前回のブログから、少し時間が経ちましたね。
私は「なりたい自分」ということについて、過去にいろいろと書いてきました。
結果「そうなった面」と「なっていない面」はありますが、
自分的には納得しております。
また、おかげで「見つかったこと」もあります。
自分が「こうないたい」と思い、書いていたブログであり、
読んで貰えた方々などの 少しの後押しになればいいなぁと思っていたんですが、
ここ最近、今の職場で形になったこと。
これは本当に嬉しかった。
年齢を重ね「自分が」がメインだったことが、人に面と向かって伝え、
「誰かが」変わっていき、「これも役割の一つ」が見え、気付く。
自分も歳取ったということを自認しました。しかし、それも「喜びの一つ」と
思えることに、自分の変化や成長なのかと受け入れることが出来た。
たいそうに書いてしまっていますが、「そもそも未熟だったんだ」と
気付いたことでもあります。
これが「現状を知る」であり「無知の知」なんだと確実に
自分の中に落とし込めることが出来る。
こういう経験って、いったい何人の人がするんでしょう・・・。
きっと、みなさんは私よりも 知っている人なんだと思うので
「今更かよ」と思うのかもしれませんね。
生まれてから死ぬまでに、何人の人と知り合い、
時間を共有し、想いを交わすんでしょう。
私には判りませんが、生死の別れだけじゃなく、
仕事や学校、活動での別れの際に 本当の涙を流せるんでしょうか。。
きっとそこまで多くはないんじゃないかなぁ なんて思っています。
時には意見の不一致もある。 好き嫌いもある。
趣味を共有することもある。
不条理なことを言われることもあるのかもしれません。
そしていつか、事情で別れることもありますが、そのとき
「本当の涙を流せて別れる」
すべての人が、そういう出会いになるよう願っています。
「当たり障りなく」「嫌われることもなく」「少し離れてみているだけ」
そんなスタンスでは、そうならないと私は 思っているんですよね。
なんとなく生きると、なんとく時間だけが過ぎる。
それって、「それを選んだ」と自信を持って言って貰えるんでしょうか・・・。
いろんな人がいるので、それを選ぶことは間違いじゃないと思います。
「だからこれが満足なんです」と言ってもらいたいですね。
「なにもしない」という選択肢も選択肢。
これは私の生き方んですが、せっかく生まれてきたので
楽しく生きたいと思っています。
なんとなく生きて「何もなくて嬉しい」とは言いたくない。
私は感情の生き物の人間であり、日本人でありたいと思う。
手を突っ込んで気付く痛さや柔らかさがある。
ネットの誰かが言ってた「痛さや柔らかさ」は実体験じゃないので。
少し長くなってしまったので、本日はこの辺りにいたします。
また近々 書きますね。
では。