つまるところが“器”じゃない
<新潮社>手記の誤報問題で「社内処分せず」
週刊新潮が掲載した朝日新聞阪神支局襲撃事件などの実行犯を名乗る男性の手記の誤報問題で、発行元の新潮社(佐藤隆信社長、東京都新宿区)は、早川清編集長を含め社内処分をしないことを明らかにした。伊藤幸人・広報宣伝部長が「この問題での処分は考えていない」と毎日新聞の取材に対し答えた。早川編集長は、20日付で週刊新潮と月刊誌「新潮45」の担当取締役となる。
また、伊藤部長は、週刊新潮4月23日号(16日発売)で、謝罪と取材経緯を検証した記事を掲載したことで「会社としての説明責任を果たした」との立場を強調。第三者委員会でのさらなる検証作業は行わないことも明らかにした。
今週の週刊新潮に載っていた検証記事も読んだけど、あれは世間一般では“言い訳”というように思います。
第三者に検証させない時点で検証になどなっておらず、「通常なら教えない取材方法とかソースとかもオープンにしたんだからOKでしょ?」的な開き直り臭が漂っています。
そして、読む限り何が掲載の決め手になったのかがいまいちわからず、結局のところ、社内評価とか、そういうのを気にして、効を焦ったんじゃないのかな、と。
こういうときにこそ、責任ある立場にいる人間の本質が問われますわね。
で、つまるところ、早川編集長は、編集長の器ではなかったということで。
斜陽産業がコンサバなままで斜陽を脱することなどできるはずもなく。
京都戦の前に何書いてるんだろ、俺(苦笑