スカイ・クロラ The Sky Crawlers
先日、ケーブルテレビでやっていた『スカイ・クロラ』。
1年くらい前に劇場公開されていて、それも観ていたのだけど、改めて鑑賞してみました。
※物語の核になる部分のネタバレっぽいのあり。
気になる人はクローズよろしく。
やっぱり俺は押井監督の作品が大好きだなと思いました(まぁ、これは森博嗣の原作があるんだけど、テキストを映像に起こす作業というか、文章だから伝えられるものをきちんと映像でも伝えられているという点で、すごいと思うわけです)。映像が細部にいたるまで緻密に作り込まれ、伝えたいメッセージをよりシンプルに発信する。
原理は単純を、構造は複雑をきわめる。この、とても難しい作業をやり続ける押井監督のパワーは本当にすごい。そして、今年57歳になる押井監督は、感覚が若い。俺ら世代のことを“わかろう”と考察を重ねている。
宮崎駿先生は、スカイ・クロラと同時期に公開された自身の『崖の上のポニョ』を評して
「この映画は、3食カップラーメン食ってるような人に理解してもらうために作った映画じゃない」
てなことを仰っていましたが、
押井守先生は
「こうしなさいじゃなく、こういう見え方があるんじゃないか、ということを自分の前に座らせて語るのではなく、肩口から耳元でささやいてあげる。それがたぶん僕にできることだと思う」
と仰っています。
簡単なんです。否定するのは。
若い子たちが(阿呆だったり、脳みそ空っぽだったりは別として)すぐ弱音はいたり、逃げ出したり、人生に希望持ってなさげに生きてたりするのを一言で切り捨てるのは。
でも、それは俺ら自身からも逃げている気がするのね。少なくとも俺に関しては。
今は、すごく自分の人生の意義や答えが見つけにくい世界になっていて、小学生は小学生なりに、爺さん婆さんは爺さん婆さんなりに生きづらさを感じているだろうし、俺らもそう。ニートだフリーターだ日雇い派遣だという被搾取者だけじゃない。
俺は、いちおう、毎日働いて、納めるものを納めて暮らしている、どこにでもいる一般の人間だと思ってますが、こういう人間も生きづらさを感じる世の中なんです。
なぜなら、押井監督の言葉を借りれば、就職せず、結婚せず、子どもを育てなくても社会の一員でいられるし、たとえ、就職して、結婚して、子どもを育てていても、きちんと社会生活送ってるってことが答えだと実感できないのが今の世の中だから。
『蟹工船』のヒットで、一時期、共産党への入党が1000人/月ペースで増えていたという話は、その生きづらさの答えを期待してということなんだろうと思います。
その答えを見つけられている人を“大人”というのであれば、若い子も大人じゃなきゃ、俺たちもまた大人じゃない。
で、『スカイ・クロラ』は、大人ってのはどういう存在で、生きるってことはどういうことなのか? ってことを提示した上で、冒頭のコメントのように、肩口から耳元でささやいてくる。
それでも……昨日と今日は違う
今日と明日も きっと違うだろう
いつも通る道でも 違うところを踏んで歩くことが出来る
いつも通る道だからって 景色は同じじゃない
それだけではいけないのか
それだけのことだから いけないのか
『崖の上のポニョ』のように「半径3m以内に大切なものはぜんぶある」とは言わない。
おそらく、嫌味じゃなく、宮崎駿監督は、わかっている、というか、悟ってるんだろうと思う。だから、こういう言い方ができるんだろう、と。
押井監督は、それらしきものを見つけつつも、まだ疑問に思っている。きちんと社会生活を送ることが答えにならない世の中だから、「半径3m以内に大切なものはぜんぶある」とは言い切れないと感じているんだと思う。
なので、どちらに共感できるかというと、俺は、押井監督になるんですね。
というわけで、「私は、俺は、完璧な大人だ」と言える方以外は観る価値ありです。
1年くらい前に劇場公開されていて、それも観ていたのだけど、改めて鑑賞してみました。
※物語の核になる部分のネタバレっぽいのあり。
気になる人はクローズよろしく。
やっぱり俺は押井監督の作品が大好きだなと思いました(まぁ、これは森博嗣の原作があるんだけど、テキストを映像に起こす作業というか、文章だから伝えられるものをきちんと映像でも伝えられているという点で、すごいと思うわけです)。映像が細部にいたるまで緻密に作り込まれ、伝えたいメッセージをよりシンプルに発信する。
原理は単純を、構造は複雑をきわめる。この、とても難しい作業をやり続ける押井監督のパワーは本当にすごい。そして、今年57歳になる押井監督は、感覚が若い。俺ら世代のことを“わかろう”と考察を重ねている。
宮崎駿先生は、スカイ・クロラと同時期に公開された自身の『崖の上のポニョ』を評して
「この映画は、3食カップラーメン食ってるような人に理解してもらうために作った映画じゃない」
てなことを仰っていましたが、
押井守先生は
「こうしなさいじゃなく、こういう見え方があるんじゃないか、ということを自分の前に座らせて語るのではなく、肩口から耳元でささやいてあげる。それがたぶん僕にできることだと思う」
と仰っています。
簡単なんです。否定するのは。
若い子たちが(阿呆だったり、脳みそ空っぽだったりは別として)すぐ弱音はいたり、逃げ出したり、人生に希望持ってなさげに生きてたりするのを一言で切り捨てるのは。
でも、それは俺ら自身からも逃げている気がするのね。少なくとも俺に関しては。
今は、すごく自分の人生の意義や答えが見つけにくい世界になっていて、小学生は小学生なりに、爺さん婆さんは爺さん婆さんなりに生きづらさを感じているだろうし、俺らもそう。ニートだフリーターだ日雇い派遣だという被搾取者だけじゃない。
俺は、いちおう、毎日働いて、納めるものを納めて暮らしている、どこにでもいる一般の人間だと思ってますが、こういう人間も生きづらさを感じる世の中なんです。
なぜなら、押井監督の言葉を借りれば、就職せず、結婚せず、子どもを育てなくても社会の一員でいられるし、たとえ、就職して、結婚して、子どもを育てていても、きちんと社会生活送ってるってことが答えだと実感できないのが今の世の中だから。
『蟹工船』のヒットで、一時期、共産党への入党が1000人/月ペースで増えていたという話は、その生きづらさの答えを期待してということなんだろうと思います。
その答えを見つけられている人を“大人”というのであれば、若い子も大人じゃなきゃ、俺たちもまた大人じゃない。
で、『スカイ・クロラ』は、大人ってのはどういう存在で、生きるってことはどういうことなのか? ってことを提示した上で、冒頭のコメントのように、肩口から耳元でささやいてくる。
それでも……昨日と今日は違う
今日と明日も きっと違うだろう
いつも通る道でも 違うところを踏んで歩くことが出来る
いつも通る道だからって 景色は同じじゃない
それだけではいけないのか
それだけのことだから いけないのか
『崖の上のポニョ』のように「半径3m以内に大切なものはぜんぶある」とは言わない。
おそらく、嫌味じゃなく、宮崎駿監督は、わかっている、というか、悟ってるんだろうと思う。だから、こういう言い方ができるんだろう、と。
押井監督は、それらしきものを見つけつつも、まだ疑問に思っている。きちんと社会生活を送ることが答えにならない世の中だから、「半径3m以内に大切なものはぜんぶある」とは言い切れないと感じているんだと思う。
なので、どちらに共感できるかというと、俺は、押井監督になるんですね。
というわけで、「私は、俺は、完璧な大人だ」と言える方以外は観る価値ありです。