…かなり関係ない話なんだけど、飲酒酩酊礼賛文化については常にどこか疑問に思ってるので隙あらば何か言いたくなっちゃうんだよな。

 

前置きが長くなったけど、あと1週間でクロスノエシスのミニアルバム「chronicle」が発売なので、これを機に改めて「クロスノエシス」というグループ名から考えてみた。

もしかすると略して「クロノス」(時をつかさどる神)になることありきだったのかもしれないけど、「クロス」は観客とクロスノエシスがライブや音源でその人生の中で一瞬の交差すること、「ノエシス」はよく分からないんだけど「意識の作用的側面」ということらしいので、その瞬間がもたらす感情が聴いた人の人生に作用するとかそういうようなことなのかな…

メンバ―の苗字がなくなってローマ字表記になったのも、実在感を失くしてある種の妖精みたいな感じを出すためとか…(まあ単純に契約の関係で前の名前が使えないとかかもしれないけど、この方がいいと思う)

 

メンバーの実在性を薄れさせること、これはキズについて来夢が「当初はメンバーの個々の名前もつけたくなかった」と言っていたのと方向性は似ている(無理やり)

 

 

発表されたミニアルバム「chronicle」の順番を見てみると、まず安直に考えると

・1曲目が「cross」→クロスノエシスと聞く人の人生の交差、つまり聴いてる人にとってのクロスノエシスとの時間の始まりを示している(「時は満ちた」は辻仁成風に言うと「やっと会えたね」ということか)

 

・2~4曲目:夜に一人でいるような曲が続く(2曲目はまだ分からないけど)、真夜中のパート。「魔法壊れる前に」と歌ったまま前を向いてないような「In the Dark」は真夜中の底、「ペトリコール」は泣き止んだ後の感じ、小休止。

・5曲目のskit、ここで一区切り、流れが変わるということだと思う

 (ペトリコールって流れの中に組み込みづらそうだな、と思ってたので後にskitをおくのは納得)

 

・6曲目「薄明」、この曲ではサビで「呪いごとすくいあげてみせよう」と歌っているんだけど、さっき考えてたDEZERTの「Call of Rescue」では「助けてなんてもう言わないからさ 掬ってくれ」と、“救う”とは違う漢字を使って同じニュアンスを出している。それではこの曲は果たしてどういう字を当てているのか、歌詞カードの記載が気になってきた。

 

・7曲目「seed」

 この曲は「自分の中では他の曲に比べたらそこまで好きじゃないけど、周りの人の評判はとてもいい曲」で、この差はなんだろうと思ったんだけど、「希望」のイメージを表に出し過ぎていて、あまのじゃくな自分には抵抗があるということなんだろうなと思った。「どうか希望であれ」はストレート過ぎるぜ、ということなんだけど、これ位分かりやすい方が伝わりやすいこともあるだろうし、単純にアイドルオタクには曲調的に耳なじみがいいだろうなとは思う。まあ俺はアイドルオタクの世界も「つらい現実」の側の事象としてとらえてしまっていることもあって、耳なじみのよいアイドルソングに接近する程自分への効きがよくなくなるということなんだと思う。

 

・8曲目「インカ―ネイション」

 この曲の歌詞はどうにも宇宙人か高次元の意識みたいなものが「人間になってみるのも面白そうだな」と考えて受肉(incarnation)する、というそれこそ現実離れした感傷とは無縁なおとぎ話みたいな話に思えるので、一聴して歌詞が泣けるというようなことはないんだけど、曲が良すぎる。そして歌詞もよく考えると、こんな現実離れした「私は元異星人」みたいな空想をすることでなんとか自我を保っている人の話、と考えると救済というテーマに通じなくもない…好きな曲なのでいくらでも妄想できる

 

・9曲目「previously」

 7曲目で分かりやすく希望の明かりが見えて、8曲目である意味では意識がお花畑に飛んでしまい、その後どうすんだ…というところで中身が分からないSODAさん作詞曲、タイトルを直訳すると「以前は」。これは後ろにどういう言葉がつくかが問題だけど、流れ的にはネガティブな言葉、つまり「以前は(つらかった、苦しかった)」ということになるのかな。

といった感じで、1~4曲目で出会って沈んで、5曲目以降で段々夜明けに向かっていくという、吸血鬼関係でよくある言い回し「from dusk till dawn(黄昏から夜明けまで)」よりももう少し深い時間から始まる「from midnight till dawn」的な流れを持つミニアルバムになっているのかな、と思う。

まとまった作品のリリースはしょっちゅうあるもんじゃないから(しょっちゅうあってもいいんですけどね)、発売するまでをいかに楽しむか、というのも重要…今の段階ではタイトルしか分からない2曲がどんな感じかがほんと気になるな。

 

タイトル「chronicle」も、「年代史」みたいな意味なのでベストアルバムにありがちな名前だと思うんだけど、まあ今の持ち曲全てということと、これもchronosと同様にchronoから派生したようで時間に関わる単語だから座りがいい、ということもあるのかな。一作目のタイトルとしては間違いない感じ。

できればブックレットに写真が載ってると嬉しいけど、そこはどうなんでしょうね…せっかく美しいメンバーを集めてるんだから、ジャケットではないとしても(本当はジャケットも写真にしてほしいけど)、中に写真の1枚くらいはほしい…後々音源が積み重なったときに見返して楽しいし(ハミシスの「START THIS SYSTEM」の写真なんか正にそれ)