またもや少し時間が開いたブログとなってしまっています。

 

いつの間にか季節は秋になろうとしていますね。

この夏は、気象が異常でしたね。

一歩飛躍して、「以上が通常」になってきてしまっているような気がしてきました。

来年はどうなることなのか・・・。

 

そんな以上が通常な夏でしたが、私としては

行動としては、さほど出来ていないんですが、

思考というか、いろいろと考えたり、気付いたりした夏でした。

 

政治的なことも考えたりもしたり、精神的なことも考えたりと

ほんといろんな事を考えたりしました。

思いついたように、「現時点での自分なりの答え」も見つかったりしたので

本当に実りの多い夏だったと思います。

それはまた追って書いてみたいなぁと思っています。

 

ですが、現時点での答えが見つかったといいますが、

それは「憂い」を感じることでもありますね。

自分に対する不安なのではなく、「みんなこんなことでいいと思っているのかなぁ」

って思うことのほうが、多いですね。

 

私、正直自分が とてもバカな人間だと思っているので、

余計に憂いというか・・・・。

疑問ばかり感じてしまうんです。

 

表面だけサラッと撫でて、その奥にまで刺激を感じるようなことはしない

人が多いように思えてしかたないんです。

きっと私の勘違いと信じたいんですけどね。。

 

・なんとなく仕事して

・なんとなく、人付き合いして

・なんとなくご飯食べて

・なんとなく生きる

 

で、ちょっと世間で批判されたり、自分と意見が違ったり

羨ましかったりすると、「直接じゃなく、見えない場所から」攻撃する。

それが全てに見えてしまうんですよね。

覚悟なく、安全なところから批判するのって、違いませんかね・・・。

「お前が知らない、見てないだけ」と仰るなら、そうかも知れませんが、

SNS等を使ったり、実際の世界でも 一応テスト的に試してみました。

統計学的にも信憑性の高いとされるテストピースの1000件には到底足りていませんが、

顕著に答えが見えたりもしたので、少しは信憑性があるのかなぁと

勝手に思っていたりします。

 

私はよく「極端だ」と言われたりもするんですが、

今の時代や、社会や国だったら、ある程度「極端」なほうがいいんじゃないかなぁと

思っています。

私自身、本来は「中間の考え」「折衷案」的な考えの人間なんですが、

「今はそうじゃないほうがいいかなぁ」と思っていたりします。

 

現代は多様性を認める時代ですが、

それって、どっちかに偏っている人や物があってこそ 他を認めて行けるんじゃないかなぁ

とも思うことがあるんですよね。

「どちらにもなったこと、なれない」人や物が多様性と言うのは

無理があるように思える。

見方によっては「どっちもの寄れない人が、言い訳している」や

「結局決めれなくて、答えを出せないから」と思われてしまいそうじゃないですかね?

そういう風に書くと、安全な場所から反発されるとは思いますけどね・・・。

 

そろそろ「何にもなれない自分」から一旦離れてみる努力をしてみて欲しいと思うんですよね。

答えが考えられなくて、スマホで検索して出てきた答えをそのまま

言っても、全く重みは無い。

自分で考えたことじゃないって、だいたいの人は気付いていますから。

 

これ以上書くと、もっと熱くなりそうなので本日はこの辺りにいたします。

 

では。

 

追伸

月に2,3記事は これからまた書きたいと思っていますので、よかったら

またみてください。