科学の進歩と、技術の向上で、先ごろは、自動操縦、もしくは自動運転、があらゆる所で、動き始めた。
確かに便利だとか安全などと言われ、重宝されています。
ただ、これはどこかで是非を問う必要がある気がする。
たとえば、ある時期夕暮れになれば、車は点灯して走るとか言う時期がありましたが、
先ごろはめっきり減った。
自分のバイクは、エンジンをかければ強制点灯、でも昔は自分の判断で、点灯でした。
事故が多くなり、影響で自動にほぼなった
最近、自動車でも、幅灯はついていても、ヘッドライトはついていない場合が多い。
運転者は、車内ののパネルはついていることで忘れるケースが多い。
警告すら運転者には知らされず、突然気がつき点灯。
さて自動運転の時代がまじかに感じて、少しながら、恐い気がする。
運転技術が低下するかもしれないということと、あとは、自動操縦だから、わき見したり、気をそらしたり、変な意味での行動が予測される。
また、自動運転の場合の不慮の事故の場合、責任の所在がまた問われる。
自分は何もしていない機械が安全性を失ったからとへたすると、
責任転換もありうる。
各メーカーの責任におきけられることも予想できる。
果たして、いろいろな問題は、解消されているのだろうか。
個人の所有する車は、所有者の運転技術に補足し、また所有者のみを指紋、声門ほかを認識できるコンピュータと対話しながら、あくまでもあたかも自分がハンドルを握っているかのごとく
走ることが望ましいかも。
あくまでも運転技術が、当たり前であって初めて、自動運転で安全を確保するほうがよいのでは。
飛行機も離着陸は、パイロットの高度な技術で行われて、途中の空路での負担をなくすときのみ、自動運転。それでも一人は、モニター等のチェックは欠かさない。
車とはいえ同じと思える。
自動運転のよさ、便利さの、裏に潜む、危険な面も目をむける必要があると思う。
人は、便利、楽、などの甘えやすく、ルーズになり、気を抜きなど落ちやすいと思える。
自分は、正直想像すると、反面恐くなります。
機械に頼りすぎないことを継承したい。だって、人間は、常に向上してその中から、大きく成長するから。
まずは、安全性を大きく掲げて、技術力を信じたい。