こんにちは!5月1日とある古戦場跡へ行って参りました。
とある古戦場とは稲生の戦い(いのうのたたかい)があった場所。あの織田信長と弟の織田信行(信勝)が合戦をした場所です。
2人の父、織田信秀の嫡男である信長が織田家の家督を継承するべきであるが、信長が「うつけ」と言われていたように、非常識な行動ばかりとっていたため、織田家の家臣団や信長の母である土田御前(どたごぜん・つちだごぜん)も信行が家督を継承するべきだと思っていました。
せっかく信秀が尾張で織田家の勢力を拡大していたのですが、ここで織田家内に亀裂が走ってしまいます。
1556年(桶狭間の戦いの4年前)そこで織田信長と織田信行が争った戦いが稲生の戦いです。場所は愛知県名古屋市西区になります。
織田信長軍700人 織田信行軍1700人でした。
イオンタウン名西のすぐ近くにある西区史跡散策路の看板。
今回の目的地はこの庚申塚(こうしんづか)です。
住宅街の片隅に古戦場はあります。
木がすごい(;^_^A
入ってすぐに稲生の戦いの説明が書かれています。
なんとのちに織田家筆頭家老となる柴田勝家が信行側で戦っていたんですよ!信長と勝家が争った唯一の戦い!
林光春とは林道具の事でこの戦で戦死しています。
稲生原合戦戦没者供養塔。地元のおばあちゃんがお祈りをしていました。
この供養塔は林道具の13代目子孫らが建てたものです。
お地蔵さんがいます。
これだけです。実にひっそりとした古戦場跡でした。
この稲生の戦い古戦場から北へ少し歩くと…
白山神社という場所へ着きました。
名塚城(砦)跡の地にこの白山神社が建てられました。
信長攻路にもなっているようです。
信長攻路とは尾張の信長ゆかりの地をあるくウォーキングロード的なものです。尾張ではよく見られます。
町中にある神社って、もともと城跡だったり第二次世界大戦のときには戦闘機を隠しておいたり、防空壕だったりする事が多いんですよね。
オマケ
帰り道でポケモンGOをしているととあるポケストップを見つけました。
だが実際にはそんなポケストップありませんでした(´;ω;`)
看板が変わってしまったと思われます(´;ω;`)
って感じで今回は以上です!次回もお楽しみに!!